第2章 第7話 同じやり方でしか届かない相手
敵の輪郭が、ようやく見え始めていた。
中心にいるのは一人ではない。だが、言葉の設計をしている核はいる。候補者の発言を切り取るだけでなく、その切り取りが「どの不安」に刺さるかまで計算している人間。正義感に火がつく文。見下しを誘う文。怖くて確認したくなる文。全部、少しずつ書き分けてある。
九条はその人物を「設計者」と呼んだ。
「自分では前に出ない。けれど、他人の欲望に合わせて言葉を調整できる」
その分析に、真白は嫌な納得をした。見覚えがある。やり方だけなら、自分たちもまったく無関係ではいられないからだ。
「つまり、同じやり方でしか届かない相手ってこと?」
真白が言うと、九条はすぐに頷いた。
「ええ。正面から正しさを言っても、彼らは自分を被害者に作り変えるでしょう」
「じゃあ、先に逃げ道を潰す?」
「必要です」
会話が速い。速すぎる。その速さの中で、真白は自分が九条側へ一歩踏み込んでいることに気づいていた。
午後、会議室で共有された資料には、設計者に近い複数の名前が並んでいた。いずれも直接投稿した形跡は薄い。だが、中心アカウント群と同じ言い回しを現実の会話でも使っている。しかも、候補者より周辺生徒の不安を煽る方向で。それは、討論会そのものを壊すより、「壊れかけた場を見て楽しむ」ほうに近い悪意だった。
真白は資料を読みながら、胸の奥が冷えるのを感じた。
「ほんとに最悪」
「最悪ですが、崩せます」
九条の声は静かだった。
「感情ではなく構造でやっているなら、構造を壊せばいい」
「言うの簡単」
「簡単ではありません。ただ、手順は明確です」
その明確さが、真白には救いでもあり誘惑でもあった。
夕方、三人は空き教室で対策を詰めた。九条は早い段階で強い手を提案した。中心に近い生徒の過去の発言と、裏で煽っていた記録を一気にまとめ、教師と参加校の前で先に提示する。逃げ道を塞ぎ、討論会への関与そのものを切る方法だ。
「そこまでやる?」
真白が聞く。
「やらなければ、また別の形で残ります」
九条は迷わない。
「相手は場を壊して終わりではなく、その後の順位づけまで楽しむタイプです。曖昧に残せば再発する」
「でも、一気に出したら」
「数人は確実に学校内で立場を失うでしょう」
九条は平然と続ける。
「ですが、被害は止まる」
その瞬間、真白は反発するより先に、計算してしまった。たしかに止まる。いま守るべき線だけを見るなら、最短だ。傷は大きい。けれど、これ以上広がる被害は抑えられる。そういう計算が、自分の中で自然に立つことが嫌だった。
悠真はしばらく黙っていた。二人の間で会話が先へ進みすぎている。止めるなら、今しかないと分かっているのに、割って入ると説明不足のまま反論になる。そうなれば、真白はさらに九条側へ寄る。
「それ、ほんとに最後の手?」
悠真はようやく口を開いた。
九条が視線を向ける。
「現時点では最も合理的です」
「合理的かどうかじゃなくて」
「結果として守れる人間が多い方法です」
「守れない人が出る前提で?」
空気が少し硬くなる。九条は否定しなかった。
真白が間に入る。
「悠真、相手はもうそこまでやってる」
「知ってる」
「だったら」
「分かるよ」
悠真の声は低かった。
「分かるけど、分かることと、そこに立つことは違う」
その言葉が、前にも聞いたはずなのに、今日は少し重かった。
対策会議のあと、真白は一人で廊下を歩きながら、自分の歩幅が少し速いことに気づいた。九条のやり方を肯定したいわけではない。けれど、きれいな方法で止まらない相手に対して、きれいでいることを優先していいのか。そう問われると、答えが揺らぐ。
中庭のベンチに座っていた九条は、真白が来ると最初から話の続きを知っていたみたいに口を開いた。
「迷っていますか」
「そりゃね」
「迷うのは当然です」
九条は夕方の校舎を見たまま続ける。
「ですが、あなたはもう理解している。相手がどういう種類の言葉で動くかを」
「理解したくない」
「それでも理解は消えません」
真白は黙る。
「あなたなら分かる」
九条が静かに言い切った。
その言葉は、前よりずっと深く刺さった。褒められているのではない。選ばれているのだと分かる。九条は、自分と同じ方法を共有できる人間として真白を見ている。その認識が、嫌なのに、どこかで少しだけ嬉しくなってしまう自分がいる。それが最悪だった。
帰り道の校門で待っていた悠真は、真白の顔を見るなり何も聞かなかった。ただ、並んで歩き出してから少し経って、ぽつりと言った。
「危ないと思ってる」
「何が」
「似てるから」
それだけで十分だった。真白は言い返せず、鞄の持ち手を握り直した。
設計者に近いと見られる生徒の一人は、ふだんは目立たないタイプだった。だから余計に厄介だった。誰かを直接攻撃するのではなく、その場でいちばん受けそうな言い回しだけを置いて去る。正面から戦わないぶん、反論の対象にもなりにくい。
「人を前に押し出す言葉じゃなくて」
真白が資料を見ながら言う。
「周りに勝手に押させる言葉」
「そうです」
九条は頷いた。
「本人は責任を負わない。だから長く残る」
夕方の練習会で、その癖は現実の会話にも現れた。ある生徒が「みんな不安なんだから、誰が向いてるかくらい話してもいいでしょ」と何気ない顔で言った瞬間、空気がまた比較へ傾く。真白は反射的に遮りかけて、悠真のほうを見た。彼は首を振らない。ただ、その言葉のあとに続く視線だけを見ていた。ここで真白が強く切れば、また別の対立が立つ。だから彼女は言い方を変えた。
「話してもいい。でも、誰かを削る形ならやめよう」
強さを半歩落とす。正しさより、場が戻る置き方を選ぶ。結果として空気は収まったが、真白の中には「いまの選び方は九条に近い」という感覚が残った。
帰り際、悠真は珍しく自分から真白の鞄を取った。
「重い」
「資料多いし」
「違う。考えてること」
真白はむっとする。
「なにそれ」
「真白、もう相手の論理でどこまで行けるか、計算し始めてる」
図星だった。
「それが必要な場面もあるよ。でも、必要って思い始めた時点で、相手と同じやり方の中に片足入る」
真白は鞄を取り返そうとして、できなかった。
「だったら、わたしどうすればいいの」
「そこを迷ってるうちは、まだ大丈夫」
悠真はそう言ったが、声音は少しも楽観的ではなかった。




