青
―episode 21: 青 ―
険しい坂道を上りながら、僕は後ろを歩く翡翠に声を掛ける。
「案外涼しい顔だな。」
「うん、坂はキツいけど、まだ息切れするほどじゃ…あ、俺のこと、体力無いと思ってたんでしょ。」
「…さぁね。」
わざとらしく惚けると、翡翠は口をヘの字にした。
「どうせ俺はひょろひょろで非力に見えるだろうけど…甘く見ちゃいけないよ。俺、多分紫杏さんぐらいなら2、3人抱えられると思うな。」
「折れる折れる!馬鹿を言うな!」
「ほんとだってー!」
憤慨する翡翠には構わず、僕は話を変える。
僕的傍若無人の第一歩だ。
「そんなことはどうでも良いとして…」
「どうでも良くないよ!」
「君、海似合わないよな。」
「辛辣だ!」
確かに今から行く所は僕のお勧めスポットだが、何となく翡翠と海は結び付かなかった。
「泉とか川ならまだしも…海はなぁ。あぁ、夜の海なら似合うよ、人魚姫みたいで。」
「かぐや姫の次は人魚姫!?君は何で俺をすぐお姫様に仕立て上げようとするの!?」
「決まってるだろう。美人だからだ。」
「美人………男に美人………」
暗いオーラを放ちながらぶつぶつと呟く翡翠の背中を叩く。
「人が褒めてるんだから素直に喜んだらどうなんだ。」
「美人って言われても嬉しくないの!」
「贅沢だな…」
肩を竦める僕を見て、翡翠が溜息を吐いた。
「紫杏さん、遠慮がなくなった瞬間俺に冷たくなった…」
「何だ、嫌なのか。なら元に戻すが。」
「いや、こっちの方が好きだよ。」
一瞬息が詰まり、むせ返る。
苦しさから涙目になり、イラッときたので目元を拭ったついでに翡翠の腹を殴っておいた。
「な…何でさっきから俺叩かれてるんだろ…。」
「知らない。」
うー、と不満げに呻いた後、翡翠は僕のヘアピンにそっと触れた。
「そういえばまだ言ってなかったよね。…似合ってるよ。」
「………有難う。」
眩しい。
笑顔が眩しい。
「そういや、君は何故青を選んだんだ?僕って青系のイメージではないと思うけれど。」
むしろ、皆僕にはピンクや白などの甘い色が似合うと言うので(個人的には黒とか茶色のような枯れた色が似合うと思うのだが)、意識的にそういう系統の色で持ち物を統一している。
まぁ他にも、名前に入っていることで何となく親近感が湧いてしまい、たまに紫色のものを買ってしまうこともあるけれど、青色のものは服や鞄を含めても確かほとんど持っていないはずだ。
「シアンは紫の杏って書くから、紫なら解らなくもないけど…」
「え、でもシアンってオランダ語のcyaanでしょ?だから青だよ、俺と一緒で。」
――紫杏はアオだよ。僕と同じ。
頭の中で、声が響いた。
燃えるような憧憬と、痛みにも近い切なさが胸に溢れ、目の前が真っ白になる。
平衡感覚を失って、ぐらりと身体が傾いだ。
「大丈夫!?」
咄嗟に、翡翠が僕を抱き留める。
僕を覗き込む心配そうな顔に、徐々にピントが合っていく。
何度か瞬きすると、靄の掛かったような思考も晴れ始めた。
「………済まない、ちょっと立ち眩んだだけだ。問題ない。」
数回深呼吸して立ち上がる。
特に身体に異常はない。
だが、今の声は何だ?
「無理してない?キツそうだったら止めておこうか。」
「いや、…少し日差しに当てられただけだ。頂上まで行けば休めるし、そう遠くないから大丈夫。それより君、」
まだ心配そうに僕の背中に手を添えたままの翡翠の瞳を覗き込む。
「その理屈でいくなら、君は青じゃなくて、緑だろ?」
「…あれ?」
翡翠の、淡緑色のままの瞳が揺れる。
「何で俺、青って言ったんだろう…」
「信号を青っていうような感覚で言ってるのか?君は幾つだ?」
冗談めかしてそう言うと、翡翠はしばらく考え込んだ後、納得のいかない顔で頷いた。
「ん…そう、なのかな?解んない…」
「まぁ緑でも青でも良いよ。同系色だしね。それより、早く行こう。少し疲れたから早く休みたい。」
「あ、う、うん、ごめん!」
疲れたような演技をする僕を真に受けて足を速める翡翠の手を引きながら、僕は先程の声について考えを巡らせる。
声変わりしたばかりのような、まだ少し幼さの残る、幼い声。
歌うような、愛でるような、そんな口調が耳に残っている。
考えられる可能性としては…あれが、僕の記憶だということだ。
忘れていたものが、翡翠の言葉で思い出されたということだろうか。
だが、幼少期から今まで考えても、翡翠以外に僕を紫杏と呼ぶのは兄しかいない。
更に、色で言うなら兄はどう転んでも青ではなく、紫だ。
ということは、あれは兄の台詞ではない。
なら、あれは記憶ではないということだろうか。
しかし、あの瞬間湧き上がった二つの思いは、到底幻聴や妄想によるものとは思えなかった。
では、僕が覚えていないだけで、誰かに昔言われたことがあるのだろうか。
幼少期の記憶はかなり曖昧なので、僕を紫杏と呼ぶ友人がいても可笑しくはない。
それなら、一切記憶に残っていないというのも不思議だな、と思う。
僕が薄情なだけかもしれないけれど。
もう一つ、これは僕の考えすぎかもしれないが…
今、僕に『俺と同じで青だ』と言ったのは、翡翠だったのだろうか。
少なくとも、言い終わった後の瞳の色は翡翠のものだったけれど、何か…どこか引っ掛かるような…
やはり、考えすぎなのだろうか。
カフェでの一件が、思いの外僕を疑り深くさせている気がする。
ふと、無言で歩き続けていたことに気付き、ちらり、と振り返ると、翡翠が一点に視線を向けて頬を微かに赤らめていた。
訝しく思ってそちらを見て、
勢い良く手を振り解いた。
「ゎ…悪い、こんな…馴れ馴れしい真似を…」
考え事に気を取られすぎて、翡翠の手を引いたままだということを忘れていた。
「ううん、大丈夫。でも…足元、危ないから手、繋いでよ。」
「君、さっきまで普通に歩いてただろ?」
ジト目で見つめると、
「さぁ?どうだったかな。」
惚けつつ、僕に手を差し出した。
「どうせ断ったって『お願い』するんだろ…」
「嫌?」
「………嫌、ではないけど…」
観念して翡翠の手を握る。
その瞬間ぱっと輝いた笑顔に、うっかり見とれてしまった自分に気付き、頭を抱えたくなった。
…あぁもう、翡翠には適わないよ。
【Continued.】




