【第三章:あなたが後ろも振り返らずに、門から逃げ出したから……この門は、もう俺のものだ!】
「ふーむ……少々厄介だな……」
草むらに身を潜めたオールドマンは、双眼鏡越しに遠方を行軍する深淵の大部隊を観察していた。
ズドォォンッ――!
天を割く轟音が響き渡り、徐々に遠ざかっていく。見上げれば、一本の長い飛行機雲が東北の方角へと真っ直ぐ伸びていた。
梢の隙間から、数日前から頻繁に現れるようになったその白い線を仰ぎ、オールドマンは値踏みするように呟く。「あの空飛ぶ代物から爆弾でも落とせりゃ、今回で一網打尽にできるんだがな」
「たった四ヶ月で、初期型の航空機を実用化しただけでも大したものですよ」傍らに立つ、装甲部隊のワッペンを貼った兵士が答えた。
大木の根元に背を預けていた狂特ハイエナが尋ねる。「じゃあ、奥まで潜り込んで片付けるのか?」
オールドマンは再び双眼鏡を覗き込み、敵の動向を冷静に分析した。「いや、敵の数が多すぎる。まずは奴らの集結地まで尾行する。定点にまとまったところで、野砲部隊に一斉掃討(エリア爆撃)を要請する」
装甲兵がオールドマンに確認を求める。「ボス、あらかじめ我々の指導者に伝えておきますか?野砲部隊を安全圏に展開させておけますが」
「ああ、頼む。まずは周波数を合わせろ。状況が変われば、俺から伝話器で連絡する」オールドマンは双眼鏡を下ろし、腰から引き抜いた伝話器を操作して装甲兵とチャンネルを同期させた。
装甲兵が深く頷いて立ち去るのを見送り、オールドマンは地図と鉛筆を取り出した。現在地に素早く丸をつけると、狂特ハイエナに向けて、顎で敵軍の方向を指し示す。
二人は一定の距離を保ちながら、深淵の先遣隊の後を静かに、かつ執拗に追尾し始めた。かなりの距離を進んだところで――。
「おいおい、まさか昔のアレじゃねぇだろうな……。あのクソ野郎ども、こんな場所に接続点を築く気か?」
見覚えのあるアーチ型の構造を目にし、オールドマンは困惑を滲ませて地図を広げた。鉛筆の先で、『ホーリー・グロリア・キュリア』と『ニヤけるゴブリン』の境界領域をコンコンと叩く。
狂特ハイエナが横から頭を突き出し、地図を覗き込んだ。「んー……お約束のプロット通りなら、連中は丘陵の回廊を完全に封鎖する気だな」
オールドマンが急に激しく咳き込み、その双肩が劇的に揺れる。ハイエナは冷ややかな目で相棒を一瞥した。「おい、死に損ないの老いぼれ。戦争映画の主役が重病を患ってるなんて、興ざめだぜ」
カサリ、と。
不意に、すぐ傍らの草むらが不自然に揺れた。二人は一瞬で武器を構え、黒い銃口をその気配へと向ける。
生い茂る木々の影から、両手を上げた一人の人影が滑り出て、小声で呼びかけた。「待て! 味方だっ!」
オールドマンたちが目を凝らすと、そこにいたのは軍服を身に纏い、草むらと魔獣の眼が描かれた特遣隊のワッペンを付けたエルフだった。その後ろから、別の一部隊のエルフや人間たちが次々と姿を現す。
ワッペンから相手の身元を確認したオールドマンは、銃口を下ろして怪訝そうに尋ねた。「『特遣大隊』の連中か?お前ら、こんな所で……」
二人が武器を収めたを見て、隊長格のエルフもようやく両手を下ろしたが、その表情には困惑が滲んでいる。「……貴公らの所属は?」
オールドマンは眉をひそめて口元をハンカチで覆い、何度も深く咳き込んでから、ようやく声を絞り出した。「……狂特戦隊だ」
エルフの隊長は一瞬呆気にとられたが、警戒を怠らずに静かに問いかけた。「狂特、だと……?では、何のためにここに?」
「ホーリー・グロリア・キュリアの東部から、敵のケツを追いかけてきたのさ……」
時折咳き込みながらもオールドマンが自分たちの作戦と目的を説明すると、エルフの隊長はひどく困り果てたような、苦渋の表情を浮かべた。「それはすまない……。貴公の作戦は、今すぐ白紙にしてもらわなければならない。我々は上層部の命令に基づき、ここで敵を監視している。今ここで砲撃を仕掛ければ、奴らの築いている門まで吹き飛ばしてしまう」
その言葉を聞き、オールドマンは合点がいった。なぜこんな平地に不自然なアーチを築かせているのか――すべては連合軍の計画の内だったのだ。彼は目を細め、念押しするように確認した。「……つまり、お前らはあえて奴らに門を完成させようとしているのか?」
「その通りだ。現在の計画では、すでに主力が包囲網を展開しており、近いうちにこのポイントへ総攻撃を仕掛ける予定になっている」エルフの隊長はアーチの方向へ視線を投げかけ、それからオールドマンと視線を合わせた。「学者どもが、実物のアーチを研究サンプルとして手に入れたがっていてな。ちょうど敵がここにノードを建設してくれた。だから我々は一瞬たりとも油断せずに監視しているのだ」
オールドマンは依然として眉を厳しくひそめたまま、思考を巡らせた。「リスクがデカすぎる。……お前らのその計画、敵の退路を断つ段取りはできてるんだろうな?」
「当然だ。退路を断つ本隊はすでに敵の進路の南北に潜伏している。これまで敵に勘付かれないよう、ゲリラ的に輸送部隊を襲撃しては即座に離脱を繰り返してきた」隊長は堂々と、かつ明瞭に説明を続ける。「奪門作戦が発動されれば、別働隊が敵の退路を完全に遮断し、大後方からの増援を完全に阻止する手筈だ」
オールドマンは小さく頷くと、重心を片脚に預けて立ち姿を変え、親指でアーチを指し示した。「だが、ついさっき、敵の主力級の大軍がここに到着したぜ。想像以上の激戦になるぞ」
エルフの隊長は取り乱すことなく、落ち着いて頷いた。「分かっている。その件については、すでに伝令を走らせて本陣へ報告済みだ」
情報を頭の中で整理しながら、オールドマンはさらに疑問を呈した。「……もう一つ。北側はニヤけるゴブリンの沼地だ。どうやって侵入する?」
エルフの隊長は自信に満ちた笑みを零した。「その点は心配ない。輸送機を用いて、『突撃軽砲車』を北方の安全な乾燥地帯へ空輸する計画だ」
それを聞き、オールドマンは納得したように何度も首を縦に振った。そして、最後に最も重要な問いを投げかけた。「で、この大規模な共同作戦の絵を描いたのは、一体どこのどいつだ?」
「複数の大隊長による共同立案だ。ノルド戦線の大隊長、それから……」
「よし、十分だ」
聞き覚えのある懐かしい呼称を耳にした瞬間、オールドマンの頭の中に明快な絵が描かれた。彼は相手の言葉を遮り、不敵に笑う。「ちょっとあんたらの通信テントまで案内してくれないか?ついでに『挨拶回り』でもしておこうと思ってな」
エルフの隊長は呆気に取られた。「あ、挨拶回り……?」
オールドマンは肩の力を抜いて、武器を収めた。「故郷の古い言い回しさ、気にするな。要はここを仕切っているボスに直接、顔を出しに行くってことさ」
納得したエルフの隊長は、可笑しそうに小さくため息を漏らした。「挨拶回り、ですか。面白い表現ですね。今度私も使ってみますよ」
エルフの隊長は身を翻し、一同を先導してホーリー・グロリア・キュリアの東部に聳える山脈の山麓へ向けて進み始めた――。
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隠密に築かれた軍営へと足を踏み入れる。周囲の兵士たちは慌ただしくそれぞれの任務に追われていた。オールドマンは狂特ハイエナを従え、エルフの隊長に短く片手を上げると、迷いのない足取りで通信テントへと向かった。
テントの前に辿り着くと、彼は手近にいた通信兵の肩をポンと叩き、命じた。「ホーリー・グロリア・キュリアの装甲部隊のトップに緊急伝言だ。今すぐ北聖盾山の麓にあるこの露営地へ向かうよう伝えろ」
「またお前か!この厄病神め、あれから随分経つのに、まだ付きまとう気か……!」
伝言を終えた瞬間、遠方から不機嫌極まりない怒鳴り声が響いた。オールドマンが顔を向けると、かつてノルド戦線で机を並べた人間の大隊長が、ひどくうんざりした顔で大股に歩み寄ってくるのが見えた。
「ちょっとした知恵を貸しにきたのさ。ついでに、数日ほど厄介になるぜ」
オールドマンは肩をすくめると、相手の肩を親しげに叩き、指揮テントへと誘いながら、これまでの経緯を淡々と語り始めた。
三人が指揮テントで協議を重ねるうちに、半日が瞬く間に過ぎ去った。露営地も夜の闇に包まれ、点灯された灯火の下、周囲は静まり返っていく。
人間の大隊長は重いため息を吐いた。口元をわずかに歪め、オールドマンに向けて首を振る。「……戦場なんてものは非情なもんだ、厄病神。辛いだろうが……お前も、体にだけは気をつけるんだな……」
「ボス! 息災でしたか!」
突如、テントの布を勢いよく跳ね上げて乱入した声が、大隊長の労いの言葉を遮った。駆け込んできたのは、新領袖である騎兵隊長だった。
他部署から駆けつけた将校の姿を目にし、双方は無言のまま厳格に軍礼を交わした。人間の大隊長は空気を読んで、静かにテントを後にする。
テント内に気心の知れた身内だけが残ると、オールドマンは作戦机の傍らの椅子を示し、騎兵隊長を座らせた。「『ホンヴァーシャ』のリーダーよ。他人の前で、俺を『ボス』と呼ぶのはやめろ。お前は新生ホンヴァーシャを率いる身なんだ、もっと威嚴を示さなきゃならん」
言われた通りに腰を下ろした新領袖は、まるで父親に叱られた子供のように首をすくめ、上目遣いでオールドマンを見つめた。「ですが……」
オールドマンは苦笑いしながら首を振り、手でそれを制した。「……すぐに人間の大隊長が、他の将校を連れて戻ってくる。これからの作戦会議には、お前の力が必要になるんだ」
間もなく、人間の大隊長が複数の各大隊長を伴ってテントへと戻ってきた。全員が席に着くと、大隊長は辛抱たまらんといった様子でオールドマンを睨みつけた。「さて、厄病神。一日半ももったいぶって、今度は誰を**『生贄』**に捧げるつもりだ?」
オールドマンは組んだ脚を揺らしながら、作戦机の上に並べられた軍旗を凝視していた。おもむろにパイプに火を灯すと、静かに告げる。「新領袖。平民たちを動員して、木製の野戦砲を大量に作らせろ。装甲部隊の若造どもにも準備をさせておけ。俺がその張り子の砲を率いて、台地へと向かう」
「はあ!?」
人間の大隊長と各大隊長たちは、互いに呆気に取られて顔を見合わせた。
「了解しました、ボ――」
新領袖は、オールドマンが片眉をぴくりと上げたのを見て、慌てて咳払いをして言葉を改めた。「……初めての正式な要請だ、少し時間をくれ。この会議が終わり次第、露営地の仲間たちに手配をさせる」
「もし俺が深淵の立場なら、丘陵の回廊を封鎖し、そこに接続点としてのアーチを築くことは必須条件だ」オールドマンは卓上に置かれていた敵の駒を手に取り、弄びながら続けた。「トーテムやバイの国境と同様、戦線を維持し、我々の支配地域の奥深くへと侵略領域を拡大するためには、絶え間なく兵力を補給し続けなければならない」
彼は手にした駒を、敵陣の奥深くへと散開させるように並べていく。「生産ラインのように兵力を送り込み続けるのがセオリーだ。大後方には予備兵力としての主力の大軍が待機している。……問題は、お前らがそこに踏み込む度胸があるかどうかだ」
「もしお前らが動けば、俺は今散開している兵力を、遮断されたルートへ一気に集結させる。その隙に、手薄になった防衛線を食い破って、敵の心臓部へ至る新たな進路を切り拓いてみせるさ」オールドマンは散らばっていた駒を、アーチの位置に向けて勢いよく滑らせた。駒は一箇所に固まり、一つの巨大な軍勢を形成する。
「それで……具体的な手段は?」
各大隊長たちは、真剣な眼差しで作戦図を凝視した。
「だからこそ、俺が台地の奪還を偽装して敵を惹きつけ、時間を稼ぐ。新領袖にも装甲大隊を出撃させ、敵の有生戦力を限界まで削らせる。これで、お前らの正面戦線のプレッシャーを大幅に軽減できるはずだ」オールドマンは手元の味方の駒を、台地と西南の敵進路の傍らへと配置した。「だが……俺の陽動がどれだけ持ち堪えられるかは未知数だ」
さらにアーチ周辺の連合軍の駒を東へと押し進める。「お前らは、一刻も早くアーチ周辺の敵を掃討し、戦線をこの台地まで押し上げて防衛線を再構築しろ。さもなければ、俺の陽動が破綻した瞬間、お前らは残存する敵兵と、東からの巨大な増援部隊を同時に相手にすることになるぞ」
各大隊長の中の一人の人間の女性が、盤上の戦況を鋭く分析しながら、静かに口を開いた。「……本当に上手くいく保証は?台地は、敵に突破され陥落したばかりの場所なのよ」
オールドマンはパイプを咥え、不敵な薄笑いを浮かべて彼女をまっすぐ見つめ返した。「考えてみろ。もしお前らが敵の立場なら、最前線の重要拠点に防衛設備をただ置き去りにするか?万が一のバックアップを用意しないはずがないだろう」
女性士官が納得したように無言で頷くのを見届け、オールドマンは台地へと視線を向けた。「それに、敵に少しでも脳みそが残っていれば、ノルド戦線での砲撃戦で手痛い目に遭ったのを覚えているはずだ。こちらの台地に再び砲兵陣地が構築されるのを防ぐため、確実に分隊を派遣して阻止しに来る」
オールドマンが砂盤上に示した敵の集結地は、実際の偵察情報とわずかにズレていたが、獰笑ゴブリンの大隊長は、そのねじくれた笑みを顔に貼り付けたまま、真剣な眼差しで全プロセスを凝視していた。「……ぐうの音も出んな。確かに敵がその一帯に複数の集結地を構築しているという情報は掴んでいる。我々も、その周辺の国境防衛線の配備を強化しているところだ」
人間の大隊長は、視線を新生ホンヴァーシャの指導者に向けた。「……あなたがホンヴァーシャの新たな指導者だな。そちらの部隊を引き抜くことで、防衛線に支障は出ないのか?」
新領袖は柔らかく微笑んだ。「心配無用だ。我々装甲部隊は、もともとホーリー・グロリア・キュリアの機動支援のために訓練されているからな」
人間の大隊長は両手をテーブルの上に置き、深く頷いた。そして、周囲の各大隊長たちを見回す。「よし。全員、異論はないな?」
静まり返るテント。反対を唱える者は誰もいない。大隊長は更新された作戦計画を一から復唱し、全員の合意を確認した。大隊長たちが順次退室し、最後に残されたのはオールドマン、新領袖、人間の大隊長、そしてソファの上で完全に爆睡している狂特ハイエナだけだった。
人間の大隊長は、新領袖を複雑な表情で見つめ、躊躇いがちに、しかし確かに尋ねた。「……あの全土への演説のあとだ。まさか……本気で、あんたたちの王を恐れてはいないのか?」
新領袖は十本の指を固く交差させ、唇をきゅっと引き結んで黙り込んだ。やがて、穏やかな微笑みをたたえて答えた。「まずは目の前の脅威を取り除くのが先決です。王ではなく、民の心が、いずれ真実の答えを示すはずですから」
「ハッ――ハハハッ! 全くだ! まだ絶望するには早すぎるようだな」
人間の大隊長は自らの太ももを叩いて豪快に笑った。深く息を吸い込んで表情を引き締めると、二人に深く一礼した。「今回の作戦、貴公らの多大なる支援に心から感謝する」




