呵々
それは、卓を囲み、夕食を三人で食べているときだった。
いつもは黙々と素早く食べ進める宮比さんが、何か考え事をしているかのような表情をしていた。
箸も殆ど進んでおらず、たまに動かして口に食べ物を運ぶ程度だ。
「どうかしたのか、宮比?」
茅輪さんも気になったのか、そう尋ねる。
ああ、と少し落ち込んだ風の声音で答えてから、宮比さんは訳を話し始めた。
「実はな、今日仕事で出掛けたんだけど、そこの怪異の原因が解らなかったんだよ。」
「へえ、怪異馬鹿のお前がねえ。珍しい事もあるもんだな。どんなのなんだよ?」
「この町外れの廃屋…通称“笑い屋敷”って呼ばれてるらしいとこなんだけどな。」
そう聴いても、他所から来た茅輪さんは解らなかったみたいだが、私はその名前を聞いたことがあった。
なんでもその屋敷の近くを通ると、誰もいないのに中から凄まじい笑い声が聞こえてくるのだという。
美琴ちゃんが言うには、結構最近囁かれるようになった噂らしいが…。
「あんまり不気味だから、どうにかしてくれと持ち込まれた話なんだが…どうにも解らなくてな。自分の未熟さを思い知らされたよ。」
「何かがいるのは確かなのか?」
「…それも解らん。私がそこにいったときは笑い声しなかったし。」
宮比さんにも解らないことが有ったのかと、私は内心驚く。
町外れの笑い屋敷と呼ばれるその建物に、いったいどんなものが住み着いているのだろう?
明日、美琴ちゃんたちを誘って行ってみようかな。
「…夕、お前件の場所に行くつもりだろう。」
「えっ、いえ、その…。」
「誤魔化しても無駄だ。何か企んでそうな顔してたぞ。」
どうにも、私は分かりやすい顔をしているらしい。
思わず宮比さんから顔をそらす。
「…まあ、良いだろ。明日の再調査に同行するくらい。別に実害がありそうな怪異でもなし、邪魔立てせんのなら構わん。」
ため息混じりにそういう宮比さん。
何だか何時もよりも、元気がないように感じた。
余程、ショックが大きかったのだろう。
明日の調査で、原因が解れば元気になるのかな?
そうなら、良いのだけれど。
翌日。
青空が広がり、相も変わらずの爽やかな朝。
ただ、その涼しさが秋の訪れを知らせていた。
私たちはその物件の前に立って、部活の面々の到着を待っていた。
その最中、宮比さんは不満げに茅輪さんを見て言う。
「夕には同行許可出したけど…何でお前もついてくるんだよ。」
「良いじゃねーか。お前に解らなくても俺に解る、何て事もあるかもしれないだろ?」
妙に自信有りげな茅輪さん。
そんな彼を横目で見ながら、宮比さんは呟く。
「言っとくがな、“笑い女”じゃないからな?」
その言葉に、茅輪さんはどきっとしたかのような仕草をした。
「笑い女?」
「四国は高知に伝わる怪異の一つだ。姿は若い女で、人前に現れたら、後は兎に角笑ってるらしいんだ。」
…想像すると、怖いと言えば怖いが、正直それだけ?と言いたくなるような妖怪だ。
それがまた顔に出ていたのか、宮比さんは続けて言う。
「…因みに、その笑い声を聞いたものは半死半生になるとか、一生笑い声が耳から離れなくなるとか言われてる。」
前言撤回。
何て恐ろしい怪異なんだろう。
高知に行っても、決して会いたくはない。
「“勝賀瀬の赤頭”、“本山の白姥”と並んで、土佐の三大妖怪なんて言われるほどの怪異だが…ここは岩手。陸奥は陸中の国だぞ、和男。」
「う、うるせえ。今の時代、妖怪も整備された交通網のお陰で遠出できるかも知れねえだろ?」
「それはまあ、面白い見解だがな、更に言うと、今回の笑い声は大人数の合わさったようなものなんだそうだ。女一人のものじゃない。」
論破とはこういうことを言うのだろう。
茅輪さんは口をつぐんでしまった。
それから数分後、町へ繋がる道の方から、人影がこちらに向かってくるのが見えた。
椎名さんと隆斗くんだった。
「おーい、夕子ちゃ…」
椎名さんがそこまで言って、ぴたりと固まる。
隆斗くんも同様に、その場で足を止めた。
一体、どうしたのだろう?
「お、あれが夕子ちゃんの友達か。」
暢気にそう言った茅輪さんを見て、私はその理由を悟った。
そういえば、二人は茅輪さんと面識がないんだった。
見知らぬ強面の男性がいたら、そりゃあ躊躇するに決まっている。
「大丈夫だよ二人とも。あの人は宮比さんの仕事仲間の人で、顔はともかく根はいい人だから!」
「夕子ちゃんも結構言うのな…。」
茅輪さんは少し、落ち込んだ風で言った。
私の説明に誤解を解いたのか、二人は私たちの側まで歩み寄ってきた。
「なんだ、そうだったんだ。俺はてっきりこの物件を管理してるその筋の人かと…。」
「いや、隆斗。原江さんの仕事仲間だからって、その筋の人じゃないとは限らないよ。」
二人は二人で、正直な考えをずけずけと言う。
それを聞いた茅輪さんは、子供は残酷だなあ、と呟きながら家の敷地内へ入っていった。
「あれ、ところで美琴ちゃんは?」
「ああ、堀野は体調崩して寝込んでるって。 連絡こなかったの?」
「あの子、季節の変わり目に弱くってさ。その上に宿題消化で体力使っちゃったもんだから、限界が来ちゃったみたいで。」
私たちの中で、一番健康優良児といった感じなのに。
案外、繊細なところがあるようだ。
「ほら、全員集まったんなら、私たちも入るぞ。」
宮比さんの促しに、私たちも後を追って屋敷の中に入る。
屋敷とは言うが、その実ただの小さな日本家屋だ。
見た目からして古く、無人と化してから随分経つらしい。
中も荒れ果てていて、歩けなくは無いが…と言った具合だ。
「しかし、今日も静かだな…。大きな笑い声どころか忍び笑いすら聞こえない。」
「どっかの馬鹿が上がり込んでどんちゃん騒ぎしてただけなんじゃねえか?」
「だったらその痕跡くらいあるはずだろ?でもそれも無いんだよ。」
確かに、そう言うことをしてたなら空き缶とかゴミとか…それくらいはあるのが普通だ。
でも、見渡す限りそんなものは落ちてない。
散らかってはいるが、どれもこの家に元からあったもののようだ。
「じゃあ噂が嘘なんじゃないの?」
椎名さんの意見に、宮比さんは首を振る。
「いや、そもそもこの話を持ち込んだ人だって笑い声を聞いたらしいんだ。金をかけてまでそんな嘘を吐くとはとても思えん。」
結局見当が何もつかないまま、時間だけが過ぎていく。
色々な部屋に入ってみるが、何かがいるような気配もない。
そんな時、茅輪さんが唐突に口を開いた。
「そういやあ、お二人さんの名前を聞いてなかったな。俺は茅輪和男ってんだけど…。」
「あ、磯竹です。磯竹隆斗。んで、こっちは…。」
「私は長束椎名です。」
椎名さんの名前を聞いたとき、茅輪さんは一瞬動きを止めた。
そして──彼は、言ってしまったのだ。
「ああ、懐かしいなって訳か…。」
その瞬間、この家から凄まじい音が鳴り響いた。
全体が揺れ、あたかも地震が起きたのかと思うほどだった。
それは確かに、大人数の声であるかのようにも聞こえた。
ただ、あまりに大きすぎて、鼓膜が破れるのではないかと思えるほどだったから、笑い声かどうかは微妙なところだ。
声が収まってから、私たちは暫く、ただ茫然とその場で立ち尽くしていた。
何が起こったのか解らなかったからだ。
「おい、今のは何だ!お前ら何かしたのか!?」
一人奥座敷にいた宮比さんが、駆け寄ってくる。
「いや…茅輪さんがしょうもない事言ったらなんかいきなり…。」
「しょうもない事?」
私は宮比さんに事の次第を話す。
「駄洒落言ったら笑いだした、ってことか?」
さすがに宮比さんも信じられないと言いたげだった。
駄洒落で笑う妖怪など、前代未聞なんだろう。
「いやでも…さっきのはそういう事になるし…。」
「もう一回駄洒落言ってみれば解るんじゃないの?」
隆斗くんはそう提案する。
けれども誰も、それを言おうとはしない。
茅輪さんですらもそうだった。
単純に、恥ずかしいのだろう。
さっきのは、思わず出てしまっただけで…。
「おい、長束。あのネタ言ってみろ。」
「ええ?今此処でいうのはちょっと…。」
何やらそんな風に言い合っていた二人だったが、やがて意を決したかのよつな顔をした椎名さんが一歩前へ踏み出した。
「あの…私のお父さんの職業、知ってます?」
「…いや、知らんが…。」
唐突の言葉に、宮比さんは困惑しているようだった。
「私のお父さん…歯科医なんですけど、その名前が“長束歯科”ってなってて…。」
瞬間、再び家が揺れる。
当にどっとくるような音で、家が崩れるのではないかと心配になるほどだった。
「…本当に、駄洒落に呼応して笑うようだな。」
椎名さんの駄洒落にはなんの言及もしない宮比さん。
椎名さんは何だか辛そうにしていたので、私はそれとなく触れてあげる。
「その話、ほんとなの?」
「…うん、お父さんはただそれだけで職業決めたって言ってた。」
「俺としては、指揮者とかの方がいいと思ったんだけどな。」
兎に角、この家には何かがいることは確からしい。
けれども、宮比さんはまだそれが何なのか、特定は出来ていないようだ。
「その、笑い女以外に何か笑う妖怪とかいないんですか?」
「いや…後は精々、“倩兮女”くらいだが…それも笑い女とはさして違いもないし…。」
「倩兮…。」
その単語に何か思い当たる節があったのか、何事かを考え出す茅輪さん。
そしてそれから幾らか経った後、ぽんと手を叩いて言った。
「そうか、ケラだ!」
突然の大声に、私たちは驚いて彼の方を見る。
「ケラ?なんだそれは。土の中にいる虫の事か?」
「違うわ。そりゃオケラだろ。」
そんな漫才のようなやり取りに、三度家が揺れた。
もはや何かに掛かっていれば、とりあえず笑ってくれるらしい。
「“倩”という、蠱毒の一種だよ。見た目はキリギリスみたいなので、羽を震わせて出す音が笑い声に似てるんだ。」
「へえ…蠱毒ねえ。道理で解らんわけだわ。」
宮比さんはしきりに頷いている。
やはり蠱毒に関する知識は茅輪さんに一日の長があるようだ。
「でも、そんな笑い声に似た音を出す虫に何の意味があんの?」
隆斗くんの疑問に、椎名さんも同調する。
確かに、直ぐにはその用途は思い付かないが…。
「正体不明の笑い声って不気味だろ?それに倩は虫らしく、気配があると鳴りを潜める習性があってな。家人が寝静まると笑いだしたりして、寝付かせてくれないんだ。結果衰弱するって感じで、原因を知らないと結構怖い虫なんだぞ。」
なるほど、そこは蠱毒らしく、人に害を与えるようだ。
実際、こんな爆音で笑われたら気がおかしくなるだろう。
「しかし、この笑い声からするに随分と大群のようだな。こりゃ“倩兮”通り越してるな。」
「あ?どういう意味だ?」
「倩は虫一個体の名称なんだ。倩が集まって群れになると“倩兮”となり、その倩兮が更に集まると“呵々(かか)”と呼ばれる。今回のはその“呵々”レベルだよ。」
「カカ?サッカーの?」
サッカーをやっている隆斗くんは、ついそう言ってしまった。
そして廃屋は、四度目の爆発的な笑い声に揺れる。
耳を押さえる手を下ろしてから、宮比さんは茅輪さんに言う。
「なあ…なんでこいつらは駄洒落とかに反応するんだ?」
「それは…わからん。昔話の一つに売れない噺家がこいつを利用して、客につられ笑いを起こそうとして失敗する話があった気はするけどな…。」
「…それより、この家危ないんじゃないですか?今ので壁にひび入りましたけど。」
椎名さんが指差す方をみると、確かにさっきまでは無かった亀裂が生じていた。
只でさえぼろぼろなのに、そこへ幾度もの衝撃が襲ったら崩れることもあるだろう。
「原因は知れたし、一先ずここを離れるとするか。五人揃ってこの家の下敷きになりました、なんて到底笑えんからな。」
宮比さんの言葉に従い、私たちは一旦家を離れる。
とりあえず、崩れたとしても安全な所へ避難してから話を続けた。
「でも、何で急にこの家にその虫が涌いたんでしょうか?」
「そうだなあ、あの倩は自然発生したのかもしらんな。そうじゃなけりゃ、誰かが番で逃がしたか、だな。」
「自然発生することなんてあるんですか?」
「九十九神や猫又と同じで、長寿の虫は蠱毒に変化することがあるんだ。ただ厄介なのはその、虫特有の繁殖力でな…。その凄まじさから、蠱毒を番で放すことは禁忌とされてるんだが…。」
今回は、その恐ろしさを体現した結果と言うわけだ。
あの家の見えない所ににびっしりと虫が住み着いていることを想像すると、身体中に鳥肌が立つ思いだった。
「で、どうすりゃあ奴等を追っ払えるんだ?」
「毒を以て毒を制す。つまり、蠱毒には蠱毒さ。その原則は変わらない。で、大抵の虫の蠱毒には、蛙の蠱毒を使えばいいんだよ。」
「…蛙の蠱毒なんて持ってないぞ。」
「いや、俺のストックがあるから、それ使えばいいよ。」
どうやら、今回の案件も解決の目処は立ったらしい。
笑い声を出すだけの蠱毒だったけれど…家一軒潰しかねない程の威力があるとは思わなかった。
そして、私たちは揃って帰路につく。
蛙の蠱毒は、後で茅輪さんが家に放しておく、という手筈になった。
「今回、宮比さん余り目立てませんでしたね。茅輪さんに負けたの、初めてじゃないですか?」
私が小声でそう言うと、少しむっとした顔をする。
「阿呆。勝負事じゃないんだから、勝ち負けなんて関係ない。それに今回は原因が蠱毒だったから、彼奴に分があっただけで…。」
「でも、原江さんの同業者だけあって、流石でしたね。少し見直しました。」
「少しかよ…。でもまあ、いつも妖怪のこともっと勉強しろとか言われてるし、お前も蠱毒について知った方が良いんじゃないか?今回は俺がいたから良かったわけでさ。」
何処と無く得意気な茅輪さんに、返す言葉もない宮比さん。
顔が若干紅潮している辺り、悔しいのかもしれない。
「でもさ、あの倩とかいうの、人がいなくても鳴くんだよね?」
何かに気付いたように、隆斗くんが言い出す。
「ん?ああ、この時期は繁殖期だから、殊更な。最近噂が騒がれるようになったってのも、それが関係してると思うぞ。、」
「じゃあ、その蛙の蠱毒を放しに戻るまで、あの家もつのかな?」
皆が一様にはっとするような顔をした。
それと同時に、その家の方から凄まじい笑い声と、少し遅れて何かの破壊音が聞こえてくる。
どうやら、今の言葉が現実になったらしい。
「やべえぞ、宮比!あの家が壊れた今、倩は住処を変えちまう。次どこいくかわかんねえぞ!!」
「はあ!?じゃあ、どうすりゃあいいんだよ!?」
「俺は急いで戻ってその蛙持ってくるから、お前は倩の後を追え!奴等は群れを成すから、見つけるのは容易いはずだ!」
言うなり、凄い速さで茅輪さんは駈けていく。
それを聞いた宮比さんは、軽く舌打ちをし、頭を掻きながら溢した。
「ちぇっ、これじゃあまた尾白さんに怒鳴られらァな…。どうにも少し今回は、冗談が過ぎたらしいや。」




