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第2章 第1話 文化祭のあとに残ったもの

 文化祭が終わって三日目の昼休みだった。教室の後ろでは、まだ片づけきれていない段ボールが積まれている。祭りの名残は残っているのに、空気だけが妙に現実的だった。交流討論会の代表を学年から一人出さなくてはいけない。来月の市内合同行事で、各校の生徒がテーマごとに討論し、最後に共同提言までまとめる。見栄えはいいが、実際には場を回し、揉め事を抑え、外部の大人の視線にも耐えなくてはいけない面倒な役目だった。


 ホームルームが終わると、教卓の周りに自然と人が集まった。担任は「今日中に候補だけでも」と言って職員室へ戻り、残されたのは生徒同士の、いちばん面倒な相談だった。だれを出せば無難か。だれなら失敗しないか。だれなら、あとで責任が重くならないか。最初に出たのは学級委員の名前だった。次に、副委員長。吹奏楽部の部長。去年も似た行事に出たことのある生徒。理由はどれもそれらしい。だからこそ、だれも決め手にならなかった。


「司会進行できる人がいいよね」

「でも、押しが強すぎると他校と揉めそう」

「逆に控えめすぎても、空気持ってかれるし」


 条件だけが増えていく。名前は出る。けれど、そのたびに別の不安がくっついて消えた。教室の後ろから眺めていた真白は、口を挟まなかった。窓際の自分の席に座ったまま、頬杖をつき、教卓の周りの輪郭だけを見ていた。


 出たいわけではない、と自分に言い聞かせていた。代表になれば、面倒が増える。時間も取られる。下手をすれば、また余計に人の感情の真ん中へ立つことになる。そんなもの、好きで背負う役ではない。


 それでも、話を聞いているうちに、胸の奥が少しずつ熱くなっていった。


 条件の話ばかりだと思った。安全そうな人、角が立たない人、あとで言い訳しやすい人。だれも間違ったことは言っていないのに、教室の真ん中から責任だけが抜け落ちていく。文化祭のとき、トラブルが起きた瞬間に前へ出たのは、そういう理由ではなかったはずだ。場が荒れそうだったから、止めた。言わなくていいことが飛び交いそうだったから、先に言葉を置いた。ただ、それだけだった。なのに今、教室の空気は、いちばん先に前へ出る人間を選ぶのではなく、最後まで責任を背負わなくて済みそうな人間を探している。


 真白は黙ったまま、指先で机の端をなぞった。言えばいい。そう思えば、自分から言えた。代表をやる、と。実際、そう言ってしまえば、話はそこで変わるかもしれない。けれど、それは違うと思った。自分から前へ出るのと、だれも選ばないから自分で名乗るのは、似ているようで違う。少なくとも、今のこの空気に向かって自分の名前を差し出すのは、負け方として気に入らなかった。


 教室の前では、まだ別の名前が上がっていた。慎重で、穏やかで、受け答えが無難そうな生徒。失言しなさそうな生徒。真白は一人ずつ、その名前のあとに続く曖昧な期待を聞いた。みんな、失敗しない人を探している。成功する人ではなく。


 そのとき、前の席から椅子を引く小さな音がした。


 悠真だった。彼は教卓へ行くでもなく、自分の席の横に立ったまま、教室の中心を見た。すぐに何かを言うと思ったのに、言わない。代わりに、後ろの窓際へ視線を流した。


 真白は、その視線とぶつかった。


 たった一瞬だった。けれど、悠真はたぶん、その一瞬で全部見た。真白が何も言わずに座っていること。諦めていないこと。腹を立てていること。悔しいのに、口を出さないと決めていること。


 悠真はそれから、教室全体へ向けるように、でも独り言みたいに言った。


「無難な人じゃなくて、困った時に前へ出る人を選ぶんだよね」


 大きな声ではなかった。押しつける響きもなかった。ただ、その一言だけで、教室の空気が少し止まった。


「……それなら」

 だれかが言いかけて、教卓の周りを見回す。

「朝比奈じゃない?」

 その名前が、初めてそこで出た。


 真白は顔を上げた。何人かがこちらを見る。文化祭のときのことを思い出した顔。ああ、そうだ、と遅れて気づいた顔。別の誰かが「たしかに」と続けた。「あの時も結局、朝比奈がまとめたし」「外の人相手でも引かなさそう」「でも押しつけっぽく見えないし」。さっきまで無難さばかりを探していた教室が、今度は急に、責任を取りに行ける人間の記憶を拾い始める。


 真白は何も言わなかった。ここで口を開けば、流れに手を添えることになる。それは、さっきまで黙っていた意味を自分で壊す気がした。だから黙って、教卓の周りの声が少しずつ揃っていくのを見ていた。


 悠真はもうこちらを見ていなかった。椅子に座り直し、何事もなかった顔でノートを閉じている。自分がきっかけを置いた自覚くらい、当然あるはずなのに、その顔には「別に押していない」という厚かましい静けさがあった。


 ホームルームの終わり、担任が戻ってきて候補名の確認をしたとき、最後に残っていたのは真白の名前だった。仮決まりね、と言われても、教室はさっきほどざわつかなかった。もう決まっているものとして、受け入れている空気があった。


 放課後、真白は職員室へ提出する書類を受け取り、廊下へ出た。階段の踊り場に悠真がいる。壁に寄りかかり、廊下の先のポスターを見ているふりをしていた。


「流れ、変えたでしょ」


 真白が言うと、悠真は首だけこちらへ向けた。

「変えてない。戻しただけ」

「同じ」

「違うよ。みんな、もともと分かってた。無難な人を探して、忘れてただけ」

「じゃあ、あの一言は?」

「確認」

 平然としている。腹が立つ。

「わたし、黙って見てただけなのに」

「見てたからだよ」

 悠真は短く答えた。

「真白、自分で名乗らなかった」

「だから?」

「それなら、ぼくが言うしかないと思った」


 その言い方が少しだけずるかった。真白は文句を返そうとして、結局やめた。自分があのまま黙っていた理由を、たぶんいちばん正確に見抜かれている。


 書類をめくると、交流討論会の概要の下に、運営協力校の一覧が載っていた。参加校は四校。代表名はまだ空欄が多い。だが、裏面には参加者名簿とは別に、進行・記録・連絡調整を担う実務欄があり、各校から少数だけ引き抜かれる合同運営メンバーの名前が並んでいる。その末尾に、見覚えのある名前があった。


 九条絢人。


 真白の指が止まる。あの文化祭のあと、しばらく見なかった名前だった。


「……最悪」


 小さく漏らすと、悠真が紙をのぞきこんだ。九条の名前を見つけた彼は、目元だけをわずかに細める。代表候補の欄ではなく、参加者を動かす側の名簿にいる。そのことが、いちばん九条らしかった。


「早いね」

「何が」

「来るの」

 真白は書類を閉じた。階段の窓の向こうで、夕方の光が少しずつ薄くなっている。

「だったら、わたしが言葉で変える」

 半分は癖だった。半分は、自分に向けた確認だった。

 悠真はすぐには笑わなかった。

「変えるのはいい。でも、今度は変えられすぎないで」

 その言葉だけが、帰り道の最後まで耳に残った。

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