火群の鬼
チャイムが鳴り響く。
それは、今日の学校の終わりを告げるものだった。
「あー、やっとおわったかあ。」
伸びをしながら、美琴ちゃんが言った。
放課後と言うものは、妙な達成感があるものだ。
私はそれを感じつつ、同様に伸びをする。
「じゃあ帰ろ…」
「おっと、待ちたまえよ夕子君。今日は部活の日ですぜ。」
帰ろうとした私を、美琴ちゃんが制止する。
いや、そんなこと聞いてないんですけど…。
「出来れば、事前に行くこと教えてくれないかな?」
「んー、今日のは急なネタだったからなあ。」
「急なネタ?なんなのそれ。私も知らないやつ?」
話に椎名さんと隆斗くんが加わる。
部活のメンバーがこれで揃ったわけだ。
「うん、これは昨日の話なんだけどさ、この町の畑とか田圃がたくさんあるとこ、あるじゃん?」
「ああ、あそこね。結構近場じゃん。」
「あそこでさ、変なものが目撃されたらしいのよ。」
「変なもの?」
美琴ちゃんが不気味な表情で語るものだから、私は唾を飲み込む。
「身体中が赤く爛れて、ぼろぼろになった死体みたいのが歩いてたんだってさ。遠目だったから、ちょっと曖昧らしいけど。」
「うえ、まじかよそれ。今までと違って何か直接的だな…。」
確かに、想像するだに不気味だ。
皮膚の赤く爛れた、歩く死体のようなもの。
それって、つまり…
「つまり、ゾンビってこと?」
「うんにゃ、そこまでは解らないけど…。でも調べてみる価値はあるでしょ?」
気にはなる。
けれど、グロテスクな物に対する耐性のあまりない私は、少し躊躇う。
「近くでそんなもの見たら、一生トラウマものだよ…。」
「まーねー。死体なんて出来れば見たくはないよね。」
椎名さんが同調して頷いた。
好き好んで死体を見に行くほどの野次馬根性など、美琴ちゃんくらいしか持ってないのではないか。
「何々?反応薄いなー。折角の新鮮なネタなのに。」
「でも新鮮なってことはお前、そこの事情はよく知らないってことだよな?」
「うん?うん。何の曰くがあるかは解んないけど。」
「つーことは危険な可能性も有るってことだよな。」
隆斗くんのその言葉で、暫しの沈黙が流れる。
まあ、事情知ってても危険だったところはあったけど。
ゾンビのようなものが出たと言うことは、考えられる危険は…。
「私、食い殺されたくないな…。」
「うん、その挙げ句に同じゾンビになったら悲惨だしね…。」
私の意見に、また椎名さんが同調した。
「二人ともゲームのやりすぎだって。現実的に考えてそんなことあるわけないじゃん。」
「現実的に考えて、死体が歩くなんて事もあり得ないと思うんだがな…。」
取り合えず、私たちは約束通り宮比さんに連絡を入れることにする。
私は携帯を取りだし、家の電話番号を入力した。
いつもより少し長い呼び出し音が続いたのち、漸く声が聞こえてくる。
『もしもし…原江ですけど?』
不機嫌さを含んだ、刺々しい声色。
やってしまった、と私は内心思った。
「あ、あぁ…あのぅ、私です。」
『…なんだ、夕。私の喫煙時間を邪魔するとはいい度胸だな。』
ひい、やっぱり。
今までは電話の時、何とか喫煙時間は避けられていたのだが…。
今日、その運は終わりを告げ、遂に私は禁忌を犯したのだ。
「いえ、その、すいません。ち、茅輪わさんに変わってくださいぃ。」
『和男は今外出中だ。奴なりの仕事があるんでな。そんなことより、さっさと用件を言え、用件を。』
観念した私は、美琴ちゃんのしてくれた話をそのまま宮比さんに伝える。
「…というわけで、そこに行って良いのか聞こうと思って。」
『…。』
「宮比さん?」
『止めとけ。』
「え?」
さっきまでの不機嫌さを含んだ声ではなく、いつもの調子に戻って言った。
短く簡素なその制止の一言に、私は呆気にとられる。
「やっぱり、危険なんですか?」
『危険っちゃ危険だな。』
「命の危険も?」
『あるっちゃあるな。』
なんだか曖昧だな…。
何時もと違う様子の宮比さんに戸惑っていると、向こうから切り出す。
『まあ、そいつのいたところに近づかないんなら、行ってもいいかもな。』
「え?それってどういう…。」
『そのままのことだ。それじゃあ切るぞ。』
私の返事も待たずして、電話は切られてしまう。
通話の終わった所を見計らって、美琴ちゃんたちが話し掛けてくる。
「で、なんだって?」
「えっと…纏めると、“危険と言えば危険だし、命の危険もあると言えばあるけれど、その怪異の出たところに近づかなければ行ってもいい。ただし私はお勧めしない”かな?」
「え、どういう意味それ。」
まあ、そういう反応するよね。
まとめた私も、どうすれば良いのかわからないし。
それを聞いた椎名さんがさらに要約をする。
「つまり、極めて限定的だけれど、危険はあるってことでしょ。」
「あ、そーいうこと。」
「原江さんが行ってもいいって言ったんだから、まあ行っても大丈夫なんじゃねえ?」
確かに止めとけとは言っていたけれど、そこまで強い制止ではなかった。
その解釈で一致した私たちは、荷物を鞄に纏めると直ぐにその田園地帯に向かう。
それは、私の通学路の途中にある場所だった。
視界を遮るものが殆ど無いために見晴らしが良く、ここの眺めが私は好きだった。
「ところでお前、この情報どっから仕入れたんだ?」
「ふふん、私の情報網を舐めないでくれたまえよリュートくん。」
よくわからない調子の美琴ちゃんを尻目に、私たちは辺りを見回す。
けれども歩く死体はおろか人も見えない。
ただ、青々とした畑が連なっているだけだ。
「そういえば、原江さんは死体の出たところには近づくなって言ってたんでしょ?」
何事かを思い付いたように、椎名さんがわたしに聞いてくる。
「うん、そうだよ。」
「裏を返せばそこに何かあるって事よね…。」
「まあ、そうなるね。」
「美琴、その死体が歩いてた所って、どこ?」
「えっとね、確かあっちの…」
美琴ちゃんの指差した方向に、皆一様にして目を向ける。
そして、一様にして動きを止めた。
「なんか…煙出てない?」
「…うん、出てるね。」
「…木が燃えてるのか?」
「そう…みたいだね。」
いざ緊急の時となると、動きは鈍るものだ。
燃え盛る木々を眺めながら、私たちは悠長にそんな会話をしていた。
そうこうしている内に火は勢いを増し、更に他の木へ燃え移るかに見えた。
そこでやっと、私たちは慌て始める。
「は、早く消防に連絡しないと!」
「110番だ、110番!」
「バカ隆斗!110番は警察でしょ!118だよ!」
「美琴も同類。118は海保。消防は119。」
そんな漫才のような事をしている内に、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
そして、消防車が私たちのすぐ脇の道路を走り抜けていった。
「あ、誰か連絡したんだ。」
「…まあ、あんだけ燃えてれば他の人も気付くか。」
夏ゆえに乾燥もしておらず、燃え始めであったのも幸いしたのだろう。
眺めている間に消火活動が行われ、火の勢いも弱まっていく。
暫くそのまま突っ立っていた私たちだが、椎名さんが口を開く。
「ねえ、あそこにその死体が歩いてたんでしょ?」
「そうらしいけど。」
「じゃああれ、その死体の仕業ってこと?」
「いや、それは違うな。」
突然、宮比さんの声が聞こえ、私たちは面食らう。
一斉に振り替えると、すぐ後ろに立っていた。
「み、宮比さん!?なんでここに…。」
「そりゃお前の電話受けたからだよ。消防にも連絡しておいてやったんだから感謝しろよ。」
あれは宮比さんが呼んだものだったみたいだ。
それにしても、さっきの言葉は一体…?
「あれがその死体の仕業じゃないなら、何なんですか?」
私が聞こうとしたことを、椎名さんが先に口にする。
「まー、煙草のポイ捨てか焚き火かなんかの不始末ってところか。いずれにせよ、人為的なもんだな。」
「ちぇ、何かつまんないな。件の死体が火付けたのかと思ったのに。」
がっかりした様子の美琴ちゃん。
それを見た宮比さんはぽんとその頭に手を置く。
「まあ、そう不貞腐れるなよ。あの火とその死体が無関係だって言ってる訳じゃ無いんだからな。」
「じゃあやっぱり…?」
「ああ。まあ、詳しく話す前に私用を済まさせて貰うがな。」
そう言った宮比さんはつかつかと歩き始め、朽ちかけた倉庫のような、小屋の前で立ち止まる。
農具を仕舞っておく倉庫なのだろうか、今は使われていないようで、扉に鍵は掛かっていない。
「…懐かしいな、この感覚。お前が近くにいると、暑くって堪らねえ。」
そう呟いた宮比さんの顔を、一筋の汗が流れ落ちた。
いや、顔だけではない。
身体中に、汗が浮かび上がっている。
「ど、どうしたんですか宮比さん?」
「…出来れば、夏場に会いたくはなかったんだけどな。そうも言ってられねえか。」
言うと同時に、宮比さんは倉庫を開いた。
順次私たちも中を覗き込み、そして息を飲む。
そこにいたのは、一人の人間。
いや、人間の形をしたものか。
肌は赤黒く爛れ、皮膚は所々大きく捲れている。
頭髪も殆どなく、皮膚どころか頭蓋が見えているところもある。
それが、俯きながら倉庫の床に座り込んでいた。
「よお、火群。久し振りだな。もうあれから、7年程になるか。」
少し笑みを浮かべながら、宮比さんはそう言った。
火群と呼ばれたそれは、声をかけられても微動だにしない。
ただ床を見つめるかのように、顔を見せない。
「会いたかったんだ、ずっと。お前に、礼と…その、謝りたかったんでな。」
「…。」
「あの時、お前の警告に気づいてやれなんで済まなかった。それと…」
そこで一旦、言葉を区切る宮比さん。
そして、目を瞑ったまま、火群に向かってこう言った。
「私の祖父さんの最期を看取ってくれて、ありがとうよ。」
その言葉を聞いたからか、火群がゆっくりと顔をあげる。
身体と同じく、焼け爛れ、皮膚の捲れた顔。
そして眼球のない、真っ黒な目。
普通なら、恐ろしいだろうその顔が、不思議とそう感じられなくて──。
そして何故かその表情が笑みに変わったと感じた瞬間、火群はすうと消えていった。
「…ああ、じゃあな、火群。」
年来の友と別れるような風に、染々と宮比さんは呟いた。
事情の飲み込めない私たちは、ただそれがいた場所をただ見つめる。
何かが焦げたような異臭が、その場に残っていた。
“火群”について宮比さんが語ってくれたのは、帰りがけの時だった。
「あいつはな、大昔にこの辺りを騒がせた放火魔だ。」
「え、じゃあ悪いやつなんですか?」
そんなのに礼と謝罪をしたのかと言いたげの美琴ちゃん。
宮比さんはただ黙って頷く。
「そこはまあ、否定できないな。最期は役人に追い詰められ、自身に火を着けて自殺したらしい。だからあんな姿なんだ。」
「自業自得じゃないですか。」
「まァな。だがそれから、一つの噂が立った。“火事が起こる前に、必ずその放火魔の霊がその場に現れる”という噂だ。死して尚、火を着けて回っていると恐れられ、いつしか“火群の鬼”と呼ばれるようになった。」
そこでやっと私たちは今回の出来事を理解する。
火群の出た場所が火事になった。
その昔からの噂通りになったというわけだ。
「…でもな、今は違うと見られている。」
「え?どうしてです?」
「火群が出てから火事になるのに、一日ほどの猶予がある。ただ火を着けるのに、そんな必要あると思うか?」
言われれば、確かに…。
被害を大きくしたいなら、そんなことはしないだろう。
それじゃあ、まるで──
「つまり、“ここは火事になるから危ないぞ”って事前に警告してるって事ですか?」
同じ考えに至ったようで、椎名さんがそう言った。
「…そうだ。火に巻かれる事でその苦しみを知って、同様の犠牲者が出ないようにしてるのか、それともそうやって罪を償うように神に言われたのかは知らないがな。」
「でも、なんでそれが謝罪と礼に繋がるの?」
隆斗くんの問いかけに、宮比さんは黙りこむ。
何か思い詰めたような、そんな表情で。
「…私の祖父さんな、火事で死んだんだよ。」
「え…?」
たまに宮比さんの話に出てきたお祖父さんのことだろう。
宮比さんに、色々な怪異の話をし、見せてきた人。
意外な死因だった。
「祖父さん、私以上の喫煙家でな。病気で寝たきりに近くなっても、吸うのを止めなかった。」
「あー、じゃあその火事の原因って…。」
「想像の通り。そんとき私高校生だったんだけど、驚いたよ。帰ってきたら家が炎に包まれてたんだからな。」
何だか笑い話をするかのように、軽い調子で言う宮比さん。
けれどもその瞳は、少し潤んでいるように見えた。
「外に出てたのは両親だけ。祖父さんの姿はなかった。私は親の制止を振り切って、家の庭から回り込んだ。」
「庭から?」
「祖父さんのいた部屋は庭に面していて、そこに出入りできる大きな窓があったからな。そこからなら、助け出せると思ったんだよ。」
「…それで、どうしたんです?」
「どうもしないよ。布団に寝っ転がったままで、炎に飲まれた祖父さんが見えたから、手遅れだって悟った。そして祖父さんのすぐ傍らに、火群が居た。」
余程鮮明に覚えてるのか、少し語るのが辛そうに見えた。
もう聞かない方が良いのではないか。
そう思えるほどに…。
「あいつ、私の祖父さんの傍らでじっと座って…何だか悲しそうな表情でいたんだ。本当なら、私がいるべき場所にさ。そうやって、傍に居てやれない私に代わって、家が崩れ落ちるまでずっと…。」
「…。」
「思えば、火事になる一日前からいたんだよなあ、火群。私はそんとき、あいつのこと知らなかったから、ただの焼身した霊なんだとしか思わなかった。そういうのならよく見てたし。」
「それで、謝罪って事か…。」
「そ、そう言うこと。気付けなくてごめんなさい。祖父さん看取ってくれてありがとう。そういう意味なのさ。」
話が終わったところで、美琴ちゃんや椎名さん、隆斗君は各々の帰路につく。
そして私と宮比さんも、自分の家に向かって歩き進む。
その道中、宮比さんは煙管を吸い始めた。
そして、私の脳裏に一つの疑問が浮かぶ。
「あの、宮比さん…。」
「ん、何だ夕?」
「宮比さんはどうして、喫煙をするんですか?」
言ってしまえば、それは宮比さんの大好きな祖父の命を奪った原因だ。
それなのにどうして、それを好き好んで吸うのか、ふと不思議に思ったのだ。
そしてそれを宮比さんも理解したらしい。
「ああ、今私の吸ってる刻み煙草の銘柄、祖父さんの吸ってたのと一緒なんだ。」
「そうなんですか?」
「そうさ。写真とか、祖父さんとの思い出の品は全部火事で焼けちまったけど…これを吸う度、その匂いを嗅ぐ度に、祖父さんを近くに感じれるんだよ。」
そう言って一口煙を含み、青空に向かって吹いた。
辺りに一瞬その芳香が漂い、そして消えていく。
最初は苦手だったその香りだけれど、今はそんなに嫌いじゃない。
私の中で、それが宮比さんの匂いになったからだろうか。
そう思ったとき、宮比さんの気持ちが解ったような気がした。




