天曜という男
一方、天曜は香蘭の不安と状況を見透かしていた。冷静な表情を崩さず、彼女に向かって続けた。
「蓮瑛の行方が分からない以上、お前は自分の立場を守る方法を考えるべきじゃないか?蓮瑛のようになりたくなければ、皇后に媚びへつらって御機嫌取りでもするがいい」
気位が山のように高い香蘭が、誰かに従属するなど屈辱以外の何物でもなかった。だが、従属しなければ命の危険さえ起こり得ると理解していた。天曜の冷酷な言葉は、香蘭の心を更に縛り付け、絶望の底に突き落とすように響いたのだった。
天曜は香蘭に軽蔑な眼差しを投げかけたまま、部屋を後にした。
屋敷に戻った天曜は、部屋で静かに荷造りを始める。
「天曜様、どうなさったのですか?」
主人の常とは違う様子に驚いたのは従者である明慧であった。
明慧は幼い頃から天曜に仕えていて、正式な武人ではないものの北方の戦線に従軍し、陰日向に主人を支えて来た男である。その彼をもってしても、天曜の様子は尋常ではないように見えたのだ。
けれども従者の心配する気持ちなど、まるで知らない顔をして天曜は落ち着いた口調で答えた。
「龍華国を出奔する」
「しゅッ――!?」
明慧は思わず大声で叫びそうになったが、誰かに聞こえてはいけないと、慌てて口に手を当てて言葉を飲み込んだ。付き合いが長いせいで天曜の行動に驚かなくなってきた明慧の、大袈裟とも言えるその仕草がおかしくて天曜は小さく笑った。
「どういうことですか?」
「どうもこうもない。蓮瑛を探しに行く」
「蓮瑛様を……」
その名を聞いて、数日前の天曜の酷い有様を明慧は思い出した。
立天曜という男は、約束された未来を歩む存在であった。
それまで、天曜は丞相・立雲水の次男として、文官としての道を歩むことを期待されていた。龍華国の実権を握る者の一人として、生きていくはずだった。しかし、彼の人生は突如として方向を変える。
それは二年前、国家の危機が迫る中、彼が軍に仕官した瞬間であった。
二年前、新たな龍の巫女の出現に沸く中で、龍華国は北方の蛮族からの侵略に直面し、深刻な状況に陥っていた。政治家としての未来を嘱望された彼の転身は周囲を驚かせたが、同時に帝都で安穏と暮らしていた貴族達に対し、蛮族の脅威が迫っているのだと実感も抱かせることとなる。
天曜は丞相を父に持つ恩恵故、仕官した当初から指揮官の地位に就いた。すぐに彼の武の才能は認められ、更にはその行動力と決断力は、指揮官としての素質を示した。
彼は前線への転属を希望したが、軍上層部は許可しなかった。丞相の息子を危険な場所に送ることを躊躇ったのだ。けれども、決して諦めることのない天曜に対し、面倒になった上層部はどうせ逃げ帰るに違いないと踏んで転属命令を出す。
前線へ転属した天曜は上層部の期待に反して、短期間で部隊を掌握し、数々の戦闘で勝利を収めた。
文官出身者として実力に疑念を抱いていた兵士達も、天曜の指揮の下での連戦連勝に驚き、尊敬の念を抱くようになる。彼らは天曜が高貴な生まれでありながらも、共に戦うことを厭わない姿勢に感銘を受けたのだ。また、天曜の指示は的確で、戦闘においても冷静さを失わず判断を下すことから、兵士達の士気を高めることとなった。
戦局は徐々に龍華国に有利に進展し、遂に軍は国境を守ることに成功した。
そして天曜と明慧は、北方での勝利の栄誉を胸に帝都に戻って来たのである。
英雄の帰還に、人々の拍手と歓迎の声は絶えることはなく、柄にも無く明慧も胸が熱くなったものだ。天曜もまた涼し気な表情を崩すことはなかったが、高揚していたのは明慧は気づいていた。
けれども、戻って来て早々、蓮瑛が龍の巫女を解任された上に、碧砂国へ輿入れしたという話を聞いた瞬間、その笑顔は一瞬で凍り付いた。彼の眉間には皺が寄り、冷たい目つきが更に冷酷になものになったのだ。
そして追い打ちをかけるように皇后の策略によって行方不明であったと知った時など、鬼神の如き形相に恐れをなして誰も近づくことが出来なかった。もちろん、明慧や他の使用人に当たるようなことはなかったが、あのように怒りを露に暴れるような姿を戦場でも見なかったので衝撃であった。
「くそッ!!無能な老人共め!!」
彼は父である丞相と、龍華国の統治者である皇帝に向かって憎悪の言葉を吐き捨てた。
天曜は二年前、神殿に神託が下りた時に蓮瑛を迎えに行った一団の一人であった。若い少女を懐柔する為に、各家が一族の見目麗しい青年を見繕って送り込んだのだ。他者に対して素っ気ない態度を取ることの多い天曜だったが、不思議と馬が合ったのか蓮瑛を妹のように可愛がっていた。
そうであるから、今回の異国の地へ嫁がせるという蓮瑛への理不尽な処遇について、天曜が不服に思う気持ちも理解できたし、謀略によって行方不明になってしまったことへの怒りは当然のことと言えた。
「野心に負けて馬鹿なことをしたな、立雲水」
その言葉から、明慧は何かしらの陰謀の糸を引いていたのが立雲水だと気づき、口を噤んだのだった。
あの日のことを思い出すと明慧は今でも震え上がってしまう。




