類い者
最近、また妙なことが起こり始めていた。
といってもそれは、目にすることではない。
言伝てに、聞くだけのものだ。
「ねえ美琴。あんた昨日の夜、私の家の前通った?」
朝、学校にて。
椎名さんが美琴ちゃんに会うなり、そんなことを言った。
「……え?」
当の本人は全く心当たりが無いらしく、頭上にはてなマークでも浮かべていそうな顔をしている。
「私、昨日は家に帰ってからは一歩も外に出てないんだけど。」
「じゃあ、あれが噂の“偽美琴”ってわけ?見た目は間違いなくあんただったけど…。」
そう。
そんな、妙な話が広まっているのだ。
本人はここにいるのに、何処か別の場所でその人が目撃される。
怪談の中では、比較的ありがちな話だ。
「お前、最近ネタ切れだからって自作自演してんじゃねえだろな?」
「なにそれ!私が足しげく町中駆け回って、後はすっとぼけてるだけって言いたいの!?」
…ごめん、それはわたしも少し考えた。
でも美琴ちゃんはそんなことをするタイプではない…と思う。
「となると…やっぱり怪異なのかな?」
私の言葉に、椎名さんは首をかしげる。
「こんなのの姿になってどうすんのよ。もしそうなら、妖怪さんに理由を問いたい所だけど。」
「こんなのとはなんだ!こんなのとは!」
しかし、本当に何が目的なのだろう。
それの少し怖いところは、段々と目撃される場所が、此方に近づいている、というところだった。
最初は市外。そして次が市内のここから少し離れた町で、以降はこの町周辺。
そして遂に、椎名さんによってこの町で目撃された訳だ。
「これはあれか。ドッペルゲンガーとかいうのかな。」
隆斗くんが、聞き覚えのある名前を口にする。
最早説明不要の怪異。
確かに、話としては似ている。
「それ、本人が偽物みると死ぬんだっけ?そうなら確実に殺しに来てるね。」
「ひい、ちょっとその本人としては洒落にならないんですけど!」
そう言った美琴ちゃんは、少し青ざめた顔をしている。
確かに、正体不明のものが近づいているというのはやはり怖い。
増してそれが、自分が標的なら──。
「ね、ねえ、今日夕子ちゃん家にいっていいかな…。」
そして話は、当然の如くいつもの方向へと向かう。
その申し出を断るはずもなく、私はただ頷いた。
「只今戻りましたー。」
がら、と家の扉を開く。
すると、そこにいたのは宮比さん…ではなく、茅輪さんだった。
「うわあっ!強盗だ、やくざだ、借金取りだ!」
見るなり、美琴ちゃんは後ろに飛び退いた。
そういえば、この前体調を崩してたから会ってないんだった。
私は簡単に茅輪さんのことを説明する。
「…ああ、椎名達の話に出てきたやくざ者の霊能力者ってこの人か。」
「一体どんな話に歪められてんだよ…。」
不満そうな顔の茅輪さん。
どうやら完全に3人の中では、彼はその筋の人にされているようだ。
「茅輪さん、宮比さんは?」
「ん?ああ、宮比は仕事に出てるぞ。つってもそろそろ帰ってくるとは思うが…。」
それなら暫く待ってよう、とのことで、私たちは居間に入る。
そしてテレビを見ながら件の話について話し合っていると、30分ほどで宮比さんは帰ってきた。
「おう、宮比おかえり。夕子ちゃんが友達連れて待ってるぞ。何か用みたいだけど。」
「はあ!?また面倒事持ってきたのか!?」
廊下から、そんな会話が聞こえてくる。
私が友達を家に連れてくる=面倒な事が持ち込まれる
そんな図式が宮比さんの頭のなかで出来上がっているらしい。
やがて居間の扉が開かれ、宮比さんが入ってくる。
そして、美琴ちゃんを見るなり
「うわっ、最上級かよ…。」
と漏らした。
しかも、露骨に嫌そうな顔をして。
「ちょっと、どういう意味ですかそれ!」
「自分の記憶に聞いてみろって。んで、どんな面倒な話持ってきたんだよ?手短に頼むぞ。こちとら、仕事上がりで疲れてんだよ。」
確かに、妙にその顔色は悪い。
どこか悪いのかと疑いたくなるほどの血色の悪さだった。
その事が少し、宮比さんを巻き込むことを躊躇させたが、かといって他に頼れる人も思い付かない。
私は簡単に、事の次第を告げる。
「…堀野サンが二人?」
「いや、二人かはわからないですけど…。私に覚えのないところで、私が目撃されてるのは確かです。」
宮比さんは何事かを考え始める。
「いや、まさかな…だが、もし本当だとするなら…。」
そんな呟きが聞こえてきた。
それから察するに、心当たりは有るようだ。
「やっぱり、ドッペルゲンガー何ですかね。そいつと会うと、私死んじゃうとか…?」
「ドッペル…?ああ、影の病のことか。まあ、それとも考えられるが…。段々と近づいてきてる、となると違うんじゃないかな。」
「一体、何の怪異なんですか?」
重ねて私が問うと、宮比さんはゆっくりと顔を上げ、此方を見据える。
そして、口を開いて言った。
「私の知る妖怪の中で、そういう話を伴う奴はただ1つ…。恐らくは、“類い者”だ。」
「タグイモノ?」
「類い者は確かに、影の病とに似ている。同時刻に別々の場所で、一人の人間が目撃されると言うところは特にな。」
「似てるどころか全くおんなじなような。」
「いや、影の病は自分の魂が抜け出るがゆえに起こる、所謂“離魂病”だが…類い者は違う。妖怪が姿を真似ることで起こるものだ。」
つまり、他のところで目撃された美琴ちゃんは、妖怪が化けたものだったと…。
「だとすると随分大胆な妖怪だなあ。私の姿をしてるとは言え白昼堂々と…。」
「あ?白昼堂々?そいつ昼間にも目撃されてんのか?」
「…そう言えば偽物が目撃されてるのは夜中か夕方だけだった。すいません言葉のあやです。」
「その類い者というのは、昼間は出ないんですか?」
「ああ、そこもまた影の病との違いさ。類い者は夜中か逢魔時しか現れない。それは、まだ不完全な人としての姿を誤魔化す為とも言われている。…が、親しい長束サンが見紛える程となると、もうかなり最終段階まで来てやがるな。来るとすれば、今夜辺りかな…。」
「…どういう、意味なんです?」
その言葉の意味を問うと、宮比さんは左の掌を此方に見せる。
“まあ待て”という事なのだろう。
何処からか煙管を取り出すと刻み煙草を盛り、火を着けて一息吸う。
開け放たれた掃き出し窓から外へ、火の着いたままのマッチを放ると、それは地面に落ちた瞬間、火の気を失った。
「類い者が人の姿をとるのはな、その本人ととって代わる為なんだよ。」
「え…?」
「何度も人の姿を模すのは練習のため、人前に出てくるのは上手く化けられてるか確認するため、近づいてくるのは、その本人の顔や立場を奪うため…。古書はそう言っている。」
「じゃ、じゃあ私…ひょっとしてかなり危険…?」
宮比さんは、頷いた。
「ひょっとしなくても、危険だ。とはいえ、祓う方法が無いわけでは無い。ただ…。」
「ただ?」
宮比さんはそこで言葉を濁らせる。
少し、言いにくいのだろうか。
一口煙管を吸い、煙を吐いてから、漸く続きを話始める。
「確実な祓い方じゃあ無いのが1つの問題。んで、もう1つの問題は…少し、酷なんだよなあ…。」
「え?」
100%祓えると言うわけでは無いのは確かに懸念材料である。
でも、酷だというのはどういう事だろうか。
「ま、危急の時だ。あれこれ言ってはおられんか。時に堀野サンよ。今夜は遅くまでここにいて貰う、若しくは泊まって貰うが構わんかね?」
「あ、はい。親に連絡すれば大丈夫、とは思いますけど…。」
その後。
美琴ちゃんは家に連絡をしたり、宮比さんは一時何処かに出掛けたりと家の中が慌ただしくなった。
そして早めに四人で夕食をとったあと、そのまま居間に留まり続ける。
宮比さんの話では、何時来るか、というのは解らないそうだ。
でも、確実に標的の位置を探しあて、やって来るのだという。
「何で居場所が解るんだよ?」
そう尋ねたのは茅輪さんだ。
「んなもん解るか。本人に聞いてみないことにはなんとも言えん。ただ、文献には“類は友を呼ぶのようなもの”と書いてあった気がする。」
「なんだそりゃ…。」
レーダーのようなのが備わっているのかな。
そういう生き物、いるらしいし。
それ以外にも気になることは有ったようで、今度は美琴ちゃんが質問をする。
「…祓う方法ってのは、どんなんなんですか?結界とか、張るんですか?」
「は?堀野サンそりゃあ漫画や昔話の読みすぎだよ。そんな大仰なもん扱える力、私には無いって。」
「ちぇっ、なんだあ。使うのが酷とか言ってたから、凄い力を使うのかと思ってたのに。」
私もそういうのを期待してたのは内緒。
そもそも、こういうあからさまな害意を持った妖怪を祓う、という状況が初めてな気がする。
「でも、ちゃんと対処の仕方ってあるもんなんですね。」
「いや、寧ろ対処のできる妖怪の方が珍しい気がするが…。その点で言えば、堀野さんは運が良いかな。」
「そうなんですか?でも蠱毒はちゃんと祓い方があるんですよね?」
「それはな、夕子ちゃん。蠱毒自体が人が利用するために発展してきたもんだからだよ。いざというとき、対処法がないと扱えないからな。」
なるほど。
利用目的で発展してきたかどうか、の違いか。
妖怪を利用する、というのはやはり難しいのだろうか。
その後も、色々と話をしながら相手の来訪を待つ。
7時、8時、9時…と、ただただ夜が更けていく。
一向に現れる気配はなく、今日はもう来ないんじゃないか、なんて思い始めたときだった。
不意に、変な感覚が私のなかに芽生えた。
そしてそれは、美琴ちゃん以外の全員が感じたようだ。
「ようやっとのおでまし、かな。」
「え?来たんですか?解るんですか?」
困惑の素振りを美琴ちゃんがしたときだった。
突如、ごぼごぼ…と言った水の音のような物が聞こえてくる。
それは、床下辺りからしているようだと気付き、私は居間の床を見つめる。
すると、信じがたいことに、板張りの床に、小さな水溜まりのようなものが滲み出ていた。
穴も空いていないのに何処から…と思いながらも見ていると、それは段々と広がっていく。
どう考えても普通じゃないそれを、宮比さんに知らせようと私は声を出した。
「み、宮比さん…、あれ…!」
「わあってるよ。黙って見てろ。」
やがてそれは湧き出る水のように、ある程度の高さにまで盛り上がる。
そして、みるみるうちに只のスライム状のような物から、人の形と解る程度の物へと変わっていく。
そして、目や鼻、口など、美琴ちゃんに似た顔に成りつつある、と解るようになったとき──
「おい、お前さんよ。」
そんな、余りに落ち着き払った声を出したのは、宮比さんだった。
それは私たちだけでなく、その異形にも意外だったらしく、それは変形をしばし止める。
「名前は、何と言うのだ?」
まるで、普通の人間に問うかのような質問。
宮比さんは一体、何をしようとしているのだろう。
「何時生まれだ?何処生まれだ?親はどんな人なのだ?」
怒濤の如く、その出自を問い掛ける。
その早さから、答えは余り気にしてないようだ。
けれども、それを聞いた異変が異形に起こった。
小刻みにふるふると体を震わせ、そして人の形がいつの間にか少し溶けかけてきている。
「父や母は、優しい人だったか?」
こくり、と静かに頷く類い者。
妖怪にも、親とかあるのかな…?
「そうか。さぞ辛いだろう。苦しいだろう。でも、だからと言ってお前さんのやろうとしていることは許されることじゃない。」
「………。」
「されたから、と同じことを他人にしていいのか?自分の塗炭の苦しみを、他人に味わわせていいのか?他人から、幸せを奪っていいのか?」
なんだか、説教みたくなってきた。
身を縮こませて震えている類い者が可哀想に見える。
「奪ったとして、それはお前さんの本当の家族じゃない。他人を陥れたとしても、手に入るのは偽りの幸せに過ぎんのだぞ?」
「………!」
「そもそも、人から奪った幸せに一体何の意味があると言うのだ?」
その言葉に、類い者は動きを止める。
そして、最早形が崩れ、辛うじて目と解る部分から一筋の液体を流し落とした。
「ごめ……なさ………」
酷く掠れた、けれども高めの声がその口から溢れる。
次の瞬間、蒸発するかのように、すうと消えていった。
「………納得してくれたか。」
ため息を吐きながらそう言うと、宮比さんは床の上に大の字になって寝転がる。
「え?あれでもう祓えたんですか?」
あっけなさすぎる、と言いたげな美琴ちゃん。
私としても、少し拍子抜けだった。
「そうだよ。お前ら本当に祓うって事に対して大袈裟なんだな。」
宮比さんは上半身だけを起こして、呆れたような顔をした。
「…あれ、人妖なのか。」
一人険しい顔をしながら、茅輪さんは呟く。
そちらの方に向き直ってから、宮比さんは静かに頷いた。
「そうだ。人より成りし妖怪だ。まあ、そもそもの“類い者”は、水の妖怪だったらしいがな。」
「…どういう事だ?」
「伝承曰く…ある所に、鏡のように扱われていた小さな池があった。それは意思をもち、日々人の姿を映しているうちに、人に成りたいと思うようになった。そして、ある日ある少女がその池を覗き込んだ瞬間、それはその少女の姿を模し、それが完成したとき少女の方は水のように溶けて消えたと言う。」
「じゃあ、あれはその少女の…?」
「いや、その何代か後だろう。類い者を追い払うのに失敗して、狙われた子が同じように溶けて消えたという話が幾つか残っているからな。」
宮比さんは立ち上がり、体の筋を伸ばす。
相変わらずその顔は、酷く悪い色をしているように見える。
「類い者の名前の由来は、人間だった頃の自分になるべく似ている子を狙うらしい、というところから来ている。そうすることで、人間に成り代わった後の自分に残る違和感を減らすためにな。しかし、そうそう自分に似ている子など、いる筈もない。」
「じゃあ、どうして…?」
「妥協、するんだ。親が違う、生まれた土地も、時代も違う、その成り代わろうとする本人でさえ、名前も、細かいところ諸々も違う。そう言うところは、目を瞑る。…その瞑った目を開かせるのが、あの説得なのさ。」
ここで漸く、宮比さんが酷だと言った訳が解った。
かつての自分の在りし日を、思い起こさせるあの話し掛け。
もう戻らないそれを、思い出させるのは確かに酷な事だ。
「…まあ、全てはそれを聞き入れてくれる良心が残ってること前提の祓い方だったんだけどな。」
「聞き入れてくれなかったら、危なかったってことか?」
「いや、その時はその時で別の手を打ってあったから大丈夫。不確実な事はせんよ。」
その別の手ってなんですか?と聞こうとしたとき、ふと何かの気配がなくなったような気がした。
余りに漠然とした感覚だったから、気のせいだったのかも知れない。
「その…類い者はもう私を狙ったりは…?」
「…記録を見る限り、二度目はない。その点はまあ、大丈夫だろ。」
ほっと、美琴ちゃんは安堵の表情を見せる。ともかく、事は無事に済んだのだった。
流石にもう遅いので、美琴ちゃんは家に泊まることとなる。
そして、深夜──。
喉の渇きに目を覚ました私は、自分の部屋をでて台所に向かう。
その時、居間から暗い廊下へ、光が漏れていることに気付く。
消し忘れかと思い戸を開けると、縁側に腰掛けながら喫煙している宮比さんの後ろ姿が目に入った。
「ん?どうした、夕。眠れんのか。」
「いえ、喉が渇いたので少し…。宮比さんこそ、どうして?」
見られたくないところを見られたのか、少し困ったような顔をして、頬を掻いている。
やはり、具合は悪そうな感じだった。
「いやな、私もそんなところだ。なんだか、眠れんのだ。」
何となく、私もその隣へ座る。
縁側から眺める外の世界は真っ暗で、ちらほらと人工的な光が見える位。
夜は、結構好きだ。
こう言うとよく、夕子なのに?と笑われるけれど…。
この島に打ち寄せられる、波の音。
秋の訪れを報せる、虫の鳴き声。
そして、遠く本土から聞こえてくる車の走行音。
私はそういった、夜でなければ聞き逃してしまうような音が好きだった。
自分の知らないところでも、様々な営みがあるのだと考えるのが、楽しかった。
「…ねえ、宮比さん。あの類い者の子…今頃どうしてるんでしょうね。」
「…たぶん、泣いてるんじゃないかな。私が昔を思い出させるような事を言っちまったせいで。」
人ととって代わろうと思うことは、確かにいけないことだけど…。
彼女の不幸を思えば、そう考えてしまうのも、仕方のないことのように思える。
一体どれ程の時を、泣いて過ごしてきたのだろうか。
「でも…寸でのところで思い止まってくれて良かったですね。」
「そうだなあ。人間だった頃は、さぞ良い子だったんだろうな。堀野サンに似て、明るくて、好奇心旺盛で…。」
宮比さんは煙管を咥え、口の中に煙を含む。
それが外へ吐き出されると、辺りはその独特の匂いに満たされた。
「…何となく、お前らの気持ち、解らんでもないわ」
「え?」
その言葉の意味が解らず、私は首を捻る。
それがまた恥ずかしかったらしく、宮比さんは頭を掻きむしった。
「いやさ、その…漫画や昔話に出てくるような凄い力に憧れる気持ちが、よ。もしも自分にそんなものがあったら、あの子とか、もっと沢山の人を救えるのになあ、って思えて仕方がねえんだ。」
言ってから、恥じらいを隠すためかそっぽを向いてしまう。
何だか今日の宮比さんは、やっぱりどこか変わっている。
その可笑しな様子に笑みを溢しながら、私は空を見上げた。
(ああ、もしかしてこれのせいなのかな。変わってるのは。)
一人、根拠のないことながら納得する。
星一つ見えない夜空を、妙に大きな満月が照らしていた。




