第2章 第8話 似ているから、危ない
攻勢に出た結果、最初に揺れたのは敵ではなく、その周辺だった。
比較サイト群の一部を学校側が把握し、複数のサブアカウントが止まると、校内の空気は一瞬だけ静かになった。けれど静かになったのは終わったからではない。次にだれが切られるのかを、みんなが待ち始めたからだ。
中心に近いと見られていた生徒の一人が、その日の昼休みに教室を出られなくなった。名前は出ていない。教師からの正式な指導もまだ入っていない。それでも、周囲の視線が先に判決みたいなものを作っていた。直接の加害者ではなくても、空気を楽しんでいた側だろう、と。半分は当たっている。半分はまだ決まっていない。問題は、その半分の曖昧さまで含めて、人がもう罰し始めていることだった。
真白はその教室の前で足を止めた。中では数人が気まずそうに笑っている。笑いではない。距離の取り方が分からないときの、あの軽い音だ。
「これ、違う」
思わず声に出た。
九条は隣で資料を閉じた。
「ええ。ただし、予想の範囲内です」
「予想してたからっていいわけじゃない」
「良いとは言っていません」
九条の言葉は平らだ。
「攻勢に出れば、切り捨てられる側が出る。その前提を引き受ける覚悟がいると言ったはずです」
真白は唇を噛んだ。言われたこと自体は覚えている。なのに、実際に目の前に出ると、覚悟していたつもりのものがまるで足りない。
問題の生徒は、放課後になるとついに泣いた。自分が中心じゃない、ただ面白がっていただけだ、という弁解は見苦しかった。真白だって許したいわけじゃない。けれど、その泣き方を見た瞬間、自分たちがいま何をしているのかが急に冷たく見えた。
「これでいいの?」
真白が聞いた。
九条は一拍置いた。
「良くはありません」
「じゃあ」
「必要な損傷です」
その言葉で、真白の顔が強張る。
「最低」
「承知しています」
「承知してる顔じゃない」
「顔で処理しても意味がないでしょう」
九条は淡々と言った。
「ここで止まれば、また別の誰かが水野さんの位置に置かれる」
正しい。正しいのに、嫌だった。真白は自分が怒っている相手が九条なのか、自分なのか分からなくなった。
その夜、悠真は珍しく先に真白を呼び出した。中庭の外れ、体育館裏の階段。人が通らない場所だった。
「今日のやつ、見た」
彼は前置きなく言った。
「うん」
「理解するのは分かる」
「……またそれ」
「でも、そこに立つのは違う」
今度ははっきり言い切った。真白は目をそらす。
「立ってない」
「半分立ってる」
その断定が痛かった。
「真白、自分で切ったわけじゃないって顔してるけど、今日の空気、九条と一緒に押した」
真白は反射的に言い返しかけて、止まった。全部は否定できないからだ。
「わたし、被害を止めたかっただけ」
「知ってる」
悠真は声を荒げない。
「だから厄介なんだよ。守りたいものが本物だから、切る側にも立てる」
その言葉は、責めるより深く刺さる。
「似てるから、危ない」
前にも聞いた一文が、今日は逃げ道なく落ちてきた。
翌日、真白は九条と対策の続きを詰めながらも、昨日の生徒の泣き顔を忘れられなかった。切り捨てたくて切ったわけではない。けれど、切り捨てられる側が出ることを分かったうえで前へ進んだなら、その結果から目を逸らす資格はない。
「引っかかっていますか」
九条が資料から目を上げずに言う。
「そりゃね」
「当然です」
「当然で済ませるな」
「済ませていません」
九条はようやく真白を見た。
「ただ、あなたがそこで止まるなら、これまで傷ついた側の時間は戻らない」
その言葉もまた、正しい形をしている。だから真白はますます苦しくなった。
放課後、比較サイトの更新予告が出た。『本番前夜、最後の答え合わせをする』。校内はまたざわつき始める。だれもが次の対象を待ってしまう。ここで止めなければ、また誰かが削られる。そう思うほど、強い手に傾きやすくなる。その構造そのものが、もう相手の仕掛けだった。
帰宅後も真白は眠れなかった。九条の言葉と悠真の言葉が、どちらも耳の中に残っている。必要な損傷。理解するのと、そこに立つのは違う。どちらも簡単には捨てられない。だから、眠れない。自分がどこまで行くのかを、自分でまだ決めきれていないと知ってしまったからだった。
その日の午後、問題の生徒は職員室へ呼ばれた。正式な処分ではない。事実確認だ。けれど、呼ばれたという事実だけが先に広がり、教室ではまた別の順位づけが始まる。どこまで関わっていたのか。あの子は黒か灰色か。そんな言い方自体が、比較サイトと同じ構造だと分かっているはずなのに、みんなすぐ同じ場所へ戻っていく。
真白は廊下でそれを聞き、思わず教室のドアを開けた。
「勝手に決めないで」
少し強すぎる声だった。数人が振り向く。
「何をしたかはまだ確認中でしょ。今ここで人を並べ替えるの、向こうと同じだから」
正しい。けれど、言い切ったあと、自分の中に嫌な反発も残った。昨日まで自分も、守るためなら切る側へ寄りかけていたからだ。
九条はその場では口を挟まなかった。あとで真白を呼び止めただけだ。
「さっきのは必要でした」
「またそれ」
「必要でしたが、あなた自身は納得していない」
「当たり前でしょ」
「ええ。だから、まだ止まれる」
九条がそんな言い方をすること自体が意外だった。真白は眉をひそめる。
「止めたいなら、そっちも止まれば」
「わたしは、ここで止まる役ではありません」
平らな声のまま言う。
「あなたがどこまで行くのかを見る役です」
その一文に、真白はぞっとした。観察されているのではない。選別されている。九条は真白が戻るか進むか、その境界そのものを見ている。
夜、真白は自室で何度も画面を閉じては開いた。比較サイトの更新予告は、見るだけで人を焦らせる。今ここで一気に叩けば終わるかもしれない。終わらないかもしれない。それでも、何もしないよりましに思えてしまう。その危うさを、真白はもう自覚していた。
そこへ悠真から短いメッセージが来た。
『寝る前に決めないで』
たったそれだけだった。
なのに、少しだけ呼吸が戻る。きれいな理屈じゃない。ただ、自分が夜の焦りで決めかけていることを、見透かされた気がした。
ベッドに入っても、眠気は来なかった。九条の「必要な損傷」と、悠真の「そこに立つのは違う」が、どちらも消えない。答えが出ないまま朝になるかもしれない。
そのこと自体がもう、次の爆発の前触れみたいだった。




