天垂糸
小瓶の中に入った小さな蛇を見つめる。
赤黒い色をしたそれは、時折細長い舌を出し入れしながら、ただ瓶の底をぐるぐると回っている。
まるで俺を、嘲笑うかのように。
「なァにやってんだ?和男。」
縁側で喫煙をしていた宮比が、声をかけてきた。
ずっとそうしている俺を見かねたのだろうか。
喫煙時間を邪魔されると切れる宮比が、喫煙中にそうしてくるというのは余程の事だ。
「いや、別に何も…。」
「昨日から元気もない。飯もあまり食わない。ただそうやって、瓶中の蝕蝮を眺めている。何も無いわけ無いだろ?」
「…。」
「昨日の仕事、何かあったのか?」
宮比は、勘がいい。
いや、今回は俺の隠し方が下手なのだが…。
仕事から帰ってくるなり元気が無くなっていれば、そりゃ何かあったとは勘繰るだろう。
最早隠しだて出来ないと思った俺は、正直に事の次第を話す。
「昨日の仕事で、被害者の子から蝕蝮取ったんだけど…どう考えても手遅れだったんだよ。」
「手遅れ?」
「蝕蝮に取り憑かれてた年月を考えても、残った寿命は精々数年…。その事を父親やその友人に伝えて、悲しむ姿を見てたら何か罪悪感に苛まれちまってさ…。」
「ほお。」
「他に良い手があったんじゃないか、とか考え出したら止まらなくてさ。何か嫌になってきたわけよ。」
俺の言葉に、なるほどな、と合点のいったような台詞を呟く。
そして縁側から立ち上がり、家の中に入って、俺の真向かいに胡座で座り込む。
「和男、お前人の命に関わる仕事、初めてだったのか。」
「あ、ああ。今時、蠱毒を用いた事件とか殆ど無いからな。今までやってきた仕事は全部、不完全な蠱に取り憑かれてちょっと運気が下がってたとか、そんな程度だったからよ…。」
「そんな程度の仕事しかないから、貧乏なんだなお前は。時代が悪かったな。」
「……うるせぇよ。大きなお世話だ。」
宮比の毒づきにも、怒る気にもならない。
ただただ、後悔だけが募っていく。
宮比はすぐにまた立ち上がり、部屋から出ていった。
もうあいつの中で、この話は終わったのだろう。
原因が知れたから、興味をなくしたのかもしれない。
そう思って、俺は再び小瓶の中の蛇に目を落とす。
それは相も変わらず、飽きずに瓶底を這い回っていた。
部屋の扉がまた開いたのは、数分ほどしてからだった。
そちらに目を向けると、何故か外行き姿の宮比がいた。
「ほら、お前も準備してこい。」
「は?準備って?」
「外出の準備だよ。」
「外出ったって…何しに?」
「男と女が外出ったらデートだろデート。」
「はあ!?デートぉ!!?」
思わず叫ぶ。
あまりに突然で、意外すぎる事で。
「女に縁無さそうだからな。嬉しかろう?」
お前も男に縁無さそうだが…と返しそうになったのを、寸でのところで抑える。
正直に言って、俺は宮比を女として見たことはない。
つい『神が間違えて女の身体に男の魂を入れたんじゃないか?』とか言ってぶん殴られた事もある。
要するに、男勝りすぎるのだ。
しかし、断ったところで折れる宮比でもない。
「わあったよ…ちょっと待ってろ。」
渋々ながらそう答え、部屋から出る。
タイミングからいって、俺の気を紛らせる為の行動だろう。
その気持ちだけは、少し嬉しく感じた。
準備を終え、二人して家を出る。
一体どこへ向かうのか、尋ねても宮比は答えない。
ただ付いてこい、と言うだけだ。
明確な目的地があるのは確かなようだが…。その歩む道は段々街を外れ、山道へと向かう。
「おいおい、本当に何処に行くんだよ?」
「黙って付いてこい、ってんだろ?もうすぐだから我慢しろ。」
疲れた素振りなど微塵も見せず、軽快な足取りで俺の先を行く宮比。
全く、どう育ったらこんな男みたいな女が出来上がるんだ。
俺が一番謎に感じることだ。
やっぱり神が間違えたのでは……
「ほら、付いたぞ。」
宮比の言葉に我に返ると、目の前にはこの町の全貌が広がっていた。
どうやら高台のような場所に出たらしい。
休憩できるように、ベンチや灰皿などが置かれている。
「何だよ、ここ。」
「私のお気に入りの場所だよ。」
そういって宮比はベンチに腰を下ろし、煙管を取り出す。
こいつ…デート中でも構わず喫煙をするのか。
本命ではないからかもしれないが…いや、こいつなら本命でもやりかねないな。
取り合えず、俺も疲れをとるために、その隣へと座る。
「どうだ?」
「は?何がだ?」
「ここの眺め、だよ。」
煙管を加え、器用に火を着けながらそう聞いてくる。
広大な平野に広がる人間の生活の営み。
俺の地元では見ることのできない光景だ。
「まあ…悪くないな。」
「自分の小ささがよくわかるだろ。」
煙を空に吹き掛けながら宮比は言った。
その言葉の意味が解らずに考え込む俺に、更に続ける。
「お前が少し、思い上がっていたみたいだったからな。」
「あ?」
「もしかしたらもっと他の良い方法があったんじゃねーかなー、なんて。」
「何だよ、それが思い上がりだってのか!?」
心外な言葉に、つい語気を強める。
けれども少しも臆した様子を見せずに宮比は言う。
「思い上がりだよ、和男。私たちは全能の神じゃない。出来ることもあるし、出来ないこともある。」
「別に自分が神なんて思ってねぇよ。」
「そうか?まあそれなら良いんだがな。でもお前は一つ、肝心なことを忘れてるよ。」
「…何をだよ。」
「お前がその子の命を救ったという事実をさ。」
命を救った?
高々数年だけじゃないか。
だからこそ、もしかしたらもっと生きることが出来る良い方法があったのかもしれないと、そう悩んでいるのだ。
「はいストップ。また思い上がってるな?」
俺の考えを読んだのか、俺の方へ掌を見せながらそう言った。
「神じゃ格が高すぎたかな。…じゃあ、お前は医者じゃない、と言おう。」
「もう俺にはお前の言いたい事がわかんねえよ。」
「日夜必死に勉強して、人の命を預かるまでになった医者が解らなかった原因を、お前は解明したんだろ?」
「…そりゃ、それが専門だからな。」
「それだよ、和男。私が言いたかったのはさ。その道の専門家であるお前が、最善だと思った方法の結果が数年なんだ。それ以上延ばそうとしたら、それこそ神に頼るしかない。」
「…。」
「他の誰がやっても、それ以上の結果は出せまいて。お前がやったことは、人の出来る最大限の事なのさ。それを責める事の出来る奴なんて、いやしないんだよ。まあ、お前が手を抜いたってんなら話は別だけどな。」
…いや、俺は手を抜いたつもりはない。
そもそも、蝕蝮は取り除くしか方法のない蠱毒だ。
それに対する蛞蝓の蠱毒で、取り除くしかなかった筈だ。
「それに、数年が短いかどうかなんてのは、その子本人が決める事だよ。そこからは、私たち外野が論じたって仕方のない事さ。」
「宮比…。」
宮比の言葉は、俺のものでもあった。
でも、数年以上延びようは無かったと自分で思うことが、諦めであるような気がして──。
自分への誤魔化しであるように思えて、怖かったのだ。
「…お、ありゃあ──。おい、和男。彼処見てみ?」
何かを見つけたらしい宮比が、ある一点を指差す。
その先にあったもの。
それは、一つだけ空に浮かんだ雲だった。
「あれがどうかしたのか?」
「よーく、見てみろ。目を凝らしてな。」
言われた通りにして、俺は雲を見つめる。
すると、幾本もの金色の糸が、きらきらと輝きながら垂れ下がっているのが見えた。
「…なんだ、ありゃあ?」
「“天垂糸”という、怪異の一種だ。その昔、天国へ繋がる糸だとして、見たものには幸運が訪れると言われててな。」
「へえ…。」
「いつまでも落ち込んでんなよって、奴らも言ってんだよ。元気出せ、な?」
そう言って、ばん、と思い切り俺の背中を叩く。
結構な痛みだったが、その分気持ちがこもっているように感じた。
「まあ、実際は雲に引っ付いて移動してるだけの妖怪なんだけどな。」
「おい。」
「いや、滅多に見れないことに変わりはないから、幸運っちゃ幸運だろ?」
子供のような笑顔で、宮比は言った。
最後に入らんことを言ってはくれたが、珍しいものは見れたらしい。
俺はもう一度空を見、天垂糸を見つめる。
と、その時、突然それがぷつりと切れ、空中を漂い始める。
「お、おい、あれ切れちまったぞ…。」
「え?…げっ、やべえ!」
何がやばいのかを聞こうとした瞬間、俺と宮比の頭上を凄まじい風が吹き抜けていく。
それから再び見上げると、青空はすっかり曇り空へと変貌していた。
これは、俺ですら知っている怪異だ。
「今の、呑天か?通り雨を起こすって言う…。」
そう宮比に問いかけるも、返事はない。
不思議に思った俺が視線を地上に戻すと、隣に座っていた宮比の姿はない。
「あれ?おい、宮比?」
あちこちに目を向け、最後に後ろを振り向くと、すごい勢いで走っていく宮比の姿があった。
「おい、どこにいくんだよ!?」
遅れないように、俺も全力で後を追いかける。
流石に速力は足の長さの差もあり、俺の方が速い。
すぐにその背に追いついた。
「おい、どうしたんだよ、宮比!」
「いや、洗濯物干しっぱで来ちまったから、急いで帰らないと濡れちまうんだよ!」
なんとも家庭的な理由だ。
まさか最後の最後でランニングをするはめになるとは…。
「ところで、何であの糸は切れたんだ?」
「ああ、あいつら雲に引っ付いてるから、そのままでいると一緒にどんてんに食われる可能性あるからな。危険を察知するとああやって離れて、更にどんてんの起こす風にのって遠くへ行くんだ。」
「なるほど。」
「因みに昔は天国への道が切れるってんで、その瞬間を見たものには悪いことが起こるって言われてた。」
「ふざけんな!最悪じゃねーか!」
「ま、私には早速凶兆だったみたいだがな。お前も気を付けろよ。」
全く、こいつといると何かと大変な目に会うような気がする。
それでも一緒にいると気分が良いのは、それ以上に楽しいからかもしれない。
共に暮らしていったなら、尻に敷かれるのは確実だが…。
一生退屈しないことは、間違いないだろう。
小雨の降りだした中、俺はそんな事を考えながらただ走った。




