新しい龍の巫女・香蘭
一方、蓮瑛が去った龍華国の天候は、驚くほどに安定していた。
蓮瑛が龍華国にいた頃は、曇り空と長雨が日常の風景だったが、今ではそれは過去の出来事で、穏やかな日々が戻って来ていたのだ。
全ては新しい龍の巫女・香蘭の力が国を守り、平和をもたらしているのだと人々は喜んだ。
香蘭は美しく、天候を操る力を持つ者として、皇宮に伺候する貴族のみならず、民草まで彼女の名前を口にした。彼らは香蘭の祈りが実り豊かな収穫と安定した日々をもたらすのだと信じていた。
だが、実際は神殿で過ごす時間など半刻にも満たず、他の時間は彼女に与えられた部屋で贅沢な生活を楽しんでいるのだった。美しい部屋の中で寛ぎ、絹の衣装に身を包み、贅沢な食事を舌鼓を打つ。前任の蓮瑛に比べ、酷く世俗に塗れた生活態度であった。
神殿の者達の中には、香蘭の不信心な態度に疑念を抱く者もいたが、丞相の娘である彼女を公然と批判することは出来ずにいるのが実情である。龍華国の政治において強大な影響力を持つ父が後ろ盾である限り、香蘭が恐れるものなど何もなかった。
香蘭は鏡の前で自分の顔を見つめ、傲慢な微笑みを浮かべた。その美しい自身の容貌に慣れ切った彼女は、いつも通りの高慢さで自己満足に浸りながら、静かに思いのままを口にした。
「こんなに簡単に騙されちゃうなんて、本当に馬鹿みたい」
本来賛辞を受ける蓮瑛で、自分はその功績を横取りしただけなのに誰も気づきもしないことが、香蘭は滑稽でならなかった。
新しい巫女が現れ、龍の巫女が代替わりしたなどという話のは嘘である。
今でも変わらず、蓮瑛が龍華国を守る龍の巫女であったのだ。
とある理由で巫女の力を使えないことを知った立雲水は、その状況を利用することを思いついた。彼は自らの娘である香蘭を皇宮に送り込み、いずれは皇帝の子を産ませ、皇帝と龍の巫女の子供という誰よりも帝位に近い血縁者を押し上げる計画を考えたのである。
そして孤立無援となり、虐げられた蓮瑛を温かく迎えることで彼女を手懐け、自分の影響下にある場所で囲い込むことで龍華国の平穏を維持しようとしたのであった。
まだ報告は受けていないが、追放された蓮瑛を父である雲水の手の者が回収しているだろうと香蘭は思う。皇宮では苦しい立場にあったのだから、どんな待遇でも容易く懐柔することが出来るに違いない。
元々、香蘭は蓮瑛のことは気に入らなかったのだ。平民出の見すぼらしい娘が自分以上に持て囃されるなんて、気位の高い彼女は許せなかった。冷遇されているのもイイ気味だと嗤っていたくらいだ。
しかし、帝国の最高位を退き、自分の手足となって働くというのなら許してやっても良いと思っている。能力がある人間を足蹴にする時ほど気分が良いことはない。
香蘭は悦に浸りながら、誰もが蓮瑛ではなく自分こそが望まれた存在なのだと錯覚していた。
だがそんな傲慢な彼女に冷や水を浴びせる者がいた。
「紛い物なら紛い物らしく、それなりに振る舞うくらいしたらどうだい?」
香蘭は突然の声に、驚きと共に勢いよく身を翻した。
振り返った先に一人の男が立っていた。男の名は立天曜。丞相・立雲水の次男であり、香蘭の異母兄である。
彼は、その知性的な風貌からは想像できないほど、龍華国の軍部で頭角を現し、若いながらも勇猛果敢な指揮官としてその名を轟かせていた。
その能力が認められ、前線の指揮官として北方の蛮族との緊張が高まる国境地帯に配置されていたのだが、多くの勝利を収め、数日前に英雄として凱旋したのだった。
香蘭自身は見ていないが、蛮族の撃退に成功し、国境を守り抜いた英雄の凱旋に、帝都は祝賀の空気に彩られたと聞いている。
今頃は父・雲水に連れまわされているだろうと思っていた男の登場に香蘭は驚きを隠せなかった。
「な、何を仰っているのか分かりませんわ、兄上」
人払いをしていたというのに何故この男がいるのかと、香蘭の顔に疑念が浮かぶのを見た天曜は鼻で嗤ったのだった。
「第二夫人の娘よりも、跡取りではなくとも第一夫人の次男坊の方が使用人にとっては重要なんだろうよ」
香蘭の世話をする使用人達は見知った者達ではなく、参内の際に新たに用意された者達だ。彼らは自分よりも天曜を重んじたのだと気づき、香蘭を怒りを覚えた。
兄、妹と互いを呼び合うが、二人の年齢差は一月程度に過ぎない。
第一夫人を母に持つ天曜。
第二夫人を母に持つ香蘭。
他にも母親の違う兄弟はいるが、二人は年が近過ぎるせいかお世辞にも仲が良い関係とは言えなかった。
高位の家柄出身の第一夫人から生まれた嫡男と天曜は父親から期待される後継者として、日々厳しい教育を受けてきた。
対して、第一夫人よりも下の身分の母親から生まれ、更には女児であった為に、父・雲水から期待されることは何もなかった。せいぜい母譲りの美貌に磨きをかけて、都合の良い家に嫁げというくらいのものだろう。
それが香蘭は悔しかった。だが、嫡男は凡庸な男で、父の操り人形でしかなく、彼女の嫉妬は天曜一人に向けられたのだった。
そして今、ようやく積年の願いが叶い、立家にとって最も重要な人間になったのだと自負していたというのに、またしても天曜が邪魔をしに来たのだと、香蘭は苦々しく思った。




