オオオヌ
「最近ちょっと気になることあるんだよね。」
夏休みのある日。
家に遊びに来ていた椎名さんが、唐突にそう切り出した。
「気になること?」
「うん…夜中になると顕著なんだけど、家に家族以外の誰かがいるような気配がするんだ。」
「気配って?」
「うーん、上手くは言えないんだけど…何者かの存在感というか、とにかく感じるのよね。」
なんだか少し元気がなかったのはそのせいか。
目の下に隈ができている辺り、よく眠れてもいないのだろう。
「いつからそれを感じてるの?」
「一週間前くらいからかな…。そう、美琴と廃墟探検にいった日の夜から。」
椎名さんも美琴ちゃんに振り回されているらしい。
私より長い付き合いであるから、そこまで苦でもないとのことだが…。
「それってつまり、何かが憑いてきちゃったってことなんじゃないの?」
「うん、まあだから夕子ちゃんとこに来た訳なんだけど。」
「あー、それが本命だったんだ。」
道理で。
椎名さんが突然家に遊びに来る、なんて言ったとき、違和感があった。
今まで椎名さんが自分からそうすることなんて、なかったからだ。
「美琴ちゃんには言ったの?」
「いや、面倒なことになりそうだから言ってない。でもそれとなく美琴の方を聞いたら、“何ともないよ”とか言ってたけど。」
椎名さんだけに異変が起きているということか。
いや、美琴ちゃんが鈍感なだけかもしれないけれど。
「昔っからこうなんだよねー。三人で曰く付きのトコに行くと、決まって私だけ気分悪くなったり怪我したりさ。」
「よ、よく無事だったね…。」
「まーねー。悪運は強いみたいね私。でも何で私ばっかりなんだろ。」
「そりゃあ、長束さんがその三人のなかで一番霊感あるからだろうな。」
溜め息混じりに椎名さんが呟くと、縁側で何時もの様に喫煙をしていた宮比さんが話に入ってくる。
「霊感が?」
「ん、私の見立てじゃ一番が夕で二番が長束さん、三番が磯竹くん、ビリが堀野さんだ。」
「美琴のやつ一番霊的なものに興味もってんのに一番それから縁遠いんだ…。ある意味不憫ね。」
「でも宮比さん、霊感の強さとその影響の受けやすさって関係はあるんですか?」
「そらァなあ。霊感が強いってのは霊的な存在からの干渉を受けやすいってことでもあるんだ。極端な話、見えること自体精神的に影響を与えることもあるからな。」
そういえば後追沼の時も、私が一番霊感強いからと憑いてこられたんだった。
霊的な存在にとって、霊感が強い人ほど引っ付きやすいのだろう。
…今度から、美琴ちゃんの誘いは遠慮しとこうかな。
いや、宮比さんがいるから大丈夫か。
「それで…長束さんよ、感じるのは気配だけか?」
「え、あ、はい。他には別に…。」
「一週間も前に引っ付いてきて気配だけってことは大した霊じゃないのかも知らんが…一応見といた方が良いかな。家まで案内してくれるかね?」
「元よりその為に来たので、此方こそよろしくお願いします。」
そんな経緯で私たちは椎名さんの家へと向かうことになった。
場所は、閑静な住宅街。
そこに椎名さんの家がある。
隣同士であるので、当然隣家が隆斗くんの家な訳か。
「ここが私の家なんだけど…何か感じます?」
「ふうん…。」
宮比さんはただそれだけ声に出してから、椎名さんの家を見つめる。
それから丹念に観察するかのように、ゆっくりとその周りを一周して戻ってきた。
「成るほどね…。」
「宮比さん、見た感じどうでしたか?」
「結論から言うけど…まあ一応は、大丈夫だな。私の出る幕じゃなさそうだ。」
「え?じゃあ私の感じた気配は…。」
「それなんだけどな、多分そりゃ“オオオヌ”のもんだよ。」
「お、オーオヌ?」
何て言いづらい名前。
一体、どんな存在なのだろう?
「オオオヌ。漢字で書くと“大隠”となる。でも大隠って言葉が別にあってややこしいから、普通は片仮名でオオオヌだな。」
「その…オーオヌって何なんです?」
「その名の示す通り、オオオヌはとことん裏方に徹した存在だ。人前に姿を現すことは決して無く、ただ行動だけで人に己の有るを知らしめる。故に本によって描かれる姿は異なるんだ。まあ、天狗の一種ではあるだろう、とは言われている。」
「そんなのが何で家に?」
その性質を聞いても、椎名さんの家にいる理由は見えてこない。
早くそれを知りたいと逸る私たちに宮比さんは、まあちょっと待て、といった。
「さっきこの家の裏に回ったとき、とんでもない怨霊の気配もあった。恐らく、二人が行った廃墟にいた奴だろうな。」
「え?二つも家にいるんですか!?」
流石に椎名さんも驚いたらしく、大きな声をだした。
しかもとんでもない怨霊って…。
「どれくらいとんでもないんですか?」
「あー…まあ、下手すると死人が出るくらいには。どこに行ったんだ?お前ら。」
「え、えっと…美琴が新しい怪談ネタ欲しいからって市外まで足を運んで…取り合えず見つけた廃墟に入って…。」
死人と聞いて更に震え上がったらしく、椎名さんは真っ青になりながら言った。
夏休みだからって、随分と遠出していたらしい。
「完全に管轄外の所から引っ張ってきた訳か…。まーた面倒事増やしてくれよってからに。」
宮比さんは頭を掻きながら、呆れたような顔をしている。
私や美琴ちゃんならいざ知らず、椎名さんがそうなるとは珍しい。
「でも宮比さん、さっき宮比さんは大丈夫だって…。」
「ああ、そこで出てくるのが件のオオオヌなんだよ。」
「え?それって、どういう…」
「オオオヌは人と異形の境界を守る者と言われててな。日本神話において、昼は人の創りし世界、夜は神の創りし世界だとされているのは知っているか?」
「あ、はい。そこは知ってます、けど…。」
そう言えば椎名さんは日本の神話に詳しいんだったっけ。
あまりそこら辺に興味の無い私には初耳だった。
「だから妖怪や幽霊の類いは日中には殆ど出てこず、夜に跋扈する訳だが…。まあ彼方さんにもいるわけだよ、そこら辺弁えない奴がさ。」
ちら、と宮比さんは此方をみる。
人間側のそこら辺を弁えない私たちは、ただ眼をそらすしか出来ない。
「その人間側の世界に出すぎた妖怪や幽霊を、自分たちの世界に引き戻す役割を担っているのがオオオヌなんだよ。」
「じゃあ、椎名さんの家にオーオヌが来たのって…。」
「そういうこと。憑いてきちまった怨霊を元の場所に戻そうとしてるんだ。長束さんの感じた気配は、怨霊を家に入れさせないようにするための威嚇によるものだろう。自らの名に隠(おぬ:目に見えざる者の意)の字を冠する程の奴だから、“自分たちは人の世界に足を踏み入れてはいけない”って考えの元に行動しているのさ。」
だから宮比さんは大丈夫だと言ったのか。
確かにそれほどの存在なら、何とかしてくれるだろうという安心感もある。
「でも…勘違いしちゃあいけないのは、人間を守ろうとしてやっているわけじゃないって所だ。あくまでオオオヌは異形側の存在だから、幽霊や妖怪に過ちをさせないようにしている、といった方がいいな。」
「幽霊や妖怪が人を襲うのは過ちになるんですか?」
「まあ、私たちとあいつらは相対的な存在だからな。持ちつ持たれつ、といった関係なんだよ。さっき言った昼が人の世界、夜が異形の世界という考えを見ても解るだろ?だから、互いに互いが分を弁えるってのが大切なのさ。」
その後、宮比さんは椎名さんに説教を始める。
私や美琴ちゃんがされたものに比べれば随分と軽いものだったが、それでも椎名さんには堪えたらしい。
市外、すなわち宮比さんたちの目の届かない所の廃墟や心霊スポットには行かないことを約束させられた。
そして、私と宮比さんは住宅街を離れ、自分たちの島へと帰る。
「ああ、疲れた。今日もタダ働きだったなあ。」
「ちょっと歩いて喋っただけじゃないですか。それたけで疲れるものなんですか?」
「最近の私は寝不足なんだよ。オオオヌの気持ちが良く解るわ。」
大きく伸びをした後、宮比さんは座布団を枕にして縁側に横になる。
「そう言えば宮比さん、夜間の外出増えましたね。何をしてるんですか?」
「異形の世界に出すぎたやつらを、人間側の世界に引き戻してんだよ。」
「それじゃあ、ほんとにオーオヌと同じことしてるんですね。」
私のその言葉に、一旦閉じたその眼を開く。
そして顔だけをこちらに向けて、宮比さんは言った。
「なあ、夕。どっちが悪いと思う?人と異形、その境目が曖昧になり始めたことの原因は、どちらが作ったんだろうな?」
「え?えっと…。」
「この僅か百年の間に、人は夜に多くの光を持ち込んだ。そして、夜の世界を歩くようになった。最初にその境界を越えてしまったのは、人の方さ。」
宮比さんは、人が悪いと思っているようだ。
今度は顔を青空へと向け、ただ見つめている。
「多分…他のどの異形よりも、人に憤りを感じてるのはオオオヌなんじゃねえかな。それでもあいつは、異形としての誇りを胸に、自分の役割をこなしているんだ。立派な奴だよ、つくづく…。」
段々とその声は小さくなり、遂には聞こえなくなる。
名前を呼んでみても、返事はない。
すうすうという呼吸音が聞こえてきた時、寝てしまったのだと知った。
(異形としての誇り、かぁ…。)
異形にも、そういうものがあるのだろうか?
夜に住まうものとして、夜に生きるという誇り。
じゃあ、私たちは…?
昼に住まうものとして、光の中に生きるという誇りが有るだろうか。
(……。)
いまいち、ぴんとこない。
その時点でもう、私たちは誇りを忘れてしまったのかもしれない。
光の降り注ぐ外の世界を見つめながら、私はそう思った。




