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火喰

日曜日の朝。

いつもなら起こされない限り昼近くまで寝てしまう私が、早朝に目を覚ます。

やはり、昨日の事がまだ尾を引いているのだろうか。

睡眠も幾分か浅かったようで、身体に疲れが残っている。

布団を片付けて台所へ行くと、宮比さんが朝食の支度をしていた。


「おはようございます、宮比さん。」


「おう、おはよう。今日は早いな、夕。悪いが出来上がるまでもう少し待っててくれや。」


「あ、はい。分かりました。茅輪さんは?」


「ああ、和男は庭だろ。甕の中覗いてんじゃねえかな?」


おはようの挨拶のために、私は庭に出る。

すると、幾つかの甕の前に茅輪さんの後ろ姿があった。


「あ、茅輪さん、おはようございます!」


元気に大きめの声でそう言うと、茅輪さんは驚いたかのように、その大きな身体を飛び上がらせる。

そして此方に振り返り、安堵の溜め息を吐く。


「な、なんだ夕子ちゃんか。宮比かと思った…。」


「え?宮比さんだと都合が悪いんですか?」


明らかに、そういう意味を含んだ物言い。

宮比さんに見つかるとやばいことをしているのだろうか?


「ああ、まあな…。夕子ちゃんなら、言ってもいいか…。」


「?」


「いやな、今日やっと、作りたかったもんが出来てさ。これなんだけど」


そう言って私の鼻先に茅輪さんは何かを突きつける。

近すぎて見え辛いそれは、焦点が定まるにつれてその姿を現す。

…百足だ。


「──ひっ!?」


悲鳴をあげそうになった私の口が、茅輪さんの大きな手で塞がれる。


「わ、ちょ、大声出すなって!宮比に知られたら不味いんだから!」


只でさえ多脚の虫は苦手だったのに、この前のガヌのせいで更にトラウマになりかけていた。

そこへ鼻先に百足を突き付けられれば、大声も出すに決まっている。


「な、なんですか…?それ…。」


「これは百足の蠱毒さ。そうそう出来るもんじゃあないんだぜ?」


嬉しそうにそれを手で弄びながら、茅輪さんはライターをどこからか取り出す。

何に使うのだろう、と眺めていると、茅輪さんはそれで百足を炙り始める。

いくら嫌いな虫とはいえ、そんなことをされているのを見ると、可哀想に思えてくるものだ。


「ち、茅輪さん!いくらなんでも酷すぎますよ!」


「だいじょーぶだって。此れくらいじゃ死にやしないし、必要なことなんだよ。」


更に百足を炙り続けると、その体色が赤みを帯びたものに変化する。

それを見ると、茅輪さんはライターの火を消し、瓶の中に放り込んだ。


「よし、これでヒジキ完成、っと。」


「ヒジキ?」


私の脳裏に当然のように黒い海草の方が浮かぶ。

こんなのがヒジキだったら、二度と食べる気にはならないな…。

瓶の中で沢山の脚を動かしながら這い回るそれを見ながら、そんなことを思う。


「ヒジキっつっても、火を喰らうの意味だけどな。“火喰(ひじき)”と書くんだ。」


「はあ…そんなのどうするんですか?」


「決まってんだろ?宮比にこいつを取り憑かせて、喫煙の邪魔をするのさ。」


悪戯っ子のような笑みで茅輪さんが言う。

な、なんてことを考えるのだろう…。

ばれたら半殺しで済むかどうか。


「というか、そんなのが取り憑いて大丈夫なんですか?そもそも、蠱毒ってなんなんです?」


茅輪さんが蠱毒の専門家であるということは、以前聞いたことはある。

蠱毒も名前こそ聞いたことはあるものの、どういうものであるかは、よく知らない。


「大丈夫だよ。火喰は本来、火災を防ぐためのものだ。こいつが住み着いた家は火事が起こらなくなるって言われててな。人そのものに取り憑くタイプじゃないから、直ぐに取れる。まあマイナーな蠱毒だけど、だからこそ宮比も知らんだろうから、気付かれる心配もない。と思う。」


「へえ。」


「で、蠱毒ってのは簡単に言えば、“人為的に虫を変化(へんげ)させる方法”だな。意図的に妖怪化させるのさ。一つ所に百様百匹の虫を入れて、生き残ったやつが変化する。それを更に様々な手法で様々な蠱毒にして、利用してるんだ。」


「様々な手法?」


「ああ。百足の蠱毒を火で炙ると“火喰”に、マムシの蠱毒を生物の生き血で漬け込むと“蝕蝮”になる、といった具合さ。一種の虫にも、幾種類の蠱毒があるんだぜ。」


なるほど…意外と奥の深いものなのか。

私の中の好奇心が、すこし顔を覗かせる。


「説明はこれくらいにして…早速作戦開始といくか。」


茅輪さんはさぞ楽しそうに、“火喰”の入った瓶を眺める。

私はその未来が、血に塗られたものにならないことを祈るのみだ。

その後二人して居間に行くと、丁度朝食の支度が終わったところだった。

私は茅輪さんの企みを宮比さんに知らせること無く黙々と朝食を済ませ、居間から出る。

それに遅れること数分で茅輪さんも出てくる。

私の方を見ると、先ほどの悪戯っ子の笑みを浮かべ、火喰の瓶を取り出した。


「…大丈夫ですかね、こんなことして。」


いくら考えても、最悪の未来しか思い浮かばない。

今までの宮比さんから、怪異はなんでも知っているような気がして。

…茅輪さんと逆なら、そんなことはないんだけど。


「まあ…男にはやらねばならぬ時があるのさ。もしばれたら…夕子ちゃん、一緒に死んでくれ。」


「お断りします…。」


そんなどうでもいいことをやらねばならぬとは、男とは難儀なものだ。

茅輪さんが瓶の蓋を開くと、火喰は素早くそこから出、居間の中を駆け抜ける。

そして丁度縁側に腰かけた宮比さんの背中にくっついた。

…見ているだけで鳥肌の立ちそうな光景だ。

「で、どうするんですか?」


「俺たちはこのまま居間に戻って様子を見る。なに食わぬ顔でな。それだけさ。」


居間に入り、私はテレビを、茅輪さんは新聞を読む振りをしながら、更に宮比さんの様子を伺う。

何時ものように煙管をくわえ、マッチを取り出して煙管に火を着けようとした、その時──


「ん?」


そんな宮比さんの訝しげな声が聞こえた。

その手元を見ると、火は着かずにぽっきりと折れたマッチ棒が見えた。

今まで何千回と繰り返されただろうその行動を、宮比さんがしくじったのを見たのは初めてだ。

…まあ原因は別にあるのだけれど。

宮比さんは直ぐに二本目を取り出して火を着けようとするが、全くつかない。

いくら擦っても火は着かず、三本目、四本目と次々に折れていく。


「どした?宮比。」


その様子を見かねた振りをしながら、茅輪さんが聞く。

明らかに苛々とした様子で宮比さんは振り返った。


「このマッチ、いつのまにか湿気っちまったみたいでよ…。悪いが和男、ライターを貸してくれんか?」


「あ?ああ、別に良いけど…。」


ポケットから先ほどのライターを取り出し、宮比さんの方へ放る。

しかしライターも同様で、宮比さんがいくらスイッチを押しても点火しない。

むきになった宮比さんがライターを両手で握り、かちかちと音をたてながら火を着けようとする様を見て、私は吹き出しそうになる。

茅輪さんは中々の演技巧者で、当になに食わぬ顔でその様子を見ていた。

…心の中では爆笑してるんだろうなあ。


「こなくそぉッ!!」


遂に切れた宮比さんは、地面に思いきりライターを叩きつける。


「おい、俺のライターだぞ!なにしてんだよ!」


「ああ!?火の着かねえライターなんぞ持ってんじゃあねえよ!」


そう茅輪さんに当たり散らした後、宮比さんは居間から出ていく。

一方の茅輪さんは、被害者第一号のライターを地面から拾い上げ、戻ってきた。

流石に地面に叩きつけた程度では壊れてはいないようで、茅輪さんがスイッチを押すと容易く火は着いた。


「な?これが火喰の力さ」


な?とか言われても、こんな悪戯ではその折角の効果も微妙にしか見えないのだが…。


「ところで宮比さんはどこに…?」


「大方、台所だろーよ。」


台所…。

そうか、コンロか。

宮比さんは最終手段として、コンロで火を着けようと言うのだ。

私と茅輪さんがこっそりと台所へむかうと、その入り口から宮比さんの後ろ姿が見えた。


「…………………………。」


無言のままに、ただコンロのツマミを何回も捻っている。

かちんかちんとコンロから音が鳴るも、全く火の着く気配はない。

まるで火に嫌われているかのようだ。

というか、それを延々と繰り返す宮比さんが、何かとても怖いのだが…。


「ち、茅輪さん…何かとてつもなくやば気な雰囲気なんですが。」


「あー、確かにそろそろ不穏な空気だな。宮比の隙を見て火喰を取るとするか…。」


台所を離れ、居間に戻ろうとその扉に手をかけた時、ふらりと宮比さんが風呂場の方へ入っていくのを目にする。


「あら、お風呂に入るんでしょうか?」


「お、それは好都合。火喰は水が苦手だから、水気の多い風呂場に入れば勝手に取れる。それを回収すれば…。」


しかし、予想に反して直ぐに風呂場の扉は開き、中から宮比さんが現れる。

どうやらその目的は入浴ではなかったようだ。

ふらふらとした足取りで此方に向かってくるその姿は、下手な幽霊より余程怖い。


「おい、宮比。火は着いたか?」


茅輪さんの問いかけ。

しかし宮比さんは答えない。

その代わり、あるものを無言のままに突きつける。

それは…


「これァ、なんだ?和男…。」


わしわしと多脚を不気味に動かすもの。

赤みの帯びた身体をしたそれは、間違いなく火喰だった。

どうやら、風呂場に入ったのは洗面台の鏡を見るためだったようだ。

茅輪さんは明らかに動揺した様子で、辿々しく答える。


「あ、あー…立派な百足だな。ここは田舎だから、いてもおかしくないだろ?うちの田舎にも、よく出てたからなぁ。ははは…。」


どうやら、しらを切ることに決めたらしい。

しかし宮比さんは更に茅輪さんを追い詰める言葉を口にする。


「ほお。蠱毒専門のお前が“火喰”も知らんたァ、些か勉強不足なんじゃないか?和男よ。」


「げっ、知ってたのか火喰のこと…。」


やはり宮比さんは怪異について、かなり抜け目がないらしい。

だから止めとけと言ったのに。

しかし後悔先に立たず。

指の関節を鳴らしながら、宮比さんは更に近づいてくる。


「私の喫煙の邪魔をしたこと…その罰を受ける覚悟は出来てんだろうな?」


「ま、待て宮比!俺の話を聞けって!」


最早命乞いにしか聞こえない台詞を吐く茅輪さん。

無論それを聞く宮比さんではないが、茅輪さんは続ける。


「その火喰は俺の感謝の気持ちなんだって!」


「なんで感謝の気持ちで喫煙の邪魔をするんだ?」


「そりゃー偶々の不測の事態で…お前の祖父さん、火事で死んだろ?」


そこで漸く、宮比さんの表情が変わる。

…宮比さんのお祖父さんの死因を、茅輪さんも知っていたんだ。

私より付き合いが長いから、それもその筈か。


「この前、お前に励ましてもらって凄く嬉しくてさ。何とかその礼が出来ないかと考えて…その事を思い出したんだ。」


「…。」


「そんなことが有ったお前は、喫煙時にも、いや普段の生活から火事には人一倍気を付けていた筈だ。その負担を少しでも減らせたら、と思ったんだよ。」


火事に人一倍気を付けている人が、怒りに任せてライターを地面に叩きつけるだろうか?

という疑問は置いといて、茅輪さんの説得は効を奏したらしく、宮比さんの表情も、幾らか穏和なものになっていた。


「そうだったのか、和男…。」


微かに笑みが溢れたと思った次の瞬間──

非情にも、茅輪さんに鉄拳制裁が下された。


「痛ってえ!」


「でも、それとこれとは話は別だ。私の背中に憑いてた火喰にお前が気付かない筈がないからな。ありゃあ、わざとだろう。」


やっぱり、こうなるのか。

どうやら私はその制裁から外れているようで、何のお咎めもなかった。

その事に私は安堵する。


「でも、宮比さんも蠱毒に詳しいんですね。」


それじゃあ茅輪さんの存在意義が無いじゃないか、の意味を込めてそう言う。


「ああ、昔に少しかじった事があってな。でもまあ、今は殆ど忘れてるよ。火喰は火事の事があったから、印象に残っていただけで…。」


手中の火喰を、宮比さんは見つめる。

心なしか、その表情は嬉しそうで──。

茅輪さんの贈り物は、無駄ではなかったようだ。


「まあ、帰る前に出来て良かったよ。百足の蠱毒が出来るのなんて、本当に少ないからな。」


殴られた右頬を擦りながら、茅輪さんが言った。

それは、私の忘れていたことを思い出させるものだった。

そうか、明日帰っちゃうんだ、茅輪さん。

私の心の中に、寂しさが生まれる。


「…寂しくなりますね。明日から。」


「あ?ああ、俺もちょっと寂しくなるな。」

「私はとても寂しいです。もう茅輪さんがいなくなると思うと…。」


私のその言葉に、宮比さんと茅輪さんがきょとんとする。

そして二人顔を見合わせて言った。


「あれ、宮比お前伝えてなかったのか?」


「そーいや、言い忘れてたわ。正直私にとっちゃどうでもいいことだったからな。」


「あっ!ひでえ!」


私には何だか分からないことを言い合う二人。

宮比さんの言い忘れてた事って、何だろう?


「あー、夕よ。こいつ確かに明日帰るけど、そりゃ一時的でな。こっちでの仕事が思うように進んでなくて、解決するまでここに滞在することになったんだよ。」


「は?」


「いやあ、これで暫く食いっぱぐれなくて済むわ。最近マジで危なかったんだ。」


「…後でしっかり食費は請求するからな。精々稼いどけよ?」


そのことで昨日今日を寂しく過ごしていた自分が、何だか馬鹿みたいだ。

心の中の寂しさはあっさりと消え、虚無感のようなものが代わりに芽生える。


「ところで和男。火喰はどうすりゃ良いんだ?」


「ああ、床下にでも放せば効果はあるから…一日一回は火を食わせないと出てっちまうからそこだけは気を付けてな。」


「ん、解った。まあ煙草の燃えさしでもやれば良いだろ。」


「…なんかペットみたいですね。」


家に一人と一匹、住人が増えるわけか。

一匹の方は慣れるまで時間が掛かりそうだけれど。

とにかく、これからもこの賑やかさが続くと思えば…うん、嬉しいことだ。

私はただ、笑顔で頷いた。



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