幼馴染の距離
「おはよう、陽翔」
「おはよう」
翌朝。
いつものように家を出ると、家の前には美咲が立っていた。
小学生の頃から変わらない、いつもの光景。
俺たちは家が近い。
だから、学校へ行くときは自然と一緒になる。
それが俺たちにとっては当たり前だった。
「……」
でも、今日は何か違う気がした。
「美咲、どうかしたか?」
「別に」
「そうか」
「体調悪い?」
「悪くない」
「眠いのか?」
「眠くない」
「前髪が上手く決まらなかったとか?」
「もう!うるさい!」
美咲はぷいっと前を向いた。
明らかに怒っている様子だ。
でも、聞いても教えてくれそうにない。
「まあ、いいか」
何だろうかと考えたが、当てはまりそうなものは一つも思いつかなかった。
まさか、女の子の日なのか?いやいや、待て待て、仮にそうだとしたらどう対応したらいいんだ。
彼女いない歴=年齢の俺がそんなことに上手く対応できるはずがないだろう。
「あの…さ」
「……陽翔って、本当に鈍いよね」
「どういう意味だ?」
「なんでもない」
またそれだ。
やはり見当もつかない。やっぱり、あれなのか。
気まずい雰囲気の中、学校への道を黙ったまま歩き続けた。
そんなときに俺は、ふと昨日のことを思い出した。
放課後、白石さんと一緒に勉強した。
そして、一緒に帰った。
「……ねえ」
突然、美咲が口を開いた。
「どうした?」
「昨日さ.......白石さんと帰ったんだよね?」
「そうだけど」
「二人で?」
「うん」
「……楽しかった?」
「まあ、普通に」
「ふーん」
美咲の声がいつもよりも低いような感じがした。
「数学を教えてもらったんでしょ?」
「いや、俺が教えたんだよ」
「そうだった」
「なんで知ってるんだ?」
「昨日、言ってたじゃん」
「ああ、そうだっけ」
「……もう」
美咲が小さくため息をついた。
「白石さんって、どんな子?」
「どんなって……」
俺は少し考える。
「真面目で、頭が良くて」
「でも、思ったより普通の女の子だった」
「……ふーん」
「数学の問題一問解けただけで喜んでたし」
「へえ」
「意外と可愛いところもあるんだなと」
「……」
美咲が黙った。
「どうした?」
「別に」
そう言って、また美咲は黙り込んでしまった。
この空気を何とかしようと俺は、声を出した。
「なんか怒ってんのか?」
「陽翔が悪い」
「なんで!?」
「知らない!」
美咲はそのまま歩く速度を上げた。
「待ってくれよ」
「知らない!」
俺には何が悪かったのか分からない。
昨日からずっとそうだ。
女の子って難しい。
教室に入って自分の席に座ると、すぐに美咲も隣の席にやってきた。
「陽翔」
「な、なんだよ?」
「今日、放課後どうする?」
「特に予定ないけど」
「じゃあ、一緒に帰ろ」
「ええ?、い、いいよ」
「なに、いやなの?」
「そういうわけじゃ」
「白石さんと帰りたいってこと?」
「だから、ちがうって」
「なら、約束ね」
美咲は満足そうに笑った。
その笑顔を見て、俺も安心する。
昨日から変だったけど、もう大丈夫らしい。
そのときだった。
「おはよう、神谷くん」
教室の前の扉から声が聞こえた。
白石さんだった。
「お、おはよう」
「昨日はありがとう」
「役に立てたならよかった」
白石さんは俺の机の前まで歩いてきた。
「昨日教えてもらったところ、家でもう一度やってみたの」
「どうだった?」
「解けた」
「よかったじゃん」
「うん」
白石さんが嬉しそうに笑う。
「だから、今日もお願いしていい?」
「え?まあいいよ」
「ありがとう」
「じゃあ放課後――」
「待って」
美咲が口を挟んだ。
「え?」
白石さんが美咲を見る。
「陽翔、今日私と帰る約束してるから」
「あ……」
そうだった。まさか白石さんに誘われるなんて夢にも思っていなかったためについ口が先走ってしまったらしい。
「あ、そうなんだ」
白石さんは少し考えてから、俺を見る。
「なら仕方ないわね、それなら明日は?」
「明日なら、大丈夫だと思う」
「分かったわ」
白石さんは頷いた。
「また明日ね、神谷くん」
「ああ」
白石さんが自分の席へ戻っていく。
俺は美咲を見る。
「助かったよ」
「何が?」
「今日の約束、忘れるところだった」
「……別に」
美咲は頬を膨らませた。
その表情が妙に子どもっぽくて、俺は笑った。
「何?」
「いや、昔から変わらないなと思って」
「私が?」
「うん」
「どこが?」
「怒ると頬を膨らませるところ」
「……!」
美咲の顔が赤くなる。
「そ、そんなことしてないし!」
「してるって」
「してない!」
「してる」
「もう!」
美咲は俺の肩を軽く叩いた。
周りのクラスメイトがこちらを見る。やたら、視線がこちらに注目していた。無理もない、平凡で普段目立たない俺が、学校一の美少女と話していたら妬まれても不思議ではない。
「仲いいな、お前ら」
男子の一人が笑う。
「まあ、幼馴染だから」
俺が答えると、
「……幼馴染、ね」
美咲が小さく呟いた。
その声は、俺には聞こえなかった。
昼休み。
俺は美咲と中庭のベンチで弁当を食べていた。
「今日の卵焼き、うまい」
「本当?」
「ああ」
「昨日より?」
「昨日も食べたっけ?」
「……食べたでしょ」
「ああ、そうだった」
美咲は呆れた顔をする。
「陽翔って、私の作ったもの結構食べてるのに、全然覚えてないよね」
「いや、味は覚えてる」
「本当?」
「うん」
「じゃあ、何が一番好き?」
「卵焼き」
「……」
「どうした?」
「なんでもない」
美咲は嬉しそうに笑った。
「じゃあ、明日も作ってくる」
「いいの?」
「うん」
「ありがとう」
美咲は少し照れたように俯いた。
そのとき。
「神谷くん」
後ろから声がした。
振り返る。
「白石さん?」
「ここにいたんだ」
「どうした?」
「ちょっと聞きたいことがあって」
白石さんが俺の隣に立つ。
そして、美咲を見る。
「……お邪魔だった?」
「え?」
「いや」
美咲は笑顔を作った。
「別に大丈夫」
「そう?」
「うん」
白石さんは俺を見る。
「昨日の問題なんだけど――」
俺たちが話している間。
美咲は黙って弁当を食べていた。
いつもなら、もっと会話に入ってくる。
なのに今日は何も言わない。
「美咲?」
「ん?」
「どうした?」
「何でもないよ」
「そう?」
「うん」
美咲は笑った。
でも。
その笑顔は、どこか寂しそうだった。
放課後。
「じゃあ、帰ろう」
俺は美咲に声をかけた。
「うん」
俺たちは二人で学校を出た。
しばらく歩いても、美咲は静かだった。
「……なあ」
「ん?」
「今日、どうした?」
「何が?」
「朝から変だろ」
「変じゃない」
「でも――」
「陽翔」
美咲が立ち止まった。
「何?」
「陽翔はさ」
「うん」
「高校で、好きな人とかできた?」
「……」
突然の質問だった。
「いないけど」
「本当に?」
「うん」
「白石さんは?」
「え?」
「白石さんのこと、好きじゃないの?」
「ないない」
俺は笑った。
「まだ会って二日だし、高嶺の花の彼女が俺なんかと釣り合うわけないだろ」
これは、本心である。たまたま放課後に学校で勉強していたらたまたま、出会った彼女が同じ問題に苦戦していたというだけのことだ。
「二日でも好きになる人はいるでしょ」
「そうなのか?」
「……うん」
美咲は俯いた。
「そっか」
「どうした?」
「なんでもない」
またその言葉。
俺は少し考えた。
「美咲は?」
「え?」
「好きな人」
「……」
美咲の顔が赤くなる。
「いるよ」
「昨日も言ってたな」
「うん」
「誰?」
「……秘密」
「なんで?」
「言えるわけないでしょ」
「俺には?」
「……特に」
「そっか」
俺はそれ以上聞かなかった。
美咲が言いたくないなら、無理に聞くことでもない。
しばらく歩く。
すると、美咲が小さな声で言った。
「陽翔」
「ん?」
「もし、その人に好きな人ができたら……どうすると思う?」
「どうするって?」
「諦める?」
「俺なら……」
少し考える。
「好きなら、簡単には諦められないんじゃない?」
「……そっか」
「でも、相手が幸せなら応援するかな」
「……優しいね」
「そうか?」
「うん」
美咲は少しだけ笑った。
「だから、好きなんだけどね」
「え?」
「なんでもない」
「また?」
「うん」
美咲は笑った。
俺は首を傾げる。
最近の美咲は、本当に変だ。
家の前に着いた。
「じゃあ、また明日」
「うん」
いつもの別れ。
俺が家へ入ろうとすると、
「陽翔」
美咲に呼び止められた。
「ん?」
「高校でも……」
美咲は何かを言いかけて。
少しだけ迷って。
「……ううん。なんでもない」
「そう?」
「うん」
「じゃあ、また明日」
「……また明日」
俺は家の中へ入った。
玄関の扉が閉まる。
美咲はその場に一人残った。
「……いつになったら、気づいてくれるのかな」
誰にも聞こえないほど小さな声。
美咲は空を見上げた。
高校生活は、まだ始まったばかり。
だから、焦る必要なんてない。
そう思いたかった。
けれど――。
翌日から。
陽翔の周りには、さらに一人の女の子が現れることになることは、本人たちはまだ知らなかった。




