名馬は常にあり、伯楽は常になし
エ・ルドレがエルフの森から立ち去る。
彼は具体的な規模こそ漏らさなかったが、侵攻時期は教えてくれた。
「大規模な侵攻になる。隠していてもばれる」
彼はそんな大胆な言葉で、決着のときが2ヶ月後であると教えてくれた。
俺もそんな時期だろう、事前に予測していたので驚かないが、最後にこう言った。
「もしも負けた場合、決して命を粗末にされないように。魔王様は勇者を、名将を遇する道を知っておられる方です」
俺の忠告に、エ・ルドレはわざとらしく、「はっはっは、と笑うと、「ご忠告痛み入るが。このエ・ルドレに最初から勝てると思い込んでいると、アイク殿も足下をすくわれますよ」
彼はそう言い切ると、赤毛の馬にまたがって森を去って行った。
その姿をサティと見送ると、サティは尋ねてきた。
「立派なお武家さまですね」
「ああ、有能な敵将というのはどこにでもいるものだ。問題なのはそれを扱う方だ」
名馬は常にあり、伯楽は常になし、そんな言葉を思い出した。
「しかし、事情を知り、彼のひととなりを知ってしまった。それでも彼と戦わなければならないとはな」
俺は吐息を漏らす。
「もしも、戦争というやつが、厭なやつから順番に死んでいくなら、それほど悪いシステムじゃないんだが。実際は逆だ。いいやつから死んでいく」
王宮の後ろでこそこそ隠れ、戦争を賛美し、兵士たちを前線に送り出す官僚たちが生き残り、前線で奮闘する武人から死んでいくのが戦争だ。
「今さら、愚痴っても始まらないが、ともかく、俺たちも帰って戦争の準備を始めないとな」
サティは、「はい」と首を縦に振るが、しばらく俺を見つめると、彼女はこう呟いてきた。
「……御主人さま。恐れ多いですが、ひとつだけ訂正してもいいでしょうか?」
「サティにしては珍しいな」
別にかまわないけど、と俺が続けると、サティは言葉を続けた。
「御主人さまは一つだけ間違っています。戦争はいい人から順番に死にません」
「…………」
俺は沈黙する。サティが俺の言葉を訂正するなど珍しかったからだ。
「もしもいい人から順番に死ぬのならば、ご主人さまはとっくの昔に死んでいると思います」
「なるほど、そういう論理か」
たしかにサティにとって俺はいい人なのかもしれない。
しかし、誰かにとっては天使であっても、誰かにとっては悪魔ということもありえるのだ。
敵軍、それも人間たちから見れば、俺はその異形の姿を含め、悪魔そのものだろう。
敵軍は俺のことをさぞ呪詛しているだろうが、俺は健在だった。
憎まれっ子世に憚る、とはこのことだ。
しかし、そんな俺でも生きているだけで喜んでくれる少女がいるのだ。
そう思えば死ぬわけにはいかなかった。




