柱女
私は、鬱蒼とした森の中に立っていた。
まだ日の照っている時間帯であるのに、妙に薄暗い。
目の前には、古木と思われる大きな木がある。
太く、瘤が多く、幾年月を生きてきたのか。
見上げると、その木から幾つもの枝が伸びている。
それらがこの森から、日の光を奪っているのだ。
「見て、夕子ちゃん。」
今度は美琴ちゃんの指差す方向に、私は目を向ける。
一際太い枝の半ばほどに、途中で千切れた縄が結ばれている。
それは、かなり古いものなのか、風化して黒ずみ、言われなければ気付かない程に汚れていた。
「あれね、ここで誰かが首を吊った跡なんだって。」
「…ふーん。」
「怖いね。」
「……………………それだけ?」
「まあ、そういう噂の場所ってこと。幽霊が出たなんて話もあったけど。」
わざわざこんな森の中にまで入ってきて、嘘か真かもわからぬ縄を見せられただけ。
最近の美琴ちゃんの持ちネタ切れ感が、半端ない。
「もうちょっとマシなの無かったの?」
「夕子ちゃん、目が肥えすぎだよ。薄暗い森の中の人が死んだ場所、なんて普通に心霊スポットでしょ?」
まあ、確かにそうかもしれないけど、物足りなさは否めない。
兎も角いくら待っても幽霊が出そうにないので、森から道へと出る。
暗いところにいたせいか、光溢れるその世界が酷く眩しい。
「ていうかさあ、最近夕子ちゃん元気ないよね。何かあったの?」
「……。」
自分ではそんな風な自覚はしていなかったけれど。
やはり、他人から見るとそうなのだろうか。
原因は、宮比さんだ。
あの日、類い者を祓った日から、ずっと具合が悪そうなのだ。
顔色は相変わらず悪く死人の様だし、酷くやつれてきている。
何かの病気なのだろうか、と疑わずにはいられない。
……煙管の吸いすぎなのではないだろうか。
となると、肺癌…?
「まあ、言いたくないなら言わなくても良いくけどさ。元気出してもらわなくちゃ、こっちとしても心配だよ。」
「…ごめん。」
「謝ることはないって。兎に角、今回の噂は真偽不明…と。」
そう、いつものメモ帳に書き込む美琴ちゃん。
そして色々と話ながら道を戻り、もうすぐで市街地に着く、と言うときだった。
「…?」
道の脇、草木の繁った所に一人、人が立っていた。
その容姿は、一言で言うなら典型的な幽霊だ。
白装束に身を包み、顔は長髪のせいで見ることはできない。
体つきから、女性であることは解るが…。
何をするでもなくただ突っ立っている姿は、不気味と言う他ない。
「ねえ、なんかあそこにいる人、変じゃない?」
その人に聞こえないよう、小声で美琴ちゃんに伝える。
「え?人?何処にいるの?」
きょろきょろと辺りを見回す美琴ちゃん。
茂みにいるから、気づきにくいのかな?
その人の方を目立たぬように指差してから、ほら彼処に…と教える。
美琴ちゃんはじっとその方向へ目を凝らすが、やがて此方を見る。
「…何もいないけど。」
まさか。
視線の方向は、間違いなくその人の方を向いていた筈だ。
そこで私は宮比さんが何時だか、美琴ちゃんの霊感は弱いとか言っていた事を思い出す。
それが原因で見えていないというなら、あの人は幽霊だと言うことだろうか?
「何々?幽霊が見えるの?」
少し嬉しそうにして、美琴ちゃんはメモ帳を 取り出す。
先程の真偽不明の文字を消そうとしているのだろう。
「いや、でも…必ずしも彼処の幽霊とは限らないし。」
「いいからいいから。どんな幽霊なの?」
美琴ちゃんが詳しくその容姿を聞いてくる。
その服装、髪型、そして女性だろうということを伝えると、重ねて
「じゃあ、顔は?」
と聞いてきた。
顔は長髪でよく見えない、と言うと、じゃあ近付こうとの提案が。
「え?でも面白半分に近付くのは危険じゃないかな…?」
「大丈夫だって。どうせ此処通らなきゃ帰れないし、気付かないふりしてちら見すれば幽霊も怒らないって。」
…まあ、確かに。
道は他には無いし、あの幽霊が動かない以上、その眼前を通らざるを得ない。
しばらく考えた後、私はその提案に頷いた。
しかし、直ぐにその安請け合いを後悔する。
そもそも見えてない美琴ちゃんは、気付かない振りも何もないだろう。
けれど、見える私としてはその気付かない振りが難しいのだ。
それに近付くに連れ、気持ち悪さが強まっていく。
何時しかの、夜之坊の時に感じた気持ち悪さと似ているか。
つまり、怨念とかそういった嫌な念が感じられて仕方無いのだ。
それでも私は、何とかそれを抑え、丁度目の前を通ったときに横目でその顔を見る。
そして、思わず、ひっ、と小さく声を上げた。
虚ろな目をしているとか、顔中血塗れだったとか、それくらいなら想像していたから、声を出すまでには至らなかったただろう。
けれども、その何れでもなく──。
顔に、大きな目が一つ付いているだけだった。
絵で見るような愛嬌ある丸い目でもなく、左半分の殆どを占める歪なそれを、ぎょろぎょろと動かしていたのだ。
更に私を怯えさせた事に、声が聞こえたのかその大きな瞳の照準を此方に合わせる。
異様な視線に耐えきれなくなった私は、思わず駆け出した。
「あっ!夕子ちゃん!?」
見えていない美琴ちゃんは、訳も解らないと言った表情で、私の後を追ってくる。
「ちょっと、どうしたの!?ねえってば!」
けれども、私は美琴ちゃんに詳しく話す暇など無かった。
その呼び掛けに振り返ったとき、私は見てしまったのだ。
その女の幽霊が、私たちの後を追って歩き出していた所を──。
私はもうパニック状態に陥り、ただ自分の家を目指して走り続ける。
息が切れても、足に力が入らなくなってきても、ただ追い付かれまいと走っていく。
そして、島に架かる橋を渡り、家の玄関まであと少しと言うところで、突如肩を強く掴まれた。
それは家を目前に少し安堵していた所の事だったので、私は半狂乱になって悲鳴をあげた。
「ちょ…ちょとまって!私だって!!」
その声に我に返ると、その手の主は美琴ちゃんだった。
顔中汗だくになって、酷く息を切らしている。
「あ…美琴ちゃん…?」
「そうだよ、もー…。急にどうしたの?幽霊に何かされたの?」
そこでやっと美琴ちゃんに説明しようとしたとき、視界の片隅に女の物と思しき影が入り込む。
全速力で走ってきたのにも関わらず、然程引き離すことはできなかったらしい。
「み、美琴ちゃん!取り合えず家の中に入って!」
そう言うやいなや、半ば無理矢理彼女の腕を引っ張り家に駆け込む。
その音を聞き付けて、居間の中から茅輪さんが顔を出した。
「おう…おお?どうした。また友達連れてきたのか?」
「茅輪さん、宮比さんは…!?」
「ああ?あー…また何か有ったのか?だが生憎、宮比は寝てるぞ…。」
何だか、酷く具合が悪そうでな…と妙に歯切れ悪く茅輪さんは言う。
確かに、最近の宮比さんの様子を思えば、無理に起こすのは酷と言うものだろう。
かといって、ここまで付いてきてしまったあの霊をどうすればいいのだろう?
その時、背後に嫌な気配を感じ、そっと振り返ってみる。
すると玄関の戸の曇りガラスに、何者かの影が映り込んでいた。
ぼやけてはいるが、背格好から恐らくはあの女の霊だろう。
「ち、茅輪さん…!あれ…!!」
「ああ、こりゃ厄介な雰囲気だな…。どうやってあんなもんが付いてきたんだ?」
宮比さんに頼めない以上、ここは茅輪さんに頼るしかない。
そう思った私は、その経緯や霊の容姿などを、事細かに伝える。
すると、最初は難しい顔をしていた茅輪さんだったが、段々と表情に自信のようなものが現れてくる。
「歪な片目の女の霊…なるほど。そりゃあ多分“柱女”だな…。」
「え?茅輪さん、解るんですか!?」
「ああ。って、なんだよその意外そうな顔…。」
いや、だって…今まで蠱毒以外さっぱりだったから…。
その私の思考が伝わったのか、茅輪さんはそっぽを向いて言う。
「俺は一応、憑き物の専門家だぞ。蠱毒だけじゃなく、各地域の憑き物はそれなりに知ってる。 」
「じゃあ、あれは憑き物なんですか?」
「まあ…そうだな。己が見える人に憑くタイプの霊だったと思う。」
じゃあ、私は今まさに憑かれてしまっている、というわけなのだろうか。
「…どうすれば良いんですか?」
「こりゃあ、一芝居必要だな。ちょっと二人とも、此方へ来い。」
茅輪さんに誘われるまま居間へ入ると、床に布を被って眠る宮比さんの姿があった。
ぐっすりと寝てはいるが、その顔色はやはり良くない。
「うわ、ほんとだ。ひどい顔色…。」
思わず美琴ちゃんもそう呟く。
「ま、宮比のことは一先ず置いといてだな…。その芝居の事だけど。」
「私は演技力皆無ですけど、大丈夫でしょうかね。」
「えーっと、堀野さん、だっけ?その点は心配ない。っつーか、一番大丈夫なのはお前さんだからな。」
「え?何でですか?」
「さっき言ったけど、柱女は見えるものに憑く。裏を返せば、見えない振りをすれば良いわけだ。」
なるほど。
となると、一番大丈夫ではないのは恐らく私と言うことになる。
あれほどインパクトのある顔の霊を、見えない振り出来る自信はない。
「んで、その効果を高めるために、これから敢えて柱女を家のなかに引き入れる。」
「ええ!?そんなことして大丈夫なんですか!?」
「まあ、そいつ自身にさして害はない。入れたところで何もなかろ。」
「でも…私は…。」
不安を茅輪さんに打ち明けると、その事に対しても考えがあったようで、宮比さんの方を指差す。
「夕子ちゃんはあの毛布の中に潜って寝た振りをすればいい。そうすりゃ見ないですむだろうし。つまり、見えない振りをするのは俺だけってことだな。」
かくして段取りは済み、美琴ちゃんはテレビを見、私は宮比さんと添い寝をし、そして茅輪さんはというと、掃きだし窓を開け放ち、宮比さんのように縁側に腰かけて新聞を読み始めた。
しかし、毛布が小さい…。
というかこれ、毛布というよりタオルじゃないか。
薄っぺらくて、布の向こう側が透けて見える。
すると、その布越しの視界に、柱女が映りこむのが見えた。
ふらふらとした足取りで、しかし確実にこの居間へ向かってくる。
そして先ずは茅輪さんに目をつけたようだった。
敢えて茅輪さんの読む新聞の前で手を振ったり、顔を覗かせてみたり。
恐ろしい容姿の割りに、一挙手一投足は妙に可愛げがある。
茅輪さんは相変わらずの演技巧者で、微動だにしない。
本当に見えてないんじゃないかと疑いたくなるほどだった。
やがて諦めたのか、次の標的を美琴ちゃんに切り替えて居間の中に上がってくる。
そしてテレビと美琴ちゃんの間に割って入ったり、顔を近づけてみたりと、先程と同じことをしてみるも全く反応しない。
そりゃそうだ。本当に見えてないんだもの。
今度も折れたのは柱女の方。
美琴ちゃんから離れ、辺りを見回していたが、ついに此方に目をつけた。
ゆっくりと、大きく横に振れながら歩み寄ってくる。
そして、頭まで布を被る私に、ぐいと顔を近づけた。
それは、布一枚を隔てて私と柱女が最接近した瞬間だった。
ぎょろぎょろと動く歪な目が相変わらず不気味だ。
そのままどれ位してたのか、永遠とも思える時間が過ぎていく。
布を捲られたらどうしよう、と少し不安だったが、そこまでは流石にせず、やがて私から離れていった。
その後も暫くは家の中をうろうろしていた柱女だったが、一時間半ほどしたところで、入ってきた所から出ていった。
「よし、もういいぞ。」
茅輪さんのその声が聞こえたのは、それから更に一時間後。
どうやら家から出ていった後も付近を徘徊していたようで、漸く島からでていったとの事だった。
「でも、まだ油断は出来ねえな。暫くはこの町に留まるだろうし、また出会す可能性もあるだろう。」
「え、そ、その時はどうすれば…?」
「とにかく、無視だ。これに尽きる。」
やはり、そこに行き着くわけか。
私としては、もう出会わないように願うしかない。
「ところで、その柱女っていうのの詳細を聞きたいんですけど。」
メモ帳とペンを取り出して美琴ちゃんはそうねだった。
「あー、やっぱそうなるか。まあ、良いけどさ。」
「そういえば、柱女って名前からして解りませんね。柱要素がどこから…?」
「柱は“人柱”からだよ。人柱。わかるか?」
人柱…。
確か、生け贄とかを指す言葉だったか。
となると、あれは生け贄の幽霊と言うことだろうか?
「良く昔話でさ、洪水とか干魃とか起こると、水神様に人身御供捧げたりする話有るだろ?柱女はその、水神に生け贄として捧げられた人たちの霊の集合体なんだ。」
「あれ?でも生け贄として捧げられたなら、何でこんなところ彷徨いてるんですか?本来なら神の御元に〜とか言われて…。」
「そこなんだけど…もし、水神がいなかったり、生け贄を別に望んでいなかったりしたらその生け贄の魂はどうなると思う?」
「え?」
「必ずしも、水神が生け贄を望んでいるとは限らない。そもそも、水神がいるかどうかさえ解らない。それなのに、人が生け贄を捧げれば解決すると勝手に思い込んで実行してしまったら…?」
そうか、それが柱女の正体。
人間の思い込みによって、強制的に生け贄にされてしまった人々の怨念。
神に望まれていなかったから行き場を無くしてしまい、ああしてさ迷うはめになってしまったのだ。
なるほど…と呟きながらメモを録っていた美琴ちゃんは、続けて尋ねる。
「でも、なんであんな姿なんですか?」
「夕子ちゃんは巾生から聞いただろ?神は片目のものを好むって話。例えば生け贄に魚を使うこともあるんだけど、敢えてその片目を傷付けてから捧げるって風習が有るところもあった。人の場合も、片目の者を選んだり、傷付けてから生け贄にする、っていうことが有ったようなんだ。だから柱女は、ああやって一つ目の姿をしているといわれている。」
そういえば、佐佑面も神様に捧げられたもので、片目しか空いていない面だった。
どうして神様は片目の者を好むのだろう?
そこが私には理解できない。
「そういう生け贄の風習ってのは世間体の関係から、特に秘される事が多くてな。だから碌に弔いなんかもされなくて、生け贄の霊は成仏出来ずに柱女として迷ってしまうのさ。見える人にまとわり憑くのは、助けてほしい一心から、って言われてる。」
折角人々の為にその身を犠牲にしたのに、それが無駄だったなんて、どれほどの無念なのだろう。
それに加えて、歴史からその事を抹消されているのだから、想像もつかない。
私には、ただ何時の日か彼女たちが報われる事を願うことしか出来なかった。
その後、美琴ちゃんは自分の家に帰り、日も殆ど落ちた頃、宮比さんがやっと目を覚ます。
「あー…今何時だ?あぁ、もうこんなか。夕飯の支度しねえと…。」
目の下に大きな隈があるあたり、ぐっすりと寝ていたのに、その効果は殆ど無かったようだ。
「いや、良いって休んでろって。たまには店屋物でも大丈夫だから…。金も俺が出すからさ。」
そう言って、茅輪さんは宮比さんを寝かせつけようとする。
やはり、彼も心配なのだろう。
「…ああ、夕。帰ってたのか。お帰り。」
「あ、ただいまです…。」
なんだかその姿が、何時もの元気溢れる宮比さんには到底似つかわしくなくて、見るのも辛い。
茅輪さんが何処かの店に電話を掛けている間、何とか気を紛らせようと私は話をする。
「今日も部活に行ったんですけど…柱女に憑かれまして。大変でしたよ。」
「ああ?柱女がこの辺りに来てたのか…。それで、どうしたんだ?」
「茅輪さんが祓い方を知っていたので、それで何とか凌ぎました。蠱毒以外でも茅輪さんも頼りになるんですね。」
「…ああ、そうか。それなら、少し安心かな…。」
酷く弱々しい、その呟き。
それが自分の生に諦めたもののように聞こえた。
思った以上に、宮比さんは限界を感じているらしい。
何とか話題を変えようとあれこれ考えていると、先に宮比さんが口を開く。
「…ところでよ、何処に行ってたんだ?他にも変なの憑けてきたんじゃねえだろうな?」
「えっと、隣町の外れの森です。何か薄暗い森の中に古木があって、その枝にロープが結ばれてて…。昔そこで誰かが首を吊ったとかなんとか…。」
私のその言葉を聞いた瞬間、宮比さんの表情が変わった。
そして横たえた自身の身体を起こし、、私に詰め寄る。
「おい、その場所詳しく聞かせろ!その木、どの町のどの森だ!?」
「え?で、でも宮比さん、そんな身体で…。」
「いいから、早く!」
その鬼気迫るかのような勢いに負けた私は、詳しい場所を教える。
すると宮比さんはそれを何回か呟いて反芻した後、着替えもせずに飛び出していく。
「あ?おい、宮比!どこに行くんだよ!?」
茅輪さんの呼び掛けにも反応せず、そのまま家から出ていく宮比さん。
一体、何があったのだろうか?
あの場所に、何か心当たりでもあったのだろうか?
──私がその事を知るのは、少し後の事だった。




