月と星
―episode 20: 月と星 ―
「お待たせーっ!」
店の扉が勢い良く開かれ、翡翠が顔を出す。
カランカラン、とドアベルの澄んだ高い音が鳴るのが耳に心地良い。
「…随分と買い込んだな。」
手にした紙袋のサイズを見て少し驚くと、翡翠は軽く肩を竦めた。
「ここ、凄く俺の好みのものばっかり置いてるからさ。今からどうやって部屋に飾るか悩んじゃうよ。」
「そうか…気に入ってもらえたようで何よりだ。ところで翡翠、」
「ん?」
「ちょっとそこに座ってくれ。」
店の前のベンチを指差すと、翡翠は大人しく腰掛けた。
僕も翡翠の隣に座ると、鞄からブラシを出す。
「紫杏さん?」
二、三度軽く梳いて、いつも翡翠がしているように、左側に髪を編んでいく。
艶のある翡翠の髪は少し気を抜けば指からさらさらと流れ落ちてしまうため、かなり苦戦させられる。
よく、綺麗な髪のことを『絹のような手触り』と言うけれど、この光沢と滑らかさはむしろサテンのようだ。
ある程度まで編み終わった所で、紙袋の中から先程買ったゴムを取り出し、飾りが正面を向くように結ぶ。
「……はい、完成。折角包装して貰ったし、本当は紙袋ごと渡した方が良いんだろうけど…」
「え、えっ、ありがとうだけど、何でプレゼントなんて俺に、」
「一応、昨日の詫びのつもりだ。ゴムが切れたと言っていただろう?」
「わざわざ…そんな、大丈夫なのに…。でも…困ってたから、助かるよ。ありがとう。」
嬉しそうに微笑むと、髪を持ち上げてゴムを眺める。
僕が翡翠に贈ろうと決めたのは、三日月をモチーフにした金色の装飾がついている深緑色のヘアゴムで、動く度に揺れるようになっているのが、特に僕の気に入っているポイントだ。
3cm弱ほどもあるその装飾部分には、かなり精緻な細工が施されていて、中央より下辺りに、小さな淡緑色の石が一つ嵌め込まれている。
同じようなヘアゴムでも、他にも星形、ハート形、円形、それから十字架形なんかもあったのだけれど、昨日翡翠を見てかぐや姫を連想したこともあり、月を選ぶことにした。
ちなみに、形だけではなくカラーバリエーションも豊富で、店頭に出ていない在庫も含めれば、一種類につき7、8色もあるそうだ。
「そのストーンだけど…本当は翡翠があれば良かったんだけどね、そういうのはなかったから、色の近いグリーンフローライトにしてみたんだ。」
「そうなんだ……うん、すっごく綺麗。」
太陽の光を反射してキラキラと煌めくそれを、翡翠が指でつついて揺らす。
「俺、友達から何かプレゼントを貰ったのって初めてだから…何だろう、嬉しいな、ドキドキする。」
「…君は、一々大袈裟だな。」
ほんのりと頬を紅く染めながら、心底嬉しそうに笑う翡翠が眩しくて直視出来ず、さり気なく目を逸らした。
何となく気不味い雰囲気が漂い始めたところで、翡翠が慌てたように紙袋の中に手を突っ込んだ。
「あ…えっとね、…実は俺も、…」
そう言いながら目当てのものを見付けると、翡翠は僕の方に向き直った。
「目、瞑って。」
言われるがままに目を閉じると、翡翠の指が僕の左頬に触れた。
そっ、と髪が耳に掛けられる。
金属の冷たい感触が肌を滑り、パチン、と耳元で音がした。
「はい、もういいよ。」
目を開けて、差し出された鏡で確認すると、深い海のような碧色の、楕円形の大きめのヘアピンが留められていた。
レジンで作られた表面は水面を連想させるが、底に散らしてあるラメと、端に2つ嵌め込まれた銀の星の所為で、同時に空のようにも見える。
ほぅ、と、感嘆とも溜息ともつかない声が口から漏れた。
「綺麗……」
「でしょう?紫杏さんにぴったりだと思って選んだんだよね、これ。」
「でも、お詫びをする側の立場の僕がこれを貰う訳には…」
「貰ってよ。今日一日は俺のお願い、何でも聞いてくれるって言ったじゃない。」
まさかこんなお願いをされるとは予想外で、驚いて鏡から顔を上げた。
「君、それは…」
「貰ってくれないの?」
「……………解ったよ。これは有難く貰っておく。…あぁでも、本当に済まないな、色々と、」
「あ、あともう一つ。今日は謝るのも遠慮もナシね。破ったらその度にペナルティーだから。」
「はっ!?」
人を喰ったような笑みを浮かべる翡翠に抗議の目を向けるが、しれっと目を逸らされる。
「………あぁもう解ったよ!今日一日僕は傍若無人に振る舞ってやる!それで良いんだろ!」
口笛でも吹き始めそうな翡翠にヤケクソになってそう叫ぶと、彼は声を上げて笑い出した。
何故笑われたのか解らずに戸惑う僕の膝に置いた手を、翡翠がそっと握る。
「うん、うん…それでいい。気を遣わなくても、我慢しなくてもいいから、思ったことはそのまま言ってよ。いつもみたいに、周りのことばっかり考えて賢く大人に振る舞わなくていい。ちょっとくらい我儘だって言ったっていいから、今は自分のことだけ考えてて。きっと君は、その方がずっと魅力的だ。」
どくん、と、心臓が跳ねた。
言葉が、刺さる。
自分の内側に隠していた敏感な部分に、明確な痛みを以て、突き刺さる。
「…僕はそんな大層な人間じゃないよ。」
荒れた心の中を無理矢理鎮めて取り繕った僕の笑顔を、翡翠の淡緑色の瞳が射抜く。
数分にも感じる時間の後(実際は数秒だっただろうが)、翡翠はようやく目線を外して苦笑した。
「……そう。」
憐憫と悲哀と諦観が少しずつ入り混じったその声に、居たたまれなくなって立ち上がった。
「………次の場所に行こうか。」
燦々と差す陽が、今は少し恨めしく感じた。
【Continued.】




