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第3話 告発は正しいか

橘花音の件は、学校の発表では「一時的な心身の不調」とされた。責任の所在は曖昧なまま、悪者も被害者も明確には示されない。そういう決着に納得できない生徒は多い。だから週末、匿名アプリと校内掲示板に同時に現れた告発文は、一瞬で火がついた。

『真面目な生徒ほど便利に使い潰される』

『教師は見て見ぬふりをし、生徒会は綺麗な言葉で押しつける』

 文章は強かった。断定的で、読みやすく、怒りの向け先がはっきりしている。だから広がるのも早い。だが真白は、その文章を読んだ瞬間に奇妙な違和感を覚えた。正しいことが書いてある。たぶん、もとの痛みも本物だ。でも、この形に整えるまでに、誰かの手が入っている。

「これ、相談文を磨いた文章だ」

 放課後の空き教室で、真白は紙に印刷した告発文を机へ置いた。悠真が壁にもたれたまま頷く。

「怒ってる本人の文じゃない?」

「怒ってはいる。でも最初からこんなふうには書けない。感情の置き方が上手すぎる」

「九条っぽい?」

「……っぽい」

 そう答えてから、真白は嫌な顔をした。自分が九条の文章をよく読めてしまうこと自体、癪だった。

 翌日の臨時集会で、体育館は最悪の空気になった。教師は火消しをしたい、生徒は正義を叫びたい、そのくせ当事者たちは壇上にもマイクの前にも立てない。言葉が大きくなるほど、本当に傷ついた人間の声だけが置いていかれる。

 真白は後方でその様子を見ていた。前なら、きっともっと早く立ち上がっていた。正しいと思うことを、正しい順番で、正しい強さで言えば場は動く。そう信じてきた。けれど今は、その「正しい強さ」が少しだけ怖い。

「行かないの」

 悠真が低く聞く。

「……考えてる」

「珍しい」

「うるさい」

 考えた末に、真白は挙手した。

「質問です」

 ざわめきが静まる。視線が集まる。こういう瞬間、真白はいつもなら躊躇しない。だが今日は、言葉を選ぶことに明確な時間がかかった。

「いま必要なのは、誰かを綺麗に悪者にすることじゃないと思います」

 教師たちの顔が少しだけ緩む。真白はその変化を見て、すぐに続けた。

「でも、曖昧な処理で終わらせることでもない。相談が、どこで、どう整えられて、誰にとって断りにくい形になったのか。その流れを調べるべきです」

 正論だ。正論だが、あえて熱を抑えてある。怒りを煽らないように、けれど逃げ道も与えないように。言いながら真白は、嫌な既視感を覚えた。こういう温度の作り方を、自分も知っている。

 集会のあと、匿名で拡散された元相談文の一部が見つかった。もとの文章は、もっと曖昧で、もっと迷っていた。『どうしたらいいかわからない』『私が弱いだけかもしれない』。そこに、編集後の文ではっきりした怒りと敵が加わっている。

「相談を、戦う言葉に変えた」

 真白は呟く。

「それを正義だと思ってる」

 悠真の言葉は短い。

 夕方、生徒会室前にいた九条は、いつも通り穏やかだった。

「今日はずいぶん慎重でしたね」

「君のせいよ」

「光栄です」

「人の相談を勝手にきれいな文章にしないで」

「きれいな文章にしなければ、届かないこともある」

「届かせればいいってものじゃない」

「それはどうかな」

 九条は笑うでもなく続けた。

「曖昧な痛みは、たいてい見過ごされます。輪郭を与え、敵を定め、誰もが理解できる形にしたとき、ようやく世界は動く」

「だからって」

「朝比奈さん。君も、似たようなことはしている」

 真白はそこで初めて、真正面から言葉を失った。

「わたしは違う」

「違うかもしれない。ですが、どこがどう違うのか、君自身がまだ説明できていない」

 その通りだった。

 帰り道、真白は珍しく自分から悠真を呼んだ。

「悠真」

「なに」

「わたし、そんなふうに見えてた?」

「見えてた」

「もっと早く言いなさいよ」

「ずっと言ってたよ。真白が聞かなかっただけ」

 反論しようとして、できなかった。

 その夜、真白はノートを開き、自分がよく使う言葉を書き出した。君ならできる。今決めた方が楽。ちゃんと回せる人が必要。見慣れたはずの文が、今日は少しだけ他人のものに見えた。

 わたしの言葉って、そんなふうに働いていたの。

 その問いを、真白はまだ肯定も否定もできない。できないまま、第3話の終わりでようやく、自分の足元を見始める。


告発文のあと、学園はやたらと“正しさ”に敏感になった。教師への言い方、連絡文の書き方、雑談の中の一語一句まで、みんながどこか怯えながら口を選ぶ。そのくせ、怒りや不満そのものは消えない。押し込んだぶんだけ別の場所へ滲んでいく。

 文化祭準備室の前にも、小さな貼り紙が増えた。『委員への過度な負担を避けましょう』『連絡は簡潔に』『配慮を忘れずに』。どれも正しい。正しいだけに、読む側へ判断を返さない。

「文章って、こわいわね」

 真白が言うと、悠真がファイルを閉じた。

「真白がそれ言う?」

「わたしが言うからでしょ」

「そこ、自覚してるなら前進」

 前進と言われて、真白はむっとする。自覚したいわけではない。けれど、この数日で、自分が何気なく置いた言葉に人が安心し、あるいは動きやすくなる場面を何度も見た。それが全部悪いとは思わない。思わないから、余計に厄介だった。

 放課後、仮掲示板の前で一年の男子が二人、告発文について言い争っていた。片方は「事実なら言うべきだ」と言い、片方は「言い方の問題だ」と言う。どちらも間違っていないのに、言葉はだんだん互いの逃げ道を消していく。

 真白は割って入るつもりはなかった。ただ、掲示板の端に貼られた提出一覧を見て、ぽつりとこぼした。

「事実かどうかと、誰が責任を取るかは別でしょう」

 二人は同時に黙った。真白はそのまま通り過ぎたが、背後で片方が「……じゃあ匿名のまま広げるのは違うか」と言い、もう片方が「でも握り潰されるのも違う」とトーンを落とすのが聞こえた。

 悠真は追いついてきて、心底嫌そうに息を吐く。

「いまのも」

「なによ」

「わざとじゃない顔で、ちゃんと刺す」

「たまたまよ」

「それを真白が言うと、たまたまじゃなくなる」

 その言い方に、真白は初めて少しだけ腹が立った。

「じゃあ黙ってればいいの?」

「そういう話じゃない」

「だったら、どういう話」

「真白が自分の言葉を“ただの感想”だと思ってるのが危ないって話」

 言い返せなかったのは、怒ったからではなく、少しだけ思い当たったからだ。その夜ノートへ書き出した言葉の列は、三つ四つでは足りなかった。真白が何気なく使ってきた言い回しは、思ったより多い。しかも、どれもたぶん、誰かを責めない形をしている。責めないまま、動かす。そのことが、急に嫌な輪郭を持ち始める。

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