天辺塔
私は呆気に取られていた。
いや、正確には私と美琴ちゃんが、である。
「…場所、間違えてないよね?」
「うん…確かにここだった…と思う…。」
私たちが、この場所で何を見たのか。
──幾分か、今より時間は遡る。
何時ものように、学校から帰っている時のこと。
とにかく寒い風に身をちぢこませ、私たちは帰路を辿っていた。
「あー、寒い寒い。なんでこんな北の田舎に産まれちゃったかなあ私は。」
寒さが苦手な美琴ちゃんは、コートを頭まで上げながらそう嘆く。
今の彼女の格好を例えるなら、寝袋を着ている状態を思い描けば大体当たっている。
「まあ、寒いのは辛いけどさ。でも冬もいいところあるじゃない。雪も積もれば色々と遊べるし。」
雪だるまを作ったり、かまくらを作ったり、雪合戦をしたり。
大人は雪を嫌うが、子供にとっては玩具に近しい。
私は密かに、この地を雪が覆うことを楽しみにしていた。
「………積もらないよ。」
「え?」
「内陸部ならともかく、沿岸部は降っても殆ど積もらないよ、雪。」
美琴ちゃんの一言は、私のそんな楽しみを一撃で消し去った。
「ええ!?そ、そうなの?」
「そうかー。夕子ちゃんはこの町の冬は初めてだもんね。なら知らなかったのは無理もないか。でも諦めたまえ。私の経験では、そんなもんよ。」
がーん、という音が頭に響きそうな衝撃だった。
冬におけるほぼ唯一だった楽しみが、こんな形で破れるなんて。
「まあそんな事はおいといてさ。冬といったらやっぱりあれでしょあれ。」
「……あれ?」
「それは…怪談です。」
……。
…………。
いや、怪談は夏でしょ。
至極当然のように、私は彼女に突っ込む。
「甘いね夕子ちゃん。確かに夏も怪談の季節だけどさ。冬も怪談の季節なんだなこれが。」
「いや、だって怪談って涼むためのものでしょ?」
「怪談で涼しく感じるのは、夏が暑いからです。冬の寒さからすればその涼しさは寧ろ暖かい。つまり、冬に怪談をすれば逆に暖まれるのだよ!」
自信満々にそんな超理論を展開する美琴ちゃん。
一瞬成る程、と思ってしまったが、よくよく考えてみればやはりおかしい。
椎名さんが美琴にとっては一年中怪談の季節だとか言ってたけど…一応こういう理屈らしい。
「でももうネタ無いんでしょ?」
「…そうなんだよね。大体もう調べ尽くしちゃってさ。」
さっきまでの勢いは何処へやら。
急にがくりと頭を垂れる。
メモ帳数冊分にも及んだ彼女の怪談ネタは、もうとっくに枯渇していた。
従って、最近部活はすっかりと鳴りを潜めている。
「………あれ?」
突然、美琴ちゃんは訝しげな声を出した。
一点を見詰めて、ただ首をかしげている。
「どうしたの?」
「いや、あんなところにあんな塔みたいなのあったかな、と思ってさ。」
指差す方向に目を向けると、遠く小高い山の上に、ぽつんと塔が立っていた。
形で言うなら、五重塔みたいな感じだ。
「うーん、覚えてないけど…でも、実際あそこにあるんだから、あったんじゃない?」
そう返すも、納得できない様子の美琴ちゃん。
「じゃあ、最近建てられたんだよ。」と言っても、彼女は頷かない。
「支線塔が最近できたのは聞いたけどさあ。そもそも今時五重塔とか作らないんじゃない?」
支線塔というのは、自立式でない鉄塔のことらしい。
ワイヤーを周りに張り巡らし、それで本体を支えている。
それが最近この町の近くに作られ、どこからでも見える存在となっていた。
その高さ、実に100mに迫るという。
「…まさか、あれ怪異なんじゃないの?」
「ええ?」
端から見れば、これまた超理論だろう。
不可思議な事があれば、すぐそこに考えが至ってしまう。
慣れというのも考えものかもしれない。
「でも前に家の幽霊が出たって話聞いたらしいじゃない。隆斗のお祖父さんのやつ。」
「ああ、家門戸のこと…。確かにそう言われれば、五重塔の幽霊、というのもあり得るのかな?」
「ねえ、もうちょっと近づいてみない?」
「うーん……そうだね。そうしてみようか。」
私は美琴ちゃんの提案に乗った。
何だか、あれに対して持ち前の好奇心が出てきたのだ。
「じゃあ、決まり!久々の部活と洒落こもう!」
指をぱちんと鳴らし、美琴ちゃんは歩みを速める。
けれども、それとほぼ同時に一陣の風がこの町を吹き抜けた。
それはとても強く、体が圧されるほどだった。
たまらず私たちは顔を伏せ、それが通りすぎるのを待つ。
「うう、目にゴミが…。」
目を擦りながら、先程の塔にまた視線を合わせる。
すると、おかしな事が起こっていた。
「あれ…?」
なんだか、傾いている。
さっきまではしっかり直立していた筈なのに。
最初は、ピサの斜塔くらいの傾き。
それでも、見ればすぐわかるほどに傾いていた。
そしてそこから、見る見るうちにそれは大きくなっていって──。
やがて音もなく、倒れてしまった。
「……。」
「……。」
二人とも、暫く無言でその様子を眺めていた。
けれどもすぐに我に帰り、急いで現場まで駆けつけた──
──のだが、その現場と思われる場所には、何もなかった。
倒れた塔も、何も。
そもそも、建築物自体、その山には一切無かったのだ。
「…なんだったんだろうね、あれ。」
やっと、そんな言葉がでた。
美琴ちゃんはそれに対して、ただ「さぁ…。」と答えた。
やっぱり、何らかの怪異だったのだろうか。
結局謎も解けないままに、私たちは再び帰路につく。
途中で美琴ちゃんと別れ、私は自分の家へ。
玄関の扉を明け、帰宅を告げる。
「おうお帰り、夕。…どうした、何かあったのか?」
流石に勘が鋭い宮比さん。
いや、それとも私が分かりやすい顔をしていたのか。
「いえ、その…何か変なものを見まして。」
「変なもの?」
私は事のあらましを宮比さんに告げる。
最初は真面目な顔をしていた宮比さんだったが、塔が倒れた、という場面のところで急に笑いだした。
「え?なにか面白いところありました?」
「いや、まぁ…そうかなるほど。そりゃア確かに、可笑しな事だったって思ってな。夕、お前らが見たそいつは、“天辺塔”だよ。」
「てっぺんとう?」
「天辺塔はな、その名の通り高層建築の姿をした怪異だ。この地方の昔話に、とある旅人が遠くにあった高い五重塔を目印に歩いていたところ、見る度に位置を変えられ道に迷ってしまっ た、というものがあるんだが…その怪異の名前が、天辺塔というのさ。」
なるほど、確かにその話に今日見たものは似ているかもしれない。
五重塔の怪異、というところは一致している。
…でも、位置を変えるだけ、なのだろうか。
「倒れる、という話じゃないんですか?」
「まあ待て。あくまでこれは、昔話。最近は少し、事情が違う。」
「事情?」
「昔のこんな片田舎ならいざ知らず。今はこの街にも、高い建物が出来てきただろう。」
天辺塔はとにかく目立つために、誰よりも高く在ろうとするという。
だから、ビルや鉄塔が建てられると出現し、高さを競いあうのだそうだ。
「だけれど、最近の建造物の高さには奴さんも参ってるみたいだな。高さを競いあってる最中に、倒れてしまうことがままあるんだよ。」
無理をして背伸びをし、バランスを崩したようなもんさ、と宮比さんは説明する。
高い建造物、という単語で私はぴんときた。
「まさか、今、天辺塔が競ってるのって…。」
「そう。この前完成した電波送信アンテナ…高さ100mにも迫る、あの支線塔だよ。」
私はそこでやっと、宮比さんの笑った意味を悟った。
そして、私自身もまた吹き出してしまう。
流石に幾らなんでも、高さ100mを相手にするのは無謀というものだろう。
「天辺塔の正体として挙げられているのは、昔実在していた五重塔の亡霊だとか、狸や鼬の化けたものだとか言われているが…まぁ悪戯好きなところから、私は後者の説だと思うがね。」
鼬やらが一生懸命それらに高さで勝とうと頑張っている所を想像すると、更に愛着さえ湧いてくる。
いつかは勝てるように頑張ってほしいと、応援すらしたい気持ちだ。
「まあ一応、今までの勝負には何度も倒れながらも勝っているから…いつかは越えることも無きにしもあらず、というところかね。」
その努力の姿勢だけは見習いたいものだね、と言って、宮比さんは締め括った。
どうやら夕食の支度をしていたらしく、そのまま台所の方へと入っていく。
私も取りあえず、そのまま鞄を置きに自分の部屋へと戻った。
すると──
「あれ…?」
その窓から見える、遥か本土の山の裾に、見慣れない塔が立っていた。
いつも眺めている風景であるから、その変化は先程より分かりやすい。
とても小さく見えるけど、距離を考えればそれなりの高さを備えている。
ああ、天辺塔だ。
さっき倒れたばかりなのに、もうまた支線塔に勝負を挑んでいるのだ。
それは暫くその姿勢を保っていたが、また風にでも吹かれたのか、案外と呆気なく、ぱたんと倒れて視界から消えてしまう。
(頑張って、天辺塔。いつかあの支線塔に勝てる、その日まで──。)
なんだか微笑ましいその光景に、私は素直にそう思った。




