私には荷が重すぎる。
どこにでもある住宅街だった。
アパートと一軒家が並ぶ細い道の真ん中に、それは立っていた。
レイバース――人の憎しみや悲しみなどの負の感情が具現化し、世界に表出した存在。
全身が夜の闇みたいな漆黒で塗り潰され、輪郭だけが異様にはっきりしている。
ついさっき教科書で見たばかりの姿と、寸分違わなかった。
なのに、実物はまるで違う。
産毛が逆立ち、全身に警戒の信号が走る感覚がした。
怖い。
教科書通りなのに、想像よりずっと不気味だ。
「気をつけて、くるよ」
ゆうかちゃんがそう言った瞬間、レイバースが跳ねた。
ゴムみたいな柔らかさで地面を弾き、私たちへ一直線に飛び込んでくる。
速い――!
声も出なかった。
だが、次の瞬間には、その首が宙を舞っていた。
「えっへーん」
得意げに笑うゆうかちゃんの右手には、彼女の身長ほどもあるピンク色の杖が握られている。その杖の先から放たれた光線が、レイバースの首を貫いていた。
光はキラキラと瞬くように揺れ、そのまま消える。
これが、本物の魔法――。
「ヒナッち、これが魔法少女だよ」
振り返ったゆうかちゃんは、まるで自慢のおもちゃを見せるみたいに笑った。
可愛いな、と一瞬思ってしまう。
でも、次の瞬間。背筋が凍った。
ゆうかちゃんの背後には、もう一体レイバースが立っていた。
そして、まさに今、ゆうかちゃんに黒いガラクタの山の一片みたいな歪な形の手を振り下ろそうとしている。
「ゆうかちゃん!!」
私は叫ぶことしかできなかった。
けれど、その巨腕が振り下ろされる前に、レイバースの上半身が空中へ吹き飛んだ。
「集中しろ、ゆうか」
低い声。
何が起きたのか、私の目では追えなかった。
ただ、レイナちゃんが刀を納めている姿を見て、理解する。
一瞬で間合いを詰め、彼女が斬ったのだ。
二つに裂けたレイバースは、黒い塵となって静かに虚空へ溶けていく。
「ゆうか、中距離魔法のお前が真っ先に前に出てどうする。この距離なら、私が最初の一体を切り捨て、遠くにいた奴をお前が消し飛ばしたほうが良いに決まってる」
「えーだって目立ちたいもーん。知ってる?中距離魔法って華がないんだよ。レイナみたいにキリッとした顔で敵を斬り捨てるみたいなことできないから、映えないんだもん」
「魔法を纏った刀を維持したうえに走り回らないといけないこの戦い方が、華やかなものか」
レイバースの黒い残滓を顔に浴び、レイナちゃんの綺麗な顔が煤で汚れたみたいになっていた。本人は、まるで気にしていない。
私は呆然としていた。
頭の奥が、ぎゅっと詰まるような感覚。
綺麗だった。
怖いはずなのに、そう思ってしまった。
そして同時に、はっきり理解する。
私と彼女たちは違う。
住む世界が違う。
その感覚が、胸の奥に静かに沈んでいく。
「――さて、これで分かりましたか?」
いつの間にか、ルツボ先生が私の隣に立っていた。
「これが、魔法少女の戦いです」
「……あの、先生」
「なんでしょう」
「ゆうかちゃんもレイナちゃんも、契約者と契約して魔法を使ってるんですよね?」
「はい。ゆうか様は『白砲の契約者』、レイナ様は『抜刀の契約者』と契約を結んでいます」
契約者――選ばれた少女達に力を与える存在。契約を結ぶことで魂が結びつき、その性質に応じた魔法を扱えるようになる。ゆうかちゃんの光線も、レイナちゃんの斬撃も、その契約者の力が形になったものだ。
しかし、私はその契約者と明日契約することが決まっている。まだ、魔法の使えない普通の人間だ。
つまり――。
「じゃあなんでまだ契約もしてない私を前線に連れてきたんですか!? 見てました!? 今、私、叫ぶことしかできませんでしたよ!?」
こんな危ない場所に、何の力も持ってない私を連れ回すなんて、教師としてどうなんだ!
いやそもそも、15.16の歳の高校生をあんな化け物と戦わせているのもおかしな話だけど。
半分本気で抗議すると、ルツボ先生は静かに答えた。
「命のやり取りを、最初に現場で見る必要があると感じたからです」
ドクンと胸を突かれた感じがする。
「魔法少女になるということは、教室で知識を覚えることではありません。人が傷つき、人が死ぬかもしれない場所に立つことです。その覚悟の有無は、魔法を扱えるか否かとは同義ではないのです」
私は返事ができなかった。
「足立ヒナ様、その覚悟はできましたでしょうか」
ゆうかちゃんが笑顔でレイナちゃんに付いたレイバースの返り血をハンカチで拭いている。勇敢な二人の姿。
「……分かりません」
この日の夜、私は夢を見た。中学3年生の夏、すべてが終わり、決まってしまった日の記憶だ。この夢は焼き付けるように何度も現れる。悪いことが起きる前日に、必ず。




