生徒会の先輩
昼休み。
「神谷くん」
教室の前から、聞き慣れない声がした。
顔を上げるとそこに立っていたのは、見覚えのない女子生徒だった。
肩まで伸びた髪。
整った顔立ち。
制服をきちんと着こなし、胸元には生徒会の腕章をつけている。
「今、よろしいですか?」
「神谷陽翔くんですよね?」
「そうですけど……」
何かしただろうか。
思い当たることがなくて、身構えしまった。
「私、生徒会の桜井といいます。初めまして。」
「桜井?」
「初対面で呼び捨てですか?」
「いや、すみません。聞いたことある気がしたのでつい」
学年が違うので、直接話したことはない。
それでも、生徒会の中心人物として名前を聞いたことくらいはあった。
「話を戻しますね、お願いがあるんです」
「お願い?」
「はい」
桜井先輩は、俺の机の前に一枚の紙を置いた。
「来週の学校行事で使う掲示物なんですが、手伝っていただきたいのですが?」
「なぜぼくに?」
「どうして俺なんですか?」
「……それは」
「昨日、放課後に一人で掲示物を作っていましたよね?」
「え?」
「すみません、覗き見するつもりはなかったんですが廊下を通ったときに見えてしまいました」
「ああ……」
昨日、教室に残っていたのはそれだった。
クラスで使う掲示物の一部が終わっていなかったので、俺が残ってやっていただけだ。
「でも、あれくらいなら誰でもできますよ」
「そういうところです」
「え?」
「神谷くんは、自分がやったことを『誰でもできる』って言うんですね」
桜井先輩は、なぜか笑った。
「だからお願いしたいんです」
「ええと……分かりました」
「ありがとうございます」
先輩は頭を下げた。
「今日の放課後、生徒会室に来てもらえますか?」
「はい」
「助かります」
そう言って、先輩は教室を出ていった。
「……陽翔」
隣から声がする。
「なんだ美咲?」
「今の人、誰?」
美咲だった。
「桜井先輩。生徒会の人らしい」
「なんで陽翔が呼ばれたの?」
「掲示物の手伝い」
「ふーん……」
美咲が不満そうな顔をした気がした。
「どうした?」
「別に」
「またそれ?」
「だって……」
美咲は何か言いかけて、やめた。
「なんでもない」
その向かいでは、白石さんも桜井先輩が出ていった方向を見ていた。
「……桜井先輩」
「白石さん、知ってるの?」
「はい。生徒会では有名な先輩です」
「へえ」
「何でもできる人ですよ」
「そうなんだ」
俺は何気なく答えた。
その瞬間。
「……陽翔」
美咲と白石さんの声が、なぜか重なった。
「二人とも顔怖いよ?」
「なんでもない」
二人とも同時に目を逸らした。
「……?」
俺には、やっぱりよく分からなかった。
放課後。
約束通り、生徒会室へ向かった。
「失礼します」
「どうぞ」
中には数人の生徒がいた。
その中に桜井先輩もいる。
「おお、来たか新人くん」
扉を開けると話しかけてきたのは、生徒会の副会長天野翔太という人物だった。
「初めまして.....」
「七海から聞いてるよ、まぁ、ゆっくりしていきたまえ!ははは!」
「ええ、どうも」
陽気な感じで初対面でこんなにも馴れ馴れしく話しかけることができるとは、まさに陽キャラとはこの人のことをいうのだろう。
「天野くん、神谷くんが引いてますよ、もう少し礼儀正しくお願いします。
「すまん、すまん」
「来てくれたんですね」
「ええ、まぁ、約束しましたから」
「ありがとうございます」
先輩は机の上に大量の紙を並べた。
「早速ですが、これを今日中にある程度仕上げたいんです」
「結構ありますね」
「すみません」
「大丈夫です」
俺は椅子に座り、作業を始めた。
切る。
貼る。
文字を書く。
同じ作業を何度も繰り返す。
特別難しいことではない。
ただ、量が多いだけだった。
しばらくすると、生徒会の他のメンバーが次々と帰っていった。
「お先に失礼します」
「お疲れさまでした」
気がつけば、生徒会室に残っているのは俺と桜井先輩だけになっていた。
「神谷くん」
「はい?」
「もう帰っても大丈夫ですよ?」
「でも、まだ終わってないですよね」
「私がやりますから」
「一人だと大変じゃないですか?」
「……まあ」
「じゃあ、やります」
俺は再び作業に戻った。
桜井先輩はしばらく俺を見ていた。
「……不思議な人ですね」
「ぼくがですか?」
「ええ....」
「普通なら、途中で帰りたくなると思うんです」
「そうですか?」
俺は少し考えて、いつも通り思っていることを言った。
「でも、始めたなら終わらせたいじゃないですか」
「……」
「それに、先輩一人でやるより二人のほうが早いですし」
「そういうところですよ」
「またそれですか?」
先輩が笑った。
「すみません」
「いや、いいんです」
桜井先輩は、どこか嬉しそうだった。
作業が終わった頃には、外はすっかり暗くなっていた。
「終わった……」
俺が伸びをすると、先輩が笑う。
「本当にありがとうございました」
「いえ」
「助かりました」
「ならよかったです」
荷物を持って、生徒会室を出る。
廊下を歩いていると、先輩が突然立ち止まった。
「神谷くん」
「はい?」
「どうして、そんなに頑張れるんですか?」
「……どうして?」
「はい」
「別に、頑張ってるつもりはないですよ」
「でも……」
「できないなら、できるまでやるだけです」
昔から、そうしてきた。
勉強でも、運動でも。
最初からできる人には追いつけない。
だから、自分にできることをやる。
「それだけです」
先輩は黙って俺を見ていた。
そして。
「……なるほど」
小さく笑った。
「だから、なんですね」
「何がですか?」
「いえ。何でもありません」
まただ。
最近、女の子たちは「何でもない」と言うことが多い気がする。
俺にはさっぱり分からない。最近の流行語大賞でも狙っているのだろうか。
そんなことを考えていたら、校門についていた。
「神谷くん」
「はい?」
「明日も、生徒会室に来てもらえませんか?」
「まだ仕事あるんですか?」
「少しだけ」
「ええ...まぁ、分かりました」
「……ありがとうございます。それなら、よかった」
先輩は嬉しそうに笑った。
「では、また明日」
「はい。お疲れさまでした」
俺は先輩と別れた。
その夜。
桜井七海は、自分の部屋で机に向かっていた。
けれど、勉強はまったく進まない。
頭に浮かぶのは、今日のことばかりだった。
『始めたなら終わらせたいじゃないですか』
「……変な人」
思わず笑ってしまう。
これまでにも、努力する人はたくさん見てきた。
でも。
自分がやったことを誰かに褒めてもらおうともせず。
「大したことじゃない」と笑って。
誰かに頼まれたことを最後までやり切る。
そんな人は、初めてだった。
「……もう少し、話してみたいな」
七海はそう呟いた。
その気持ちが何なのか。
このときは、まだ分からなかった。
翌朝。
「陽翔」
いつものように、美咲が俺を待っていた。
「おはよう」
「おはよう」
「今日、放課後どうするの?」
「生徒会室に行く」
「……また?」
「うん。昨日の続き」
「そっか」
美咲は少し黙った。
「……私も行こうかな」
「なんで?」
「別に。暇だから」
「じゃあ一緒に来る?」
「……うん」
その会話を、教室の少し離れた場所から白石怜奈が聞いていた。
「生徒会室……」
白石は小さく呟く。
教室の後ろでは、生徒会の腕章をつけた桜井七海が、陽翔を見つめていた。
「今日もお願いしますね」
こうして。
神谷陽翔の知らないところで。
三人の少女の気持ちは、恋心は少しずつ動き始めていた。




