第2章 第2話 同じ敵
交流討論会の参加者向け連絡用共有サイトが作られたのは、その週の木曜日だった。最初はただの情報共有だった。集合時刻、配布資料、テーマ一覧、進行役の名前。必要なことだけが整って並んでいる。だから誰も疑わなかった。
問題が起きたのは、その翌日の夜だった。
真白が共有サイトを見たとき、画面には見覚えのない比較サイトへのリンクが表示されていた。名前は軽く、口調はもっと軽い。けれど投稿の中身は、ひどく計算されていた。各校の候補者の発言を切り取り、「討論向き」「司会向き」「感情論型」と勝手に並べ替え、最後にそれらしい順位づけをつけている。悪口ではない。だから余計に厄介だった。褒めるふりで線を引き、面白がる余地だけを先に作っている。
「なにこれ」
真白はベッドに腰掛けたまま呟いた。
スクリーンショットはもう何枚も回っていた。誰かが笑いながら共有し、別の誰かが冗談っぽく反応し、そのどれもが「本気じゃない」と逃げられる温度で投げられている。悪意より薄く、無責任よりはうまい。だから止めにくい。
翌朝、昇降口にはすでにその空気が流れていた。露骨に画面を見せ合う者はいない。けれど、通り過ぎるときの視線が一拍長い。候補生徒たちが立つと、そこでだけ会話が途切れる。真白は自分の名前も投稿の中にあるのを見ていた。文化祭のときの発言が切り出され、「強いが操作的」と書かれている。腹は立った。だが、自分のことより、別の子の投稿のほうが気になった。
候補生徒の一人、二年の女子。討論の練習で一度だけ詰まった場面が切り抜かれ、「泣き落とし型」と雑に名付けられている。笑って済ませるには、傷の付け方が正確すぎた。
真白は昼休みにその子を探した。図書室の裏手にある小さな廊下で、彼女は一人でスマホを伏せていた。話しかけると、最初は「平気です」と言った。けれど、平気な顔ではなかった。
「これ、気にしないほうがいいって分かってるんですけど」
彼女は目を伏せたまま言う。
「分かってても、見た人がそう思うなら、それが残るじゃないですか」
「残る。でも、決まるわけじゃない」
真白は隣の壁にもたれた。
「切り取られた言葉が残るのと、その人がそういう人だって決まるのは別」
「でも、みんな別って扱わないです」
「だから、別だって扱わせるの」
強く言い切ると、彼女は少しだけ驚いた顔をした。
真白は比較サイトを開き直した。発言の切り抜き方が妙にうまい。内部資料を見ているような速さでもある。候補者同士の練習会での言い回しや、学校ごとの空気の差まで拾っている。外から見ただけでは分からない粒度だった。
「内部に近い人間がいる」
声に出すと、背後から別の声が重なった。
「ええ。しかも、近いだけではなく、言葉の使い方を知っている」
振り返ると、九条がいた。
自校の制服のまま、交流討論会の合同運営用バインダーと校内提出用のクリアファイルを重ねて抱え、壁際に立っている。参加者としてではなく、最初から場の外縁を押さえる側の顔だった。文化祭以来の再会だったのに、真白は驚くより先に眉をひそめた。
「うわ」
「挨拶としては雑ですね」
「来てたんだ」
「合同運営の確認ですから」
九条はそう言って、真白のスマホ画面を一瞥した。
「そちらにも回りましたか」
「そちらにも、ってことは」
「こちらでも同じです」
九条は、合同運営メンバーとして各校の候補者の動きと共有資料を横断して見ているらしい。だからこそ、学校ごとに違って見える投稿の癖の奥に、同じ設計の線が通っていることにも先に気づける。人を正面から殴らず、逃げ道を残したまま深く刺す。そのやり方に、真白は嫌な既視感を覚えた。
「誰がやってるか分かる?」
「まだ。ただ、少なくとも単独犯ではないでしょう」
「どうして」
「情報の入り方が速い。投稿のタイミングも、反応の拾い方も、複数人で見ていないと難しい」
九条は平坦に言う。
「しかも厄介なのは、彼らが順位を決めたいわけではないことです」
「は?」
「順位づけそのものより、順位づけを見て誰かが勝手に並び替え始める空気を作りたい」
その言い方が、真白の背筋に冷たく落ちた。たしかにそうだった。投稿は結論を押しつけていない。見る側に続きをやらせるように作ってある。
悠真はその日の放課後、真白から比較サイトの画面を見せられると、すぐに一つだけ確認した。
「真白、もう反応した?」
「してない」
「なら、まだいい」
「よくないでしょ」
「慌てて正面から触ると、相手の思う順番になる」
悠真は廊下の窓枠に軽く寄りかかった。
「いま必要なのは、正しいことを言うことじゃなくて、だれがどう動くとこの投稿が広がるかを見ること」
「つまり?」
「相手は言葉だけでやってない。言葉のあとに広がる空気まで設計してる」
真白は腕を組んだ。悔しいが、九条と同じことを言っている。言い方だけが違う。
その夜、真白は自分の学校側で流れている投稿を追い、九条は合同運営の共有ログから拾った他校分の情報を送ってきた。進行確認のために見えてしまう範囲が、そのまま別の角度の視界になっているらしい。短い文面だった。
『話が早い。今回は敵が別なだけだ』
腹が立つほど感じが悪い。だが、否定もしづらい。
翌日の練習会では、候補生徒たちの言葉が明らかに変わっていた。うまく話そうとしすぎて、先に自分を削っている。真白はその空気に耐えられず、進行の途中で口を挟んだ。
「いま必要なの、失敗しない言い方じゃないでしょ」
場が止まる。視線が集まる。
「討論って、きれいな答えを並べる場じゃない。ちゃんと違う意見があって、それでもまとめるためにあるんだから」
言い切ったあと、空気が少し戻った。候補生徒の一人が、最初より自然に話し始める。別の子も、言葉を選びすぎる手を止める。
その光景を、教室の後ろから悠真が見ていた。彼は何も言わない。ただ、真白と九条が別々の場所から同じ種類の敵を見抜き、同じ速度で考え始めていることだけは、はっきり分かっていた。
練習会の終わり際、真白のスマホに九条からまた短いメッセージが届く。
『あなたなら、もう見えていると思っていました』
それを読んだ瞬間、真白は舌打ちしかけて、やめた。
言い返したいのに、少しだけ分かってしまうことが、いちばん気に入らなかった。
一時間目の前、教室ではすでにその投稿の話が「笑うほどでもないけど気になるもの」として流れていた。真白は机に鞄を置きながら、耳だけで拾う。
「ちょっと当たってるかも」
「でもこういうの、書いてる人のほうが性格悪くない?」
「そこまで言わなくても」
否定も肯定も、全部が燃料になる温度だった。真白は自分の席に座り、あえて画面を閉じた。ここで怒れば、相手の作った舞台に立つ。そう分かっているのに、指先だけが落ち着かなかった。
昼のあと、九条は真白に合同運営経由で回ってきた他校分のスクリーンショットを送ってきた。候補者の発言の切り取り方は違うのに、最後に必ず「見た人が続きを言いたくなる」置き方になっている。
『書いている人間は、順位より反応が欲しい』
その一文だけが添えられていた。
真白はすぐに返信しなかった。けれど、その見立て自体は自分でももう分かっていた。
放課後の廊下で、悠真は真白にだけ聞こえる声で言った。
「いちばん危ないの、怒ってる人より、面白がってないふりで回してる人たちだよ」
「分かってる」
「分かってるなら、真白はまだ正面から殴らないで」
その言い方に少しだけ棘がある。
「ぼくと九条が同じこと言ってるの、嫌でしょ」
「最悪」
「じゃあ、いまは最悪でも聞いて」
真白は顔をしかめたまま頷いた。腹立たしいのに、止めきれない。相手の土俵に乗る速さだけは、たしかに抑えないといけなかった。




