第二章⑩
ケイコと大貫は乗務員に部屋に案内された。
部屋はいわゆるスウィートルームというやつで、船室とは思えないほどの豪華さだった。廊下を覆っていた絨毯もふかふかだったけれど、部屋の絨毯は足が沈む、という感覚が味わえるほど、分厚いものだった。白いソファもふかふかだ。壁にはピッドシュレイアの画家が描いたと思われる、正方形の額の中に収まった小さな抽象画。天井には金色の光を放つシャンデリア。
その部屋の中心には巨大なダブルベッドがあった。もちろんそれが二つあるわけではない。今夜は大貫と同じ毛布の下で眠らなくてはいけないようだ。いや、それだけではないかもしれない。眠るだけではないかもしれない。じっとダブルベッドを見つめながら、もっと、それ以上のことをしなければならなくなるかもしれないとケイコは考えた。そのことを考えると、ケイコはとても冷静ではいられなかった。
「どうしたんですか?」大貫がダブルベッドの上に荷物を置いて言う。「顔色がピンク色ですよ、気分が悪いようなら言ってくださいね」
「ううん、なんでもないよ」
ケイコは大貫の方は見ずに首を横に振って、色を隠すために両頬を手で覆って、レースのカーテンが掛かった窓に近づき、施錠を解き、開いた。
海からの風が入ってくる。
目の前に広がる海は太平洋。
瀬戸内と違って、向こう岸というのが見えない。
そんな海を見つめていたら。
ちょっと途方に暮れた。
この海は本当にピッドシュレイアまで繋がっているのか、という小さな疑いが頭に浮かんだ。
このヴィヴィアンヌ号はピッドシュレイアから着たのだから、繋がっていないわけはないんだけれど。
広すぎる海を見ていたら、その真実がちょっとだけ、信じられなくなったのだ。
帰れない場所まで連れて行かれてしまうのではないかと、怖くなる。
なんて。
どうしようもないことを考えている。
「ケイコさん?」大貫がケイコの背中に声を掛ける。「本当に、気分が悪いのでしたら、休んでいた方がいいですよ、まだ旅は長いんですから」
「ショウ君、」ケイコは振り返って、笑顔を大貫に向けて、彼の手を取った。「船の中を歩こうか?」
二人は船内を歩いた。案内図を見ずに、適当にぶらぶらと歩いた。船の中には沢山の人が歩いていた。沢山のレストランとカフェがある。船の中央部にはショッピングモールのようなものがあった。海外のブランドショップから博覧会に参加する各国の品物を集めたお土産屋さんまで多彩な店が並んでいた。とても船の中とは思えない光景だった。ケイコは楽しくなって大貫を引っ張り色んな店を覗きながらはしゃいでしまった。
「あ、これ、いいな」
シナ国の土産物屋に入ったときだった。店の棚に並んでいた万華鏡を手にして、それを覗き込みながら大貫は言った。「シナ国のパビリオンの最高の展示品のレプリカみたいですね、サブリナ・カレイドスコープのレプリカ」
万華鏡の筒の周りには金魚が刺繍されていた。ケイコも商品を手に取り、万華鏡を覗き込んでそれをクルクルと回した。中にある色とりどりのビーズが騒いで模様を作る。万華鏡を覗き込んだのはいつ以来だろう。少なくとも魔女に開花してから万華鏡を覗いたことはない。そして今覗いてみて、なぜか子供の頃見たときよりも綺麗だって思っている。
「ショウ君はこう言うの好きなの?」
「望遠鏡とかも好きです、よく星を見ています、」
「へぇ、」出会ってから色んなことを話したと思ったけれど、彼についてまだ全然知らないことがあるんだなってケイコは思った。「そうなんだ」
「買ってきます、あ、ケイコさんも欲しいですか?」
「ううん、」ケイコは首を横に振った。「私は風車があれば、退屈しないし、あ、でも、アイコに買っていってあげようかな」
アイコが帰ってきたときに、この万華鏡の中の綺麗な風景を見せてあげようってケイコは思った。
「じゃあ、二つ」
大貫は二つのサブリナ・カレイドスコープのレプリカを購入した。
そしてショッピングモールを抜けて、先を歩いて行くとカジノの入口が見えた。入口には電飾が施された煌びやかな看板があって、中からは賑やかな音楽と客の騒がしさが外に漏れていた。ちょっと興味があったけれど、まだ昼間だし、二人はカジノ前を通り過ぎた。
二人はデッキに出て、日差しを遮るパラソルがある白いテーブルに座った。アイスクリームを食べながら横浜の海を眺めた。眺めながらケイコと大貫は話をする。途中から宇和島の喫茶店のテーブルと同じような話題になった。船の上で話さなくてもいいようなことを話していた。
しかしそれを不自然と思うこともなく、二人は自然に話している。
ケイコは自然に笑っていた。
そして自然に、大貫は言った。「ケイコさんは本当に、アイコさんのことが、好きなんですね?」
「え?」
「いつもケイコさんの中にはアイコさんがいる」
「ええっと、」ケイコはなんて言葉を言っていいか、分からなかった。そんなにアイコのことを話してしまったかな、と思った。でも思い返せばケイコは何度もアイコの名前を出していた気がする。話にはいつもアイコが付き纏っていた気がする。それは指摘されて、初めて自覚することだった。今までもずっとこんな調子だったと思う。大貫と話しているのに、アイコの話ばかりしていたのだ。それはとても、なんていうか、いけないことだとケイコは反省する。「ごめんなさい、そうね、私ってば、アイコの話ばかりしてた、ごめんね、ショウ君、これから気を付けるから」
「謝ることじゃありませんよ、」大貫は嫌みの一切ない笑顔で言う。「一途に人を愛することは謝ることじゃない、気を付けることでもないと思います」
「ありがとう、」ケイコは大貫に微笑む。「優しいんだね」
「僕はあなたのことが好きだ」大貫はシガレロをくわえて、マッチに火を付けた。
「どうしたの、」ケイコは照れてアイスクリームをスプーンで崩した。「急に?」
大貫は煙を吐き、そして言う。「あなたは本当に素敵な人だから、僕と一緒に」
「一緒に?」
「おとぎ話でもしませんか?」




