第二章⑨
神尾式ロケッタ・ブースタは一見して、日本在来の民族衣装である着物の「振り」が長い、いわゆる振り袖の形をしている。
ブースタとは一般的に魔女のポテンシャルを高めたり、またエネルギアを増幅させるするなど、魔女の能力に影響を与える装置のこと言う。内服して魔女の能力を一時的に上げるラッシュに対して、外部から魔女の能力に作用するものをブースタと便宜上分けて呼ばれている。
ブースタの歴史は新しい。その最初は明治の前、慶応年間に神尾ケンタロウとミストラル・リンプが作り上げた『紅華』というブースタで、それを纏う魔女に蓄えられたエネルギアを供給し続けるというものだった。
ロケッタ・ブースタが誕生したのはそれよりもずっと後、一九〇〇年代に入ってからだ。神尾重工は新プロジェクトを立ち上げた。そのプロジェクトの狙いは宇宙。すなわちロケッタ・ブースタとは魔女を月まで飛ばす装置だ。
しかしまだロケッタ・ブースタの歴史は月どころか宇宙にすら届いていなかった。この最新型である『桜華』とはその冴えない歴史を覆すものとして世界中から期待されているものだった。その期待の現れとして、ピッドシュレイアで来年開催される開会式において『桜華』の試射が行われることが決定していた。それに認可を出したのは神尾重工の社長であり、桜華プロジェクトのリーダでもあるミリカ自身だった。ミリカは『桜華』に対して相当な自信を持っているようだ。話をしていてノゾミコにはその自信が十分に伝わった。『桜華』の色は薄いピンク。つまり、桜色。
ノゾミコとサクラの二人はこの船上の警備をしている銀色の髪の素敵な鋼の魔女に国際博覧会に参加する各国の品々が集まった展示フロアまで案内された。ヴィヴィアンヌ号の乗客は自由に展示フロアに入り、博覧会より一足早く、展示品を眺められることになっているようだ。フロアの入り口にはもう一人、船上の警備をしている紅色の髪の素敵な炎の魔女と、それから博覧会の関係者が集まっていた。ノゾミコはその一人一人と握手を交わさなくてはいけなかった。サクラはヴィトンのスーツケースの上にちょこんと座って不思議そうにノゾミコとピッドシュレイアの人々を眺めていた。
各国の展示品が並べられたフロアの中心に首がなくて服を着ていないマネキンがあって、それは『桜華』のために用意されたものだった。
「こちらに着せて頂けますか?」
鋼の魔女にノゾミコは頷き、そして大勢の人々が見つめる中、銀色のトランクを開けてマネキンに服を着せた。着物に着なれていない、ということはないんだけれど、注目されることによって手際よくとはいかなかった。新聞記者たちも集まっていて途切れなく焚かれるフラッシュに辟易した。帯の結びが微妙だったけれど、とりあえずマネキンに服を着せてあげることは出来た。そのマネキンを真ん中に、関係者たちで記念撮影ということになった。ノゾミコはサクラを呼び、マネキンの前に立たせた。
「サクラ、笑顔」ノゾミコは無表情のサクラに向かって言った。
「はい、笑顔です」サクラはカメラに向かって満面の作り笑顔をした。その笑顔は写真にどう写っているのか、ノゾミコは気になった。
記念撮影も終わり、一応二人は自由の身となった。「サクラ、お腹空かない?」
「はい、空いてます、」サクラは片手をお腹に当てて言う。「ペコペコです」
「よし、じゃあ、レストランに行こうか」
「はい、行きましょう」
二人は警備の鋼の魔女にレストランまで案内してもらった。昼食ならばと、鋼の魔女はレストランではなくカフェテリアに二人を案内した。ここのハンバーガとポテトとコーラは最高だと魔女は言って銀色の髪を優雅に揺らして二人の前から去っていく。
そして二人がカフェテリアの中に入ろうとした。
その時だった。
「ノゾミ!」
聞き覚えのある声に振り向けば奴がいた。
「ぎゃあ!」思わず悲鳴が漏れた。「く、来るな、こっちに来るなよっ!」
「会いたかった、会いたかったよ、ノゾミ!」
そう叫びながら奴はスカートを躍らせながら走ってくる。
そして両手を広げノゾミコを抱き締めようと三歩先から跳躍した。
ノゾミコは咄嗟に手を前に出し広げ、魔法を編んだ。
紫の髪の色が一瞬煌めき、紫電が奴目掛けて飛ぶ。
「ぴゃあ!」奴は高い声で悲鳴を上げ倒れた。しかし表情は笑顔だ。笑顔で電気に痺れていた。ノゾミコは痺れて喜ぶ人間をこいつしか知らない。
「あ、ごめん、」ノゾミコは痺れさせてしまったことを謝った。でも、急に自分のことを抱き締めようとしたのが悪いんだってすぐに思って、目を鋭くして言った。「っていうか、どうして、どうしてよ、どうしてマサムネがここにいるのっ!?」
ノゾミコのことをノゾミと呼び、ノゾミコのことを抱き締めようと飛んで来て痺れていたのは伊達マサムネという十三歳の少年だった。仙台伊達家の現当主で、ノゾミコとは遠縁に当たる。マサの字は『雅』という字で戦国時代に活躍した政宗公とはもちろん、何もかも違う。そして髪が魔女みたいに長く、化粧をしてスカートをはいているけれどマサムネは少女ではなくて紛れもなく少年だった。
少女の姿をしているのはマサムネの心が女の子だからというわけじゃなくて、魔女であるノゾミコのことを誘惑するためだった。彼は小さな頃からノゾミコのことを愛していた。しかしノゾミコは彼の求愛を拒絶し続けていた。ノゾミコが好きなのは母であるエリコだし、また別の人を好きになるとすればそれは魔女か、少女だ。歳を重ねれば男の人のことを好きになるかもしれない。一般的に若い魔女ほど、男の存在を忌み嫌う。しかし近い未来にノゾミコは男の人を愛するつもりはなかった。その気持ちをマサムネに丁寧に説明して上げたのは彼が十一歳になったときだと思う。彼の十一歳のお誕生会に招待されて仙台に行ったときだ。その説明にマサムネは納得した。しかし事態は思いも寄らぬ方向に飛んだ。
「それじゃあ、僕が女の子だったらノゾミは好きになってくれるかもしれないんだね」そう言ってマサムネは魔女のような眼をしたのだ。
それからしばらくして女装姿をしたマサムネは宇和島に姿を見せたのだった。ノゾミコは最初、この可愛い少女は誰だろうって思った。ちょっと心が揺らいで特別に接近して優しい声を出して聞いたと思う。「どなた?」
「んふふっ、」マサムネは口元を隠して愛らしく笑った。「マサムネだよ、ノゾミ」
ノゾミコはその時、宇和島全域に響くほどの悲鳴を上げたと思う。
その時から、マサムネはずっと女装姿を続けている。そして会うごとに彼を彩る衣装は豪華絢爛になり、黒い髪は艶を増し、化粧も巧なっていた。それは多分、彼が本気でノゾミコのことを誘惑しようとしているからだろうし、あるいは病みつきになってしまったのではないか、とノゾミコは推測している。
マサムネはきっと女装に病みつきになってしまったのだ。そうでなければ、ノゾミコがいないところでも女装をし続けることはない。ノゾミコはそのことに対して少しだけ責任を感じていた。大正の世だが、曲がりなりにも仙台伊達家の当主は彼なのだ。当主は、女装趣味の彼なのだ。マサムネの側近から文句は飛んでこないけれど、いやむしろ、彼の女装姿を絶賛する声ばかり聞こえてくるけれど、このままではいけないと思うノゾミコだった。
「実はノゾミが、」マサムネは痙攣したまま姿勢良く立ち上がって言う。「この船に乗るっていうのを風の噂で聞いてね、そう言えばノゾミと一緒に同じ船に乗ったことってなかったかなって思ってね、それにもう三ヶ月も会ってなかったし」
「ノゾミじゃないよ、ノゾミコ、」訂正してからノゾミコは大きく息を吐いた。「それにしても、あんたの行動力には、いつも感心する、信じられない」
「ノゾミコに褒められた、」マサムネは微笑む。「嬉しいな」
「褒めてないし、」ノゾミコはマサムネを睨み付ける。「私を追いかけること以外にすることってないわけ?」
「きちんと勉強はしているよ、ノゾミに似合う男になるために、ちゃんと勉強はしているよ」
「その姿で言われても説得力ないし」ノゾミコは腕を組み、不機嫌な顔を作る。
「あ、今日のドレスはどうかな?」マサムネはフリルの多い、白いドレス姿だった。彼はスカートの裾を摘んで、その場でクルリと回った。
「ああ、回るな、回るな、君、男の子でしょう」
「伊勢丹で岡崎が買ってきてくれたんだ、」マサムネはピタッとノゾミコを正面にして止まり満面の笑みで言う。「今日のためにね、ノゾミのことを誘惑するドレスだよぉ」
「全く、」ノゾミコは額を手で押さえた。「あいつもどうしようもないんだからぁ」
岡崎というのはマサムネの教育係、そして執事で、アイコにとってのケイコのような存在だった。彼はマサムネの忠実な僕で、おそらくマサムネが死ねと言えば死ぬ、そんな男だった。
「そう言えば今日は、岡崎は一緒じゃないの?」
「ううん、いるよ、今は部屋に荷物を運んでるんじゃないかなぁ、」マサムネは綺麗な髪を揺らして言った。「岡崎も一緒だし、他にも浜本、小松、黒川に」
「マサムネ様」
マサムネの後ろ、通路奥から豪華客船には似合わない、和装の男たちがぞろぞろと姿を見せた。総勢七人。皆、マサムネに仕える執事たちだ。その先頭を歩く背が高く、うねった髪の長い男が岡崎だった。彼はノゾミコに気付くと不適に笑って、少し先で立ち止まり小さく頭を下げ言う。「これは、これは、ノゾミコ様とのアヴァンチュールのお邪魔をしてしまったようで、マサムネ様、私たちは適当に船旅を満喫しておりますので、それでは失礼します」
執事たちは同じタイミングで頭を下げ、そして来た道を戻って行った。
「あヴぁんちゅーるって何?」マサムネがノゾミコに聞く。
「知らない、……っていうか、あいつらなんて格好してるの?」ノゾミコはマサムネに聞く。「袴に、浅黄色の段だら模様の半被着て、腰に刀まで刺して、まるで新撰組じゃないのよ」
「うん、そうだよ、」マサムネは簡単に頷く。「新撰組に仮装させたんだ」
「え、仮装って?」ノゾミコは首を捻る。「あの、ちょっと、理解不能意味不明、ちゃんと色を付けて説明してくれる?」
「ノゾミ、明日はハロウィンだよ」
「え、なんだって?」
「細かいことは僕も知らないんだけど、京の百鬼夜行みたいなもので、西洋ではお化けに仮装して、街を練り歩くお祭りがあるんだって、だから新撰組に仮装させたんだ」
「新撰組はお化けじゃないよね?」
「侍って亡霊みたいなところがあるし」
「それってちょっと、世間で問題になりそうな発言だねぇ」
「その亡霊の代表格って言ったら、やっぱり新撰組かなぁって思って」
「もっと問題になりそうな発言だわぁ」
「とにかく今夜はハロウィン・イブ、今夜からパーティが始まるんだよ、だからヴィヴィアンヌ号はパーティ仕様でしょ?」
「ああ、確かに、」ノゾミコは周囲を見回しながら言う。確かにさっきから妙な飾りが廊下を彩っているな、とは思っていた。「なんとなく分かった、でも西洋には不思議な行事があるものだね、ねぇ、サクラぁ」
ノゾミコは頷き、サクラの頭を撫でようとした。
しかしサクラのピンク色の頭は傍になかった。「サクラ?」
ノゾミコはその場で一回転してサクラを探した。
いない。
サクラのピンク色が見当たらない。
「サクラ!?」ノゾミコは周囲を見回しながら声を張り上げた。「サクラはどこに消えた!?」




