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ものもらい(前編)

陸奥国陸中、即ち岩手県。

日本においては北海道に次ぐ面積を持つ、広大な地。

それでいて山地面積の割合も高く、交通インフラの整備が遅れている事も相俟って、移動も未だ容易ではない。

そんな状態であるから、山間の集落はまさに、各々が陸の孤島と言うべき様相を呈している。

現代ですらそうであるのだから、昔はより隔絶した地域であった筈であり、集落ごと小さな社会を作り、人々は生きてきたのだろう。

そんな歴史的な事情がある以上、それぞれの集落に、独特のルールや文化…、所謂風習があるのは、ある意味当然のことなのだ。

…これは、そんなとある集落の、とある風習についての話だ。






「おお、こんなだよ。こんな。まさにこんな感じの場所だよ。」


和男が私の肩を叩きながら、しきりに声を出す。

心なしかその目は輝き、声も弾んでいるように聞こえる。

どうやら、はしゃいでいるらしい。


「...何がこんななんだ?」


対して私は辟易しているかのように、ため息混じりに言葉を返した。

いい歳した強面の男が、子供のように窓から風景を眺めてはしゃぐその光景。

…周りからの視線も、考えてほしいものだ。


「俺の住んでるところが、だよ。こんな感じに山に囲まれてて、田圃や畑があって、それぞれの家が離れてて...。」


あまりにも五月蝿いものだから、私はちらりと車窓の外へと目をやった。

そこには確かに、和男のいう通りの風景が広がっている。

私としても、こういう雰囲気の場所は嫌いではない。

ただ、和男のようにはしゃぐ気にはならない。

こいつを見ていると、はたして他の男も皆、こんなに子供っぽい一面を持っているのだろうか…と考えてしまう。


「言っとくがな、和男。遊びや観光じゃないんだからな。」


「いやあ、悪い悪い。しばらく都会住みだったからな。懐かしい気持ちになっちまった。」


姿勢を直し、シートの上にその巨体を乗せる。

あの田舎町を都会というその感性はどうかと思うが...このような所に住んでいれば、それも仕方ないのかもしれない。


「んで、あとどれくらいこうやって電車に揺られてればいいんだよ?」


「あ?ああ、まあ...30分弱ってとこかな。やっとここの固いシートから解放されるってのぁ、有難いね。」


流石に数時間、ただ座るためだけに作られたこのシートの上にいるのは辛かった。

腰を軽く捻ると、大きな音を出して関節が鳴る。


「...なんつったっけ?その集落。依頼先の...。」


来井くるい村...。人口数百程度の、ほんの小さな村だとさ。」


日諸市とは真逆の、内陸部にある山中に孤立した村。

一応同一県内にありながら、私はこの村の名を聞いたことが無かった。

日本は狭い狭いとよく言われるが、住んでいる地域の事でも、知らないことがまだまだ沢山あるらしい。

今回の依頼は、直接私たちの所に来たものでは無く、同業者の間を巡り巡って、回って来たものだ。

今のご時世、こんな商売を生業とする人は多くない。

光が溢れ、怪異と遭遇する事例も少なくなった昨今、同時に仕事の数も少なくなっているのだが、それでも人手が足りなくなってしまうことがある。

そんな時は、同一県内の同業者に依頼を回していくのだ。

ある種、同業組合のようなものがある、と考えれば間違いではない。

暫くして来井の駅に到着し、私達は荷物をまとめて電車を降りる。

田舎らしく駅員はいないようで、構内は寂寞としていた。

据え付けられた運賃箱に、無造作に乗車券を放り込み、外へと歩を進める。

すると、この村で最初に私たちを出迎えてくれたのは、酷く冷たい風だった。


「…ちょっとまて宮比。こんなに寒いだなんて聞いてねえぞ。」


その出迎えに対して、和男が不満を漏らす。


「聞いてなくても察しとけ。ここは東北だぞ。寒くないわけないだろう。雪がないだけ有難いと思え。」


「いやこれだったら雪が降ってた方が遊べるだけまだマシだったぞ...。」


そんな、この上無くどうでもいい言い合いを、人通りのない往来でしていると


「あの、すみません。お二人が原江さんと、茅輪さんですか?」


と、声を背後から掛けられた。

振り返ると、眼鏡をした、歳は40代と言ったところの男性が立っている。


「はい、そうですが。」


答えると、如何にも困った、といった風の表情を見せた。

そして何かを警戒するように辺りを見回した後、小声で


「あの、すみませんが付いてきて下さい。こちらです」


と言って、舗装も不十分な小道を行こうとする。

私と和男は互いに顔を見合わせたが、かと言って付いて行かないわけにもいかない。

黙って、男性の行く道を後ろから辿る。

すると近くに白色の軽自動車が停められており、男性はその鍵を開けて、乗るように言った。

私が助手席に、和男が後部座席に乗り込むと、男性は車を発進させる。


「...こんな辺鄙なところに呼んでしまい、申し訳ありません。私が依頼主の落合です。」


そこでようやく、その男性...落合さんは言った。

どうやら外で話はなるべくしたくなかったらしい。

何か事情があるのだろうか。


「これから、何処へ向かわれるんです?」


「私の家です。家はここからさらに離れた集落にあるので...。」


流石にそれには私も驚く。


「家は来井村にあるのではなかったのですか?」


「いえ、同じ来井村にあるにはあるのですが...私の住む集落はそこからまた隔離されたような形の場所にあるので...。」


陸の孤島は一つではなく、更に大島と小島に分かれているということか。

30分ほど車に乗り、幾つかのトンネルを潜ったところで、ようやくその集落に出た。

景色としては、先ほどいたところとあまり変わらない。

やはり、家屋が点在している寂しい集落だ。

住人の姿も、特には見当たらない。

落合さんは車をその内の一軒の家の傍に停めると、素早く降り、家の鍵を開けた。

それだけで、私達にも同様に、迅速な行動を求めていることを悟る。

二人ほぼ同時に車から降り、そして促されるままに家の中に入ると、落合さんがすぐその後に続き、内側からしっかりと鍵を閉めた。


「...すみませんね。忙しなくて。」


「構いませんよ。理由があるのでしょうから。」


敢えてその理由は問わずにそう言う。

落合さんはまた小さくすみません、と言うと、奥へと案内をしてくれた。

家には他に人はいないようだったが、一人暮らしにしては大きな家だった。

部屋数もそれなりにあるし、家族がいる、若しくはいたのは間違いないだろう。

通された部屋に入ってあてがわれた椅子に座ると、そこでようやく落合さんも些か落ち着いたようだった。


「それで、依頼というのは?」


それを見計らって、私はそう切り出す。

少しの間黙り込み、何事かを考えていたようだったが、やがて彼は口を開く。


「...この集落の悪しき風習の根絶...でしょうか。」


...流石に言葉が出なかった。

しばらく固まり、その意を解そうとする。

正直、請け負った事のない依頼だったのだ。


「えっと...それは一体どういう...?」


「す、すみません。ちょっと、なんて言えば良いのか分からなくて...。」


慌てたように落合さんは謝り、また考えるような格好をとる。

しかしやっぱり言い方に迷っているようで、中々再び口を開かない。


「そうですね...ならその風習について、教えていただけませんか。一体どういう風習なんです?」


助け船をだすと、落合さんは風習について、掻い摘んで語り始めた。

この集落はさっきのとおり、かなり孤立した場所に存在している。

そのせいか行政の手が届きにくい面があり、一種の無法地帯のようになっているらしい。


「ここの集落の長、というべき家があるのが、一番の問題点なんです。」


「長?」


「ええ。この部屋からも見えるのですが...あの窓を覗いてみてください。外から見えると厄介なので、レース越しに。」


言われた通りにして見ると、山のなだらかな斜面に立つ、古い日本家屋があった。

作りは立派ではあるが、決して大きな家ではない。


「彼処が、長の家ですか。」


「ええ。犬部、という苗字の家なのですが...今は老いた女性が一人いるだけです。最も、その世話をするために村人の何人かが住み込んでいますけれど。」


「そこまでして人々が尽くすって辺り、やっぱり格別な存在なんだな。」


確かに、使用人として雇っている訳でもないのに世話をするというのは、怪しいほどに献身的だ。

私達には分からない、彼等なりの何かがあるのかもしれないが…。


「それで、何故その家が一番の問題点なんです?」


「それは...。」


落合さんが何かを言おうとした時、家の玄関から音がし、廊下を歩く足音が聞こえてきた。

3人の顔が、部屋の扉に向けられる。


「っ.....。」


がらりと開けられた扉の向こうに、1人の少女が立っていた。

小学生高学年くらいだろうか。夕よりは幼く感じた。

見知らぬ人物が2人もいたせいか、少し怯えた表情をしている。


「ああ、おかえり百合奈。学校は終わったのか。この人たちはいつもの人たちとは違うから、安心しなさい。」


落合さんがそう言ったが、それでも恐怖は拭えないのか、ぺこりと小さく頭を下げるとそのまま彼の後ろに隠れてしまう。


「こら...しょうのない子だな。すみません、お二方...。」


「いえいえ、お気になさらず。寧ろ怖がらせてしまって...。」


笑顔でそう言った和男は、直ぐに顔を此方に向けて呟く。


「...やっぱり俺の顔のせいかな?」


「...多分、顔だけではないと思うが。」


人一倍しっかりしたがたいの和男を見ながら、私は答えた。

最早このやりとりも煩わしく感じる。

とにかく今は話し中であるということで、落合さんは百合奈と呼んだ少女を二階に上がらせる。

そして一人帰って来ると、物憂げに溜息を吐いた。


「...今のが娘の百合奈です。実は、問題とはあの子絡みの事なので...。」


「それは一体どういう...?」


「先程の通り、犬部という家はこの集落では特別な存在です。それでいて、今は老婆が一人いるだけの家。つまり、跡取りがいない、というのが今のこの集落での最大の問題点なんです。」


そこで私は彼の言わんとすることを理解した。

そしてそれは、和男も同じだったようだ。


「まさか、養子縁組....?」


思わず出た言葉に、落合さんは深く頷いた。

犬部家の跡取りとして、百合奈ちゃんを迎え入れようと...そう言う話なのだろう。


「頻繁に犬部家の信奉者たちが私の家に来て、娘を養子に出せと言ってきていまして...。どうやら犬部家としては出来るだけ若い方が良いらしく、この集落では、一番若いのは娘なので...。」


来る度に何とか理由をつけて先延ばしにはしてきたものの、相手も簡単には諦めない。

最近では来る頻度が増えており、もう限界に近いそうだ。

また、あからさまな嫌がらせを受けることもあり、これは気のせいかもしれないが、監視されている様な気がする時もあるという。


「しかし百合奈ちゃん本人や、実父である貴方が拒否すれば、向こうだって強制は出来ないのでは?」


「言ったでしょう。ここは行政の目が届きにくいと。この集落社会で絶大な権力を持っている犬部家に逆らいでもすれば、村八分で済むかどうか...。最悪、危害を加えられる可能性も捨て切れない。…この集落の悪しき風習、それはつまり、犬部家は絶対的存在である、ということなのです。」


田舎の闇を垣間見たような思いだった。

いや、実際見てしまったのだが...。

とにかく、今まで出会ったことのない難題に、私は戸惑ってしまった。

一体、どうすれば良いのだろう。


「...あの、ちょっと良いですかね落合さん。」


するとそこで、和男が挙手をするかのような調子で口を開く。


「何でしょうか?」


「...すみませんけどこれ、我々に依頼するような案件ですかね?」


場に流れる沈黙。

...まあ、確かに重大な問題であるのだが...。

言われてみれば、今のところ、怪異の影は一切ない。

これなら警察なり弁護士なり、法曹関係の方へ話を持っていくべきではないだろうか。


「...そうでしたね。まだ言ってなかったのですが、犬部家がどうにも、そう言った類のものなのではないか、と思っているのです。」


「犬部家が...?」


「はい。その犬部の当主...どうにも奇行の多い人物でして。常に何事かをぶつぶつと喋っていたり、かと思えば突然奇声を上げたり。山の中で奇妙な躍りをしていたとか、暴れていたとか…更には、これはあくまで噂なんですけど、虫や蛙を捕まえては食べていたという話もあるくらいで…。また、現当主だけでなく、前当主についても、不気味な話が伝わっているのです。」


彼が言うにはこうだ。

彼の亡父が子供の頃、今から約70年程前のこと。

当時から犬部家は断絶寸前の状況になっており、当然、養子を取ろうということになった。

その時はすんなりと話もまとまり、特にいざこざもなく、選ばれた娘、今の当主が犬部家に入った。

しかし、問題になったのはその後だ。

それから程なくして、当時の当主が死体で発見されたのだという。

場所は集落に程近い、崖下。

当然集落は大騒ぎとなり、殺人が疑われ、流石に警察まで動いたらしい。


「しかし、その当主の死体を検死した結果、何故か脳がなかった、というのです。」


「脳が...?」


「ええ。結局、その理由は謎のままで、殺人だったのかどうかさえ解らなかったそうです。最初は昔話だから誇張もあるだろう、とは思っていたのですが…。」


なるほど、確かに不可解な話だ。

変死した前の当主。

現当主の奇行。

そして、この集落における異様な犬部家の権力。

俄然、怪異の匂いがしてくる。


「こんな小さな集落の中です。例えば養子に出したとしても、その成長を見守ることくらいは出来るでしょう。それならそれでも、良いと思えないこともない。しかし、そんな不気味な家に送るというのは...親としてはしたくないのです。」


断腸の思い、といった表情を浮かべる落合さん。

…最近、夕を預かってから、わかる様になったことがある。

それは、親心だ。

親として最も願うことは、子の健やかな成長。

だからこそ、私にはこの父親...落合さんの気持ちが、痛いほどにわかるのだった。


「...和男。お前はどう思う。」


「...その当主の奇行、俺から言わせれば憑き物にありがちな症状だ。実際、もっと情報が無いと確定は出来んが。」


和男も、そっちの方で考えは固まった様だった。

互いに頷き、私は落合さんへ向き直る。


「わかりました。この依頼、引き受けましょう。犬部家の件は任せて下さい。」


言い切った私達に、落合さんは涙を見せて頭を下げる。

...今回の依頼は、これまでに無いくらい難しいものになるかもしれない。

信奉者に囲まれた犬部家に、部外者である私達が近づくことは、容易いことでは無いだろう。

しかしそれでも、事情を知った以上は手を引くことは出来ない。

ましてやそれが、怪異が原因であるのなら──。

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