第2章 第6話 入り込めない
調査が本格化すると、真白と九条の会話は目に見えて短くなった。参加者と運営側で立つ位置は違うのに、判断だけが先に合ってしまう。
連絡用の通話に入れば、最初の数分で状況整理が終わる。次に必要な確認事項。保全する証拠。止める順番。説明の余地がほとんどない。二人とも、相手が次にどこを見るかを先回りして分かってしまうからだ。
『そのコメント欄、時系列で保存』
『済み』
『じゃあ、同じ語尾の別アカウント』
『追っています』
『教師側にはまだ出さない』
『同感です』
便利だった。正直に言えば、圧倒的にやりやすかった。真白は腹を立てながら、その事実を否定できなかった。九条の言葉は好みじゃない。考え方も危うい。なのに、何を守るために何を先に切るか、という場面になると噛み合ってしまう。
問題は、そのやりやすさが周囲を外側へ押し出すことだった。
昼休み、真白は会議室の隅で九条と資料を突き合わせていた。比較サイトの更新時間と、校内で噂が広がる速度の相関を見るためだ。紙の端にメモを書き込み、必要な場所だけを指す。二人とも声は低い。周りには実行委もいるのに、その会話に入る隙がない。
「この投稿のあと、最初に動いたのは一年のグループ」
「ええ。ただし拡散元は二年です」
「じゃあ、最初に切るのは……」
「二年側の同情アカウント」
「そこ止めると、一年には何が残る?」
「遅れて届く説明だけです」
真白は頷いた。
「それでいい」
そこへファイルを持った悠真が来た。会議室の空気を一瞬で見て、足を止める。入れないわけではない。けれど、今ここで口を挟んでも、二人はたぶん説明を省いたまま先へ進む。そういう閉じた速さが、すでにでき上がっていた。
「受付の導線、先生に確認取れた」
彼は必要事項だけを置いた。
「あと、生活指導の巡回も一本増える」
「助かる」
真白は顔を上げずに言った。感謝は本物だ。だからこそ、悠真は少しだけ困る。
「他にもいる?」
「いまは大丈夫」
その一言で、自分の役割がどこにあるかがはっきりする。中には入れない。けれど、外はまだ整えられる。
悠真は会議室を出たあと、校舎の端から端まで歩いた。受付周辺の掲示。来校者導線。教師の巡回位置。比較サイトの話題が出やすい場所。誰かが追い詰められるとき、問題はたいてい本人の周囲だけで起きるわけではない。少し離れた場所の視線や冗談や沈黙が、じわじわ効く。悠真はそういう外側を整えることに慣れていた。
実行委の一年が二人、コピー機の前で小声で話している。
「水野先輩、今日まだ顔色悪かったね」
「また何か回るのかな」
悠真は紙の束を抱えたまま、そこへ自然に混ざった。
「その資料、体育館の分まだ足りないよ」
話題が逸れる。二人の視線が紙へ移る。心配自体は消えない。だが、水野を見に行く流れは止まる。悠真はそういう小さなずらしを、今日は何度も繰り返した。
放課後、真白はようやく一人になった廊下で悠真に追いついた。
「さっき、受付の件ありがとう」
「うん」
「助かった」
「それならよかった」
それだけの会話なのに、なぜか少しだけ距離を感じる。真白は壁際に立ち止まった。
「怒ってる?」
「怒ってない」
「嘘」
「ほんと」
悠真は困ったように笑った。
「ただ、入り込めないなとは思ってる」
真白は言葉を失った。自分でも、分かっていたからだ。
「九条と話してる時の真白、速い」
悠真は責める口調では言わなかった。
「悪い意味だけじゃない。必要なことも多い。ただ、ぼくはそこに入ると、説明を頼む側になる」
「……ごめん」
「謝るようなことじゃない」
悠真は首を振る。
「ぼくにできるのは、たぶん別のことだから」
その夜、比較サイトの中心にいた複数のサブアカウントが凍結された。学校側の通報と、合同運営経由で集まった証拠提出が同時に効いた形だった。真白は通話越しに九条の声を聞きながら、少しだけ肩の力を抜いた。
「ひとまず、一段落」
「ええ。ただ本体はまだ残っています」
「分かってる」
「そして周囲の空気も」
「分かってるってば」
似たことを同時に考え、同じ速度で次を見ている。頼もしい。けれど、その頼もしさの横で、悠真が外側の仕事を黙って片づけていたことを、真白は忘れられなかった。
帰り際、校門の前で悠真が先に歩いている背中へ、真白は小さく声をかけた。
「今回は助かった」
振り返った悠真は、少し驚いたような顔をした。
「うん」
それだけだった。素直に受け取ればいいはずなのに、真白にはその短さが妙に残った。
外側を整える役目は、目立たない。目立たないまま、たしかに人を救っている。自分はそれを、ちゃんと見ていたのか。そんな問いだけが、暗くなり始めた帰り道に長く残った。
午後の実行委打ち合わせでは、真白と九条が中心の議題を処理しているあいだ、悠真は議事録係の隣に座っていた。発言の内容ではなく、発言したあとの空気を見るためだ。中心ログの話が出た瞬間に視線を落とす生徒。やたら強い言葉で「早く処分すべき」と言う生徒。逆に「もう十分じゃない?」と軽く笑う生徒。どれも手がかりになる。けれどそれを今ここで口にすると、別の決めつけを生む。だから悠真は、会議が終わってから個別に声をかけた。
「いま結論急がなくていいよ」
「その言い方、また広がるからやめたほうがいい」
「心配するなら本人のいない場所で」
細い調整ばかりだった。正面から議論に勝つための言葉ではない。だが、場が悪いほうへ転がる速さは確実に鈍る。
その仕事ぶりを、真白は断片的にしか見ていなかった。資料を追い、九条と話し、教師へ持っていく順番を考えていると、外側で誰がどう支えているかを細かく見る余裕がない。だからこそ、校門前で「今回は助かった」と言ったあと、悠真の返事が思ったより短かったことが胸に残った。
帰り道の途中で、真白は少しだけ歩幅を緩めた。
「悠真」
「ん」
「入り込めないって、さっきの」
「事実だから」
「でも、わたしは」
「真白が悪いって話じゃないよ」
悠真は先に言った。
「九条と話してる時の真白、ちゃんと見えてる。必要な速さだとも思う」
「じゃあ」
「その速さの外にいる人もいるってだけ」
その言葉は、責めていないぶんだけ痛かった。
真白は答えを持てないまま、夜に一人で机へ向かった。ノートの余白に、今日動かした人の名前を書き出す。水野。篠原。実行委。教師。九条。悠真。並べてみると、守ろうとしているはずの自分が、いつの間にか真ん中の速さばかりを見ていた気がした。外側を整えている人間がいるから、真ん中は前へ進める。その当たり前を、当たり前として受け取りすぎていたのかもしれない。




