算木生
夏休みが終わって一週間。
長期の休みでだれきった体が、漸く学校生活に慣れてきた頃だった。
「ああ、その事件のことか。こんだけ話題になってりゃあ、テレビ殆ど見ない私も知ってらあ。」
家に帰ると、宮比さんが電話で誰かと喋っていた。
その口ぶりから大方、巾生さんだろうと私は当たりをつける。
そして、その話に出ていた“事件”というのも、私は何の事か解った。
最近、この町を騒がしている傷害事件のことだろう。
それは、夜中に人通りのほとんどない道を歩いていた人が、何者かに襲われて怪我をする、というものだ。
これだけなら、何の変哲もない事件だろう。
しかし、そこには真しやかに囁かれている、奇妙な噂があった。
…被害者は皆、問答を掛けられた、というものだ。
突然声が聞こえたと思うと、有無を言わさずに問題を出し、答えられないと何か固いもので頭を叩かれる。
そして、最後に高らかな笑い声と共にこんな台詞が聞こえてきたのだそうだ。
──“どうだ、我は必要であろう?”と。
そこは当然、テレビなどでは全く語られていない。
しかし火の無いところに煙は立たぬ、とばかりに美琴ちゃんなんかは本気にしており、勝手に怪異に違いないと言っていた。
私はその噂をあまり信じてなかったけれど、宮比さん達の話に出てくる、と言うことはやはり本当なのだろうか。
「で、尾白さんなんつってんの?…ふうん、自ら出るって?まあ、妥当じゃないの…新香や私じゃ無理だろうし、そこは年寄りの冷や水…じゃなくて、年の功だろ。」
私はその会話の言葉に、一瞬、耳を疑う。
宮比さんが“私には無理”と言うほどの怪異なのだろうか。
いや、でも今回の怪異は問答をしてくるというのなら、頭の回転の良さが必要なわけで…。
そういう意味で無理、なのだろうか。
「はあ?何で私が同行しなきゃならんのよ?…いや、たまにはお前が行けって。いつも私じゃないか…って、あ、おい新…!」
どうやらまた急な出勤を命じられたようで、あからさまに不機嫌な顔で受話器を叩きつける。
そしてがりがりと頭を掻き回し、唸るようにして愚痴を漏らす。
「ああ、面倒ぇ…、また夜勤かよ…。勘弁してくれよ…。」
夜勤が多いのは、宮比さんの仕事柄仕方のないことではなかろうか。
「…なんだよ、夕。何か用か?」
そこで宮比さんは私がその様子を眺めていたことに気付いたようで、不機嫌な顔のままに言う。
それが少し私を気後れさせるが、なんとか勇気を振り絞って聞いてみる。
「さっきの、仕事の電話ですよね?」
「…そうだよ。言っておくがな、今回はやめた方がいいぞ。」
まだ何もいっていないのに、あっさりと断られてしまった。
「でも、明日は土曜日で休みですし、多少夜更かししたって…。」
「そうじゃない、そういう意味じゃないんだよ。」
手を振りながら否定をする宮比さん。
そして一息吐いてから、理由を話始める。
「今回はな、尾白さんが出てくることになったんだ。尾白さん、名前は知ってるだろ?」
「はい。宮比さんの上司ですよね。」
「まあそんなところだけど…その人とんでもねえ堅物だからさ、夜中にお前みたいな子供が外出とか、絶対何か言われるぞ。お前自身がな。」
私の方を指差しながら、そう断言をする。
つまりは、怖い人だという認識でよいのだろうか。
「それでもいいってんなら、掛け合ってはみてやる。」
…どうしよう。
そう脅されると、躊躇いが生じる。
けれども、今話題の事件の元凶を知れるかもしれない好機でもある。
それをむざむざと逃すというのも勿体無い。
今まで怖い思いなんて散々にしてきたじゃないか。
そうだ、今さら頑固な人くらいで怖じ気付くなんて──。
「行きます。なんと言われようとも構いません。」
決心をした私は、きっぱりとそう言う。
暫く私を見つめてから、宮比さんは小さな溜め息を吐いた。
「お前も中々に頑固な奴だな。まあ、約束した手前、掛け合ってはやるが…私はどうなっても知らんからな。」
夜10時。
私と宮比さんは、一本の街灯の下に並んでたっていた。
夏の過ぎ去った今、夜風がとても冷たく感じる。
事件のせいか、やはり人通りはない。
元々田舎故に夜となると殆ど人はいなくなるが、今夜は私たち以外に人がいなくなったのでは、と思うほどだった。
「…待たせたか。すまぬな。」
不意に、低い声が耳に入る。
振り向くと、一人の男性が此方に歩み寄ってくるのが見えた。
小柄ではあるが、妙に威圧感のある人だった。
茅輪さんほどの強面ではないが、鋭い目付きのせいでそう感じるのだろうか。
「いや、別にそんな待ってないですけど…。寧ろ何でまた私を呼んだんですか?」
「…不測の事態に備えて、だ。昨今、夜中に出るは魑魅魍魎とは限らんのでな。」
「…成る程、つまりはボディーガードってわけね。」
そんな気はしてた、といった風な宮比さん。
暫く何事かを二人で話していたが、ふと、尾白さんが私の方を見る。
「…五木場夕子、か…。子供がこんな時間に出歩くのは、感心せんな。」
予想されていたことだが、やはり言われてしまった。
続けて何か言おうとしたのか、尾白さんが口を開いた時、間に宮比さんが割って入る。
「まあまあ、尾白さん。小さい頃からこういう経験積んどくのも良いじゃないですか。私だって祖父さんに夜中連れ回されてたんですし。」
どうなっても知らんからな、と言っていたのに、私を庇ってくれたらしい。
私と宮比さんを交互見てから、尾白さんは小さく、けれども良く聞こえる声で言った。
「…ふん、俊治さんに倣えと言うか。まあ、良いだろう。虚身の森の際にも許可を出したことを思えば、今更咎めるのも野暮と言うものだろうしな。」
思いの外、軽傷で済んだようだ。
私はほっと胸を撫で下ろす。
「…宮比さん、ありがとうございます。」
「別に…庇った方が此方に飛び火する危険も少なくなると思い直しただけだよ。」
身の縮まるような秋風の吹き荒ぶ中、私たち三人は人なき道を歩いていく。
噂の場所へはまだ多少あるが、今にも何か出てきそうだ。
「して、宮比よ…お前はどう見る。」
「は?」
突然の問いかけに、宮比さんは何のことか解らないようだった。
すこし間の抜けた声を出す。
「今回の事件の元凶をだ。」
「ああ、そうならもっとはっきり言ってくださいよ。…まあ噂と伝承、その二つを信じるのなら、恐らくは“算木生”の仕業かと…。」
サンギセイ。
そういう名前の妖怪なのかな。
宮比さんのその答えに、尾白さんは鼻を鳴らした。
「どうやら、未だ先輩としての面目は保っているようだな。」
「…どういう意味です?」
「何、新香の方は解っていなかったのでな。…まあ、あの人の孫なのだから、それくらいではないと困るがな。」
そのやりとり以降、二人は口を閉ざしてしまう。
風が吹き抜ける音、草木の擦れ会う音、そして、私たちの足音。
ただそれらだけが、私の鼓膜を震わせる。
しかし、漸く件の場所に着いたときだった。
──待たれよ。
そんな、声のような音が聞こえた。
「…出たか。」
尾白さんにもそれは聞こえたらしく、足を止める。
私はあちこちを見回し、声の主を探してみるが、暗闇のせいでそれも叶わない。
とりあえず声の聞こえた方向へ歩いてみると、またそれは聞こえてきた。
──そ、其処な子よ、待たれよ。聞こえぬのか?
ソコナコ、の意味がよく解らないけれど、どうやら私のことを言っているらしい。
「おい、夕。奴さん慌ててるぞ。足を止めろ。」
宮比さんがそう諫めるので声の主を探すのをやめると、続けて声がしてくる。
──ここを通りたくば、我が問に答えよ。さもなくば、 其方らの身に災いが降りかからん。
「…良かろう。答えたなら、通っても構わぬのだな?」
臆することなく、尾白さんは言った。
その態度が気に入ったのか、相手は笑い声を上げる。
──中々に胆力のある者と見受けたり。無論、其方らが我が問に答えれば、此処を通っても構わぬ。
「二言はないな?なら、何でも問うてみろ。」
──では、先ずは小手調べに鶴亀算を問はん。“或所に鶴と亀、合わせて55頭が居る也。その足を合わせた数は152。さてさて、鶴の足を2、亀の足を4とせし時、各々の数や如何に?”
その問いを聞いた瞬間、私の体は拒否反応を起こす。
算木生の出してきたのは、計算問題だった。
私の一番、苦手な部類の問題じゃないか。
「へえ…成る程、伝承の通りだ。」
そんな私の苦しみを知らずか、宮比さんは感心したかのような声を出す。
「なにが伝承の通りなんです…?」
「いやさ、算木生は必ず初っぱなは鶴亀算出してくるんだって聞いてたからな。先ずは典型的な問題だして、相手の力量を量るんだとよ。」
私なら、此処で答えられずに殴られるのだろう。
でも、答えるのは尾白さんだ。
少し考えたのち、答える。
「鶴が34、亀が21だ。55頭全てを鶴とした場合、足の数は110…。152から110を引いて差が42、これを2で割って21。これが亀の頭数になるからな。55から21を引いて、34が鶴の頭数
になると言うわけだ。」
淀みなくその口から出てくるそれが、合ってるのかは私には解らない。
けれども、算木生は答えを聞いた途端に笑い声を出す。
──然也、然也。しかし、此はまだまだ序の口。 次は如何ならん。“杉形(すぎなり:三角形のこと)に積まれし俵あり。上より一段目に1つ、二段目に2つ、三段目に3つ…とせし時、23段迄の全ての俵の数や如何に?”
その言葉使いも相俟って、何をいっているのかさっぱり解らない。
数学の苦手な私にとって、天敵と言える妖怪なのかも…。
「次は俵杉算か。これはもう1つ、同じように積まれた俵を考えればいい。2つを四角形になるように合わせた場合、各々の段に於ける俵の数が1+23、2+22、3+21…と全て24になる。よって24×23÷2=276。俵の総数は276だ。」
さっきよりも素早く答えを導き出す尾白さん。
合っていたらしく、それにも算木生は笑いながら言った。
──然也、然也。成る程、少しは算術を心得たる者か。然らずは味気なし。
「面白がっているところ悪いが、此方は問題が簡単すぎて、退屈で堪らんのだがな。」
── 透かすべからず。ここより、本番ぞ。“各々10升、7升、3升の桶がある也。其等を使いて、5升の桶を満たす術や如何に?只し、油は幾らでも汲んで良しとせむ。”
「ほう、油わけ算か…。これは少し、面倒だな。」
そう言った尾白さんの顔は笑ってはいないものの、その声はどこか楽しげだった。
「…先ずは10升の桶を満たし、それを3升の桶に移す。この時点で10升、7升、3升各々の桶は7:0:3。続けて3升の中身を7升に移し、10升の桶の中身を3升に移すことで4:3:3となる。で、次は先程と同じようにして3升を7升に、10升を3升に移して1:6:3。そして3升の中身を7升に入れて1:7:2。7升を10升に移して8:0:2。3升を7升に移してから10升の中身で3升を満たせば、5:2:3となって、丁度5升が満たせるというわけだ。」
そんな調子で、算木生が問題を出し、尾白さんが答えるといったやりとりが幾度も続く。
段々と問題が複雑になっていくが、尾白さんは考える時間が伸びるくらいで余裕な態度には変わりがない。
対して、算木生は問題が解かれていくに連れて声に張りが無くなっていき、気付けば、いつの間にか笑わなくなっていた。
「…流石にもう終わりにせんか?儂らとて、何時までも相手をしている訳にはいかんのでな。」
──ま、待たれよ。次こそ、次こそが最後の問題也。“或所に一組の鼠あり。睦月にそれが12匹の子を産み、全てを合わせし数を14匹とす。如月に各々が番となり、その7組が各々12匹ずつ子を産むとす。如月における鼠の総数は98匹。さてさて、そのまま師走に至りし時、鼠の総数や如何に?”
「おいおい、そりゃあねずみ算の典型問題ではないか。もうまともに問題を考える力もないと見える。計算するまでもないが…2×7の12乗で答えは276億8257万4402匹だ。」
その答えに、算木生は当りとも、外れとも言わなかった。
ただ、酷く悲しげな声で
──もう我は、要らぬのか…。
と呟いただけ。
それを聞いた尾白さんは一歩前に出て、闇に語りかける。
「のう、算木生よ。もう終わりにせんか?ここでお前が問題を出し、人々を傷付けたところで、昔のように和算が興隆することは無かろう。流行り廃り、栄枯盛衰は世の常と言うものだ。」
──………。
「かつての和算の栄華を知るお前が現状を嘆く気持ちも解る。だが、だからと言ってこんなことをしても仕方ないのだぞ?それより儂のところに来ぬか?そこにはお前のように、忘れ去られた物も沢山いる。仲間がいる。儂がお前を、使うことも出来るだろうしな。」
暫くの静寂。
さっきまで怒濤の問答がなされていたとは思えないほどに静かだった。
やがて、闇から答えが帰ってくる。
──…お願い、奉る。
そして、突如として木の枝に覆われた空から、ばらばらと何かが落ちてくる。
地面に散らばったそれを1つ拾い上げてみると、マッチ棒のような、木製の短い棒切れだった。
「?なんですか、これ…。」
「そりゃあな、“算木”っていう、東洋の数学で用いた道具だ。中国では算盤の出現と共に使われなくなっていったが、日本では算盤と併用され、和算の発展に大いに貢献したと言われている。」
残りのものを注意深く探し、拾い歩く宮比さん。
そして束になったところで、尾白さんに手渡した。
尾白さんはそれを見詰めながら、口を開く。
「…その和算も、西洋数学の流入によってすっかり廃れてしまってな。算木生はその事が残念でならず、こうして九十九神になって道行く人に問答を仕掛けるようになったのだそうだ。」
「…そうだったんですか。」
ただ、使ってほしかった。
忘れられたのが、悲しかった。
算木生は、寂しかったのだ。
それでも、人を傷付けるのはいけないことだけれど…
「和算も、西洋数学に勝るとも劣らぬ程に、発展していたのだがな…。」
尾白さんも、どこか寂しげに呟いてから、来た道を帰っていく。
「おい、夕。私たちも帰るぞ。このままじゃあ風邪引くからな。」
宮比さんに手を引かれ、私たちも帰路につく。
学問の中で、一番苦手な数学ではあるけれど…もう少し頑張ってみようかな。
そんな風に感じた怪異だった。




