私は逃げられない。
7月11日、全国大会予選。大量の汗がユニフォームに抱きついてくる気持ち悪さは、今でも思い出せる。
カウントはアドバンテージサーバー。ファイナルゲーム。
ボールをコートに軽くついて、息を整える。
落ち着いて、私。
セカンドサーブを入れて、あとは冷静にシュートボールを前衛にぶつければきっと勝てる。
さっきからあの前衛の子は、私のシュートボールに対するボレーのミスを連発して、失点を繰り返している。
このマッチポイントの緊張を利用して、返ってきたボールをそのまま前衛へ叩き込めば勝てる。
とても安直だけど、それがきっと最善手だ。
……私がこのポイントを決めれば、私たちの中学初の全国大会に上がれる。きっとみんな、私を褒めて、先生もきっと認めてくれる。
みんなの熱い視線と沈黙が、私を飲み込む。
視線、視線、歓声。
ボールをふわりと宙に上げる。
ラケットを振ったあと、掠れた音が小さく耳に届く。
あれ。
「フォルト」
私のセカンドサーブはネットに刺さっていた。
それから、私の記憶は焼き切れたように抜け落ちていた。
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「ゲームセット」
記憶が復活したのは、その声が響いた瞬間からだった。
5-7。
私は負けていた。
「い、いや」
すべてが手遅れだった。相手のチームは歓喜の声を上げて抱き合っている。
あんなに熱かった周囲の視線が、敵意めいたどす黒いものに変わった気がした。
血の気が引き、とっさに振り向く。
違うの。みんな、私は。
振り向いて気づいた。
コートの柵の向こうには、誰もいなかった。
中学3年生の夏、あの日のことをよく夢に見る。
レイバースとの実戦を見た次の日、私は契約者との契約を行った。
場所は魔法連合会の本館。結婚式場のように洗練された厳かな建物で、内部は深い沈黙に包まれていた。
どんな魔法が使えるようになるのか、ワクワクして仕方なかった。
魔法を使えれば、私も何者かになることができると思ったから。
ゆうかちゃんやレイナちゃんのように。
私はルツボ先生の指示通りに動いた。静かに手を組み、膝をついて祈る。
そして、ただただ契約者が私のもとに降り、魂が繋がる瞬間を待った。
「足立ヒナ様、お目を開けて大丈夫ですよ」
契約者との契約は問題なく終わったらしい。
特に、何か特別な感覚が芽生えるとか、そんなことはなかった。
もっと言えば、想像していたような、手応えらしいものは何も感じられなかった。
「ヒナッち、おめでとー! これで名実ともに魔法少女だねー」
「う、うん……」
これで私も、ゆうかちゃんやレイナちゃんみたいな特別になれる。
そんな静かな満足感が、私の中に芽生えていた。
契約を終えて、三日間が経過した。
私は魔法が使えるようにはならなかった。
九月の夕暮れ時の校舎内は、生温い風が窓から入り込み、夏はまだ終わっていないのだなと感じた。
エアコンの切れた教室で、私はただ呆然と校庭を眺めていた。
校庭では、ゆうかちゃんとレイナちゃんが、魔法で標的を撃ち抜き、斬り捨てる特訓を繰り返している。
「ご加減はいかがですか、足立ヒナ様」
「先生……」
ぼんやりとした頭のせいで、ルツボ先生の声に少しだけ反応が遅れてしまった。
「お疲れのようでしたので」
いつもの淡々と感情を押し殺したような声に、今は威圧感を覚えてしまう。
「い、いえ。その」
私は気まずさを感じて、黙り込んでしまった。
「あれから、発現しましたか」
私は首を横に振る。
「そうですか」
…………。
「あの、契約者と契約を結んで、魔法が使えなかった方っていますか」
少しだけ間が空いて、ルツボ先生は答えた。
「正直なことを申し上げるのであれば、いらっしゃいませんでした」
「先生、私」
「あなた様には、あなた様の使命があります」
また、それだ。
以前、教卓の前で私に言った台詞だ。
今は、それを聞いても何も感じない。
むしろ、そんなわけないのに、煽りや挑発みたいに、私を追い立てる呪いの言葉にしか思えなかった。
「……魔法の使えない私に、何の使命があるんですか」
私は教室から逃げようとする。
その瞬間、
「緊急警報!! レイバースが三体、一キロ圏内の市街地に出現。直ちに殲滅せよ」
館内放送が鳴り響いた。
心臓がドクンと突き動かされる。
こんな時に……。
「足立ヒナ様」
「分かってます!」
私は逃げられなかった。




