ヒトヒノキ
茅輪さんが家に来てから、5日経った。
一週間ほどの滞在との話であったから、明後日には此処を立つのだろう。
この5日、家の中は随分と賑やかだった。
寂しくなるだろうな、と思うと、その事が残念でならない。
今日は土曜で学校は休み。
特に外で遊ぶ予定もない私は、ただ机に向かって宿題をしていた。
苦手な数学の問題に四苦八苦していると、突然玄関の戸を激しく叩く音が家の中に響く。
それに私は驚き、思わず鉛筆を床に落とした。
「誰だぁ?戸が壊れちまいそうなくらいに叩きやがって…。呼び鈴あるだろうがよ。」
不機嫌な宮比さんの声が聞こえてくる。
私の部屋の前の廊下を通り、玄関へ行くのが足音で分かった。
誰がきたのか少し興味のあった私は、部屋の扉を開いて頭だけ覗かせる。
「誰だ?名前くらい、名乗りやがれや。」
「…棚持蘇吉と言う。家主に少し、話がある。」
聞いたことのない名前だった。
しかし、それを聞いた瞬間に宮比さんの表情が変わったのを、私は見逃さなかった。
どうやら宮比さんは知っている名前らしい。
玄関の戸を開くと、老人と日傘を持った伏し目がちの女性が立っていた。
「何ですかね、棚持さん。」
「…御主が原江宮比、か?」
「ええ、そうですよ。それで、話ってのは何なんです?」
蘇吉と名乗った老人の目は、明らかに宮比さんの事を敵視していた。
少しの沈黙の後、老人は語り始める。
「ここ最近、我が一族の集落近辺を彷徨く不審な男がいると噂があってな…。」
「…へえ。それで?」
「額に一文字の傷のある、強面の男という話だったが…その話し通りの人物がこの家に出入りしているらしいではないか。一体何用で彷徨いているのか、教えてはくれまいか?」
話を聞く限り、まず間違いなく茅輪さんの事だろう。
仕事でここに来たとの事だったが…その一族の調査が目的なのだろうか?
とても言い逃れ出来そうにない流れだが、宮比さんは少しの笑みを含んだ表情で、あっさりと言い放つ。
「ああ、確かにそりゃあ、家のもんだ。でも別にあんたの一族の内情を探ろうとか、そんな野暮なことをしている訳じゃない。奴ァ蠱毒の専門家でね。虫取に勤しんでいる内に、うっかりそこに迷いこんじまったんだろうな。」
「……。」
疑いの眼差しで、老人は宮比さんを見つめる。
その時、間が悪いと言うべきか良いと言うべきか、当の茅輪さんが老人と女性の後ろから現れた。
虫取網を片手に、幾つもの虫籠を身体中にぶら下げながら。
麦わら帽子が案外似合いそうな風体だった。
「あれ、客人か?宮比。」
その問いに対して宮比さんはちらと茅輪さんを見るに止まる。
老人も女性も同様にして茅輪さんを一瞥し、呟く。
「…虫取をしている、というのは本当のようだな。」
「だから言ったろ。そもそもあんたらの一族を探ろうとするなら、その目と鼻の先に拠点を据えるような真似せんだろう?」
「…灯台もと暗し、とも言うがな。まあ良い。今回は引き下がろう。但し、以後我が一族の集落には、極力近づかないで頂きたい。昨今、この島に部外者が住み着き始めているだけでも怯える者がいるのだ。余り疑わしい真似事をしていると、この島で生きていけなくなるぞ?」
そんな脅迫めいた言葉を残し、二人は去っていく。
何だったんだろう、あの人達は。
その二人の背中を目で追いながら、茅輪さんは家に上がる。
「おい、あれ棚持の…。」
「…お前の目立つ風貌のせいで、面倒ごとに巻き込まれるとこだった。今度から覆面でもするか?」
「余計目立つわ!つーか通報されるだろ!」
「ま、冗談はさておき、ちょっと話が必要だな。尾白さんに連絡して、今後の事を…。」
振り返った宮比さんと、目が合う。
何だかばつが悪そうな顔をして頭を掻いた後、宮比さんは懐から財布を取り出して千円札を抜き出した。
それを私の方にぶっきらぼうに突き出して、言う。
「悪い、夕。これからちょっと大人同士の話し合いが有るんでな。こいつやるから、外で遊んでこい。」
別にお金なんか貰わなくてもいいのに。
でも最近苦しいから貰っておこう…。
私は黙ってそれを受け取り、日の照り付ける外に出る。
しかし、いかんせん急な話。
いつもの3人はそれぞれの予定があるらしく、その他の友達も同じだった。
仕方なく私は本土の店でアイスを買った後、島に戻る。
アイスをかじりながら橋を渡っていると、ひとつ、考えが思い浮かんだ。
…さっきの話を、調べてみようか?と。
正直なところ、私は、自分の住む島が余り好きではなかった。
何だか陰鬱としていて、暗い雰囲気の漂う場所だったから。
それ故に、今まで島の中を歩いたりしたことがなかったのだ。
自分の身近に、未だ知りもしない事がある。
それだけで、調べてみようと思い立つのには十分だった。
先程の老人の、何か隠しているかのような物言いが、私の好奇心を刺激したのかもしれない。
私の住んでいる家は、島の出入り口の近くにあった。
そこは他に数軒の家がたっている程度の、とても小さな集落に過ぎない。
その奥。もっと奥に、話の集落が有るのだろう。
家の前を素通りした私は、更に奥へと繋がる道の前に立つ。
…このまま此処を進んだら、見つかるよね。
近づくなという老人の警告の言葉が頭の中に響く。
なら、見つからないように海沿いに進もう。
それなら身を隠すところもあるし、人目にも付きにくいだろう。
考え付くままに私は道を変え、足を海水に浸しながらも未知なる道を只進む。
しかし所詮は子供の浅知恵と言うべきか。
途徹もない悪路である。
大小の岩が多く、しかもそれが海水に濡れ、所々苔のような海草が生えているので滑りやすい。
しかも、波がある。
ここで滑りでもしたら、一瞬で土左衛門になりかねない。
(…やめとけば良かったかな。)
元々体力はないし、登り降りばかりしていたから、体のあちこちが悲鳴をあげはじめている。
一際大きな岩の上で少し休もうと座り込んだときだった。
「そこの、貴女──。」
抑揚の余り無い、静かな呼び掛け。
それを聞いて、私は飛び上がる。
見ると、直ぐ近くの岩の上に、女性が一人立っていた。
それが誰だか知り、私は更に慌てる。
さっきの日傘を持った、女性だ。
「そこで、何をしているの?」
「え、あ、その──。」
足場の悪さに、運動神経のなさ。
そこに慌てたことが加わって、私は岩から足を踏み外す。
「わああっ!!」
そんな悲鳴を上げながら、私は海中へと放り出された。
私は泳ぎも得意ではない。
金槌と言うほどではないが、それに近い。
ただ闇雲に手足をばたつかせ、浮上しようと試みる。
しかしそれが余計なことで、口の中に塩辛い水が大量に入り込み、更に私を慌てさせる。
そんな悪循環の中にいる私の腕を、誰かが掴んで引き上げた。
誰か。
そんなの、一人しかいない。
「馬鹿ね…。そんなに慌てること、無いのに。」
咳き込む私を見下ろしながら、女性は静かに言う。
最早逃げられない。
私はただ、縮こまるようにしてその場に座り込む。
「貴女…さっきの家にいた子?顔だけ覗かせてた──。」
「…う。は、はい。」
やっぱり、見られていたようだ。
毎度毎度、自分の浅はかさには我ながら嫌になる。
「そんなに怯えなくても、良いのよ?父は、ああ言ってはいたけど、私は気にしてないから。私、棚持礼子っていうの。貴女は…?」
「い…五木場夕子、です…。」
あの二人親子だったんだ。
あんまり、似てないな。
娘は父親に似るとか、聞いてたけど…。
「兎に角、こっちにおいで。ここじゃ、危ないから…。」
礼子さんに手を引かれ、私は陸に上がる。
海水でぐっしょりと濡れた服が、とても重い。
帰ったら、宮比さんに怒られるかな…?
「…家に来る?着替えくらいなら、私の古着とかあるけど。」
「い、いえ、大丈夫です。家近いので。」
この人の家という事は、さっきの老人の家でもあるのだろう。
あの話を聞く限り、老人の方は私たちによい感情は持っていないように思える。
だから、何か怖い。
「…そう?でも、なんだってあんなところに?」
「えっ…えっと、この島の探検しようかなー、と思って。住んでるけど、余り知らなかったから…。」
肝心の部分をはぐらかして、私はそう言った。
礼子さんはふうん、と呟くと、私の顔を覗き込んでくる。
「な、なんでしょうか?」
「…それ、今日私の父があんなこと話したから…?私たちの事が気になったの?」
「!い、いえ、そういう訳では…!」
「言ったでしょう?私は別に気にしないって。大丈夫よ。そうだとしても咎めないし、父に告げ口なんかしないから。」
そう言われて、更に詰め寄られたら、もう誤魔化しはできなかった。
私はただ、黙ってうなずく。
「まあ、そうよね。あの父の行動は逆効果だったって訳ね…。」
「ごめんなさい…。」
「良いのよ。貴女くらいの年の子なら、気になって当然よね。」
そう言うと礼子さんは一本の木の元へ向かい、そこで屈んだ。
そこには、線香や花束、桶に柄杓等がおかれている。
「…なんですか?それ。」
「私今、墓参りに来てたの。その時、ここから貴女が岩を渡ってるのが見えたから…。」
変なことを言うものだ。
見渡しても、何処にも墓など無い。
ただ、木々が立ち並んでいるだけだ。
その木一つ一つが、区切られた区画の中にある、という変わったところは有るが。
「…ああ、そうね。貴女には、不可思議な事よね。」
置かれた荷物を纏めて抱え、礼子さんは立ち上がる。
そして、その目の前にある一本の木を撫でながら、言った。
「この木がね、私のお母さんのお墓なの。」
「え?」
島にしっかりと根を張るこの木が、墓?
何を言っているのだろう。
つまり、この島に住む人は、墓石の代わりに木を植えるということなのだろうか?
そういう風習なのだと考えれば、解らなくもないが…。
その事を聞くと、礼子さんはゆっくりと首を振る。
「そうよね…貴女には、解らないわよね。」
抑揚の無かった声に、初めて加わった感情。
表情こそ変わらないものの、どこか悲しげな声で言った。
「…私の一族には、ある病気があるの。」
「病気?」
「そう、病気。表向きにはそう言われてる。」
「表向きには、って…じゃあ本当は違うんですか?」
礼子さんは私の方をちらと見る。
しかしその視線はすぐに母の墓と言った木に戻される。
「早ければ、二十歳前後で…遅ければ七十歳位。いつそうなるかは解らないけれど、必ず発狂するの。そしてそれは治ることは無く、段々と自我が蝕まれていって死に至る。そんな病。」
「…。」
抱えた荷物の中から、礼子さんは鋏を取り出す。
それは、供える花の長さを調節するためのものだろうか。
それを右手に握りこみ、高く振り上げて──目の前に木に、勢いよく刺し込んだ。
意外に軟らかい木なのだろうか。
さして鋭いとも言えない鋏の切っ先が食い込んでいた。
「それでね、その死体を埋葬すると、必ず生えてくるのよ。その場所に、この人霊ノ木と呼ばれる、木の芽が…。」
言いながらゆっくりと鋏を引き抜く。
すると、その傷の付いたところから、樹液が流れ始めた。
それは赤く、さらさらとした液体で──まるで、血液のようだった。
「…それが呪いに依るものだっていったら──貴女はそれを、信じるかしら?」
礼子さんと別れてからも、私はずっとその事を考えていた。
普通なら、人から木が生える何て事はありえないだろう。
しかし、幾度と無く不可思議なものを見てきた私には、そうは感じられなくて…。
「…ただいま帰りました。」
「おう、お帰り夕。」
もう話し合いは終わっていたのか、台所の方から宮比さんが出てきた。
いつもの見慣れた光景に、私は少し落ち着く。
あの場所は、やはり雰囲気からしてなにか違う。
それが何なのかは、解らないけれど。
「ん?ちょっと待て、夕。」
すれ違い様、襟首の所を捕まれる。
そして私に顔を近づけて言った。
「…なんか磯臭いな、お前。」
ああ、やっぱりばれたか。
服は大体乾いたから、何とか誤魔化せるかとか思っていたのに。
「何してたんだ?」
「いえ、その…海で遊んでたら、落っこちちゃって…。」
「相変わらず鈍臭いやつだな。早く風呂入ってこい。服も全部、洗濯機に入れとけよ?」
予想と違って怒られることは無かったが、どちらかというと怒る気にもならない、といった感じだった。
それはそれで、なんか落ち込むな…。
取り合えず、言われた通り風呂場へ向かおうとする。
その時、宮比さんに聞くべきだろうか?とあの事を思い出した。
「宮比さん、あの…」
「ん?どうした?」
けれど、そこで私は少し躊躇う。
宮比さんたちの言っていた大人の話というのは、勿論私の聞いた話に関係するものに違いない。
わざわざ隠そうとしていることを、聞くのは如何なものだろうか…。
そう思ったのだ。
「…えっと、茅輪さんは何処に?」
「あ?和男なら庭にいるぞ。」
「そう…ですか。」
問いかけを不自然なものにするまいと、正直どうでも良いことを聞いてしまう。
それはそれで不自然だったのか、やはり宮比さんは訝しげな表情をする。
「何で和男の事なんか…まさかお前、一緒に風呂入ろうとか言い出すんじゃ無かろうな?」
「ち、違いますよ!見当たらないから気になっただけで…兎に角、入ってきます!」
慌てるようにして脱衣場に駆け込み、その戸を閉める。
そして鍵をかけると、私は服を脱ぐでもなく、壁に寄りかかった。
…なんでかな。好奇心が疼かない。
いつもなら、こう言うことに興味を持つ筈なのに、今回はそれが全くない。
ただその事に対する違和感が募っていくだけ。
(…いや、それでいいんだよ。これに好奇心なんて持ったら、不謹慎だもん。)
発狂して、そのまま死に至る呪い。
それが一族全員に及んでいる。
そんな大変なことを面白半分で調べるなんて、不謹慎にも程がある。
私はしばらくそのままに、自分自身にそうやって言い聞かせていた。




