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第6話 沈黙の味方

 中間試験が終わったころ、二年の倉橋兄妹の噂が広まった。兄は成績優秀で穏やか、妹は要領が悪くて問題を起こしがち。どこにでもある雑な評判だ。けれど雑な評判ほど、人を固定する。

 妹の未央が起こしたトラブルは、実際には大したことではなかった。提出物の期限を守れず、部活の連絡も遅れただけだ。だが周囲はすぐに、「お兄さんがしっかりしてるのにね」「妹さんは自由すぎる」と役割の言葉で整理したがる。

 真白が関わることになったのは、未央が補習室で先生に向かって「どうせわたしはそういう人だから」と笑ったのを聞いたからだった。その笑い方が嫌だった。諦めの形をした納得は、だいたい誰かに着せられたものだ。

 放課後、真白は兄の悠斗にも話を聞く。兄は妹を庇っているつもりで、実はずっと「未央は昔からそうだから」と代わりに説明していた。責めていない。責めていないからこそ、妹の役割が固定される。

「優しい兄って、厄介ね」

 真白がこぼすと、悠真が小さく頷く。

「責める人より厄介かも」

 未央と向き合った真白は、すぐに正解の言葉を与えなかった。昔の彼女なら、『そんなふうに決めつけないで』と強く切ったはずだ。けれど今回は違う。

「未央はどうしたいの」

「べつに」

「“べつに”の中身」

「……ちゃんとしたい」

「じゃあ、“どうせできない人”の役、もうやめれば」

 未央は泣きそうな顔をした。

「そんな簡単に」

「簡単じゃないわよ。でも、その役を続けると、まわりは安心する。失敗しても“やっぱり”で終わるから」

 その言葉を口にしながら、真白は自分でも理解する。役割を与える言葉は、褒め言葉よりずっと静かに人を縛る。

 九条はその件にも関わっていた。直接ではない。兄へ“頼れるお兄さんですね”と言い、先生へ“妹さんには分かりやすい管理が必要かもしれません”と提案していた。どちらも間違っていない。間違っていないから厄介だ。

「君、どうしてそんな言い方を選ぶの」

 真白が問いただすと、九条は少しだけ考える顔をした。

「相手が受け取りやすいからだ」

「それで役割が固まる」

「固まることが救いになる人もいる」

「ならない人もいる」

「ああ。だから見極めが必要になる」

 その言い方が、真白は怖い。自分が見極める側に立つことを当然だと思っている。

 結局、未央の件は大きな事件にはならない。ただ、兄が代わりに説明するのをやめ、未央自身が遅れた理由とこれからのやり方を話したことで、空気は少しだけ変わった。劇的ではない。でも本人の口で言えたことが重要だった。

 この話で真白はかなりはっきりと理解する。自分の言葉もまた、相手の選び方を変えていたのだと。まだそれを全面的には認めたくない。けれど、もう否定だけでは済まない段階に入っている。


 未央の件のあと、教室では“説明しすぎる優しさ”が少し話題になった。誰かを庇うつもりで代わりに意味づけしてしまうこと。真白はその話を聞き流したふりをしながら、内心ではかなり刺さっていた。自分もたぶん、似たことを別の形でやっている。

 昼休み、倉橋悠斗がわざわざ礼を言いに来た。

「妹、昨日ちゃんと遅れた理由を先生に話しました」

「そう」

「俺、守ってるつもりで、先に説明してました」

「そういう兄、よくいる」

「朝比奈先輩も、そういうの見抜くんですね」

 見抜く、という言葉に真白は少しだけ表情を固くした。便利すぎる評価だ。見抜く人、整える人、回せる人。そうやって呼ばれ始めたら、今度は自分がそこに縛られる。

 悠真はそれに気づいていたのか、購買の帰りに缶コーヒーを一本だけ真白へ押しつけた。

「顔」

「なによ」

「“今の言い方、自分にも刺さる”って顔」

「……見すぎ」

「真白のことは昔から見てる」

 さらっと言われると調子が狂う。真白は缶を開けて誤魔化した。

 文化祭の作業表では、また真白へ“確認役”の印がつきかけていた。誰が書いたのかも分からないまま、役割だけが滑り込んでくる。

「消しとけば」

 悠真が言う。

「消したらまた書かれる」

「じゃあ断る?」

「そのたびに断るの、面倒」

 面倒だから受ける。その選び方もまた、どこか危うい。

 その日の夕方、九条が実行委員室で配布資料を捌いている姿を見て、真白はふと思う。あの人もたぶん、面倒を早く終わらせたいだけの瞬間があるのかもしれない。けれど九条は、そこでためらわない。相手の役割を決め、流れを固定し、その方が全体にとって合理的だと受け入れている。

「君はまだ、迷うんだな」

 紙束から顔も上げずに九条が言った。

「迷うわよ」

「それは悪くない」

「意外」

「迷いがあるうちは、まだ自分の言葉に酔ってない」

 その言い方は以前より少しだけ穏やかで、だからこそ真白は警戒した。九条はたぶん、敵として迫るより、理解者の顔をした方が人の中心に入りやすいことを知っている。そういうところが一番いやらしい。


 未央の件が落ち着いたあとも、兄の悠斗は一度だけ真白へ相談に来た。今度は妹のことではなく、自分のことだ。

「俺、黙ってると冷たいって言われるんです」

「実際ちょっと冷たいんじゃない」

「そうかもしれません」

「でも、喋りすぎるよりましな時もある」

 言ったあとで真白は、自分の言葉に自分で引っかかった。喋りすぎるよりまし。いまのは慰めではなく、逃げ道を残した言い方だった。

 悠斗は少し考えてから笑った。

「じゃあ、妹の前で全部説明するのはやめます」

「“やめろ”って言ってないけど」

「でも、そう聞こえました」

 その返しに、真白は目を細める。そう聞こえてしまう。そのことが、もう前ほど他人事ではない。

 文化祭準備では、確認係の印を勝手につけられた件が結局そのままになった。真白は消しもしなかったが、積極的に引き受けもしない。曖昧にしておくと、曖昧なまま周りが期待する。それが一番厄介だと、最近ようやく分かってきた。

「真白、今日どこ見る?」

 軽く聞かれて、真白は一拍置く。

「見るのは見るけど、決めるのはそっち」

 その言い方を聞いていた悠真が、あとで小さく頷いた。

「いまの、よかった」

「いちいち採点しないで」

「九条と違う方向に進めるなら、する」

 放課後、九条は資料棚の前で言った。

「君はたぶん、責任を分けたいんだな」

「悪い?」

「いいや。むしろ健全だ。ただ、そのぶん遅くなる」

「遅い方がいい時もある」

「文化祭前でそれを言えるのは強い」

 皮肉か本気か分からない。だが真白はこの回で、沈黙もまた一種の“味方の仕方”なのだと覚え始める。すぐに言わないこと、代わりに意味づけしないこと。それもまた、誰かの選択を守る方法なのかもしれなかった。

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