EP 7
『老人と海』。折れない骨とナイフ
地下数十メートルの危機管理センターに、重金属が激突する凄惨な音が響き渡る。
「……死ねェッ!!」
中国特殊部隊の部隊長が、強化外骨格の人工筋肉から生み出される数百キロの拳を、力武義正めがけて連続で打ち下ろす。
空気を切り裂く風圧。コンクリートの壁が豆腐のように抉られ、鋼鉄の机がひしゃげて宙を舞う。
「……シッ!」
力武は、致命傷となる直撃だけを、紙一重の神速で躱し続けていた。
だが、装甲に覆われた巨体から放たれる『面』の制圧攻撃を、完全に避けることは不可能だった。拳の掠った衝撃波だけで、力武の肋骨がミシミシと悲鳴を上げ、口から鮮血が飛ぶ。
「どうした、ネズミ! 逃げ回るだけか! その果物ナイフで、このチタン合金の装甲が貫けると思っているのか!」
部隊長が嗤いながら、力武を壁際へと追い詰める。
銃弾すら弾き返す絶対的な防御力。それに加え、疲労を知らない機械の暴力。生身の人間が立ち向かうには、あまりにも絶望的な戦力差だった。
ドンッ!!
ついに、外骨格の強烈な蹴りが力武の腹部を捉えた。
凄まじい衝撃。力武の体が宙を舞い、分厚い防爆扉の残骸に叩きつけられる。
「……が、はァッ……!!」
力武の口から、大量の血が吐き出された。肋骨が数本、確実に折れた。内臓が焼け付くように痛み、視界が明滅する。
(……痛ぇな。……息が、できん)
力武は、血の海に沈みかけながら、薄れゆく意識の中で、かつて読んだ『一冊の小説』の一節を思い出していた。
巨大なカジキを釣り上げた老人が、血の匂いに群がる無数のサメたちと、たった一本の銛とナイフで死闘を繰り広げる物語。
——『人間は、殺されるかもしれない。だが、負けるようには作られていない』。
老人の手は血まみれになり、骨が軋み、肉体はボロボロに破壊された。だが、老人の『心』だけは、最後まで決して折れることはなかった。
(……親父。……あんたの言う通りじゃ)
力武の脳裏に、偉大な親父の顔が浮かぶ。
『兵士が真っ先に地獄に浸かって泥水すすって進まんと、後ろにおる国民は守れんのじゃ!』
全身の骨が折れようが、血が尽きようが、関係ない。
自分がここで倒れれば、背後にいる若林が殺され、日本の中枢が完全に崩壊する。そして、暗闇の東京で震える一千万の都民が、中国の奴隷となる。
「……誰が、寝る言うたんなら」
力武は、血まみれの口元を拭い、壁を伝って、ゆっくりと立ち上がった。
その瞳は、限界を迎えた人間のそれではない。地獄の底(泥水)を嬉々として啜る、純度百パーセントの『狂犬』の目だった。
「まだ立つか。……驚異的な精神力だ。だが、物理の法則は覆らない!」
部隊長が、トドメを刺すべく、外骨格の出力を最大にして突進してきた。
顔面を粉砕する、右のストレート。
避けるスペースはない。
だが、力武は避ける気など、最初から微塵もなかった。
「……こいや、鉄屑」
力武は、あえて自らの『左腕』を、その凶悪な鉄拳の軌道上へ差し出した。
——バキィィィィィッ!!!!
肉が潰れ、骨が砕け散る、おぞましい音。
力武の左腕が、外骨格の圧倒的なパワーによって、原型をとどめないほど無惨にへし折られた。
「……ヒィッ!」
背後で見守っていた官僚たちが、あまりの惨状に悲鳴を上げる。
「愚か者が! 腕を犠牲にして死期を延ばしたか!」
部隊長が勝利を確信し、嗤った、その瞬間。
「……アホが。オドレの負けじゃ」
力武は、完全に砕かれた左腕で、敵の巨大な鉄拳を『抱え込む』ようにして、絶対に逃げられないようロックしていた。
腕を犠牲にした防御ではない。敵の機動力を殺し、距離を完全に『ゼロ』にするための、肉を斬らせて骨を断つ、狂気の罠。
「な……離せッ!!」
部隊長が焦り、腕を引き抜こうとするが、力武は砕けた腕の痛覚を完全にシャットアウトし、悪鬼のような力で敵を拘束したまま、一歩踏み込んだ。
「装甲が分厚いなら、装甲の『継ぎ目』を狙うまでじゃ」
力武の右手に握られた、漆黒のコンバットナイフ。
外骨格の首元。ヘルメットと胴体の装甲が連結する、わずか一センチにも満たない『可動域の隙間』。
「地獄の底で、詫び入れてこいやァッ!!!!」
ザシュゥゥゥゥッ!!!!
力武の全体重と、狂気のすべてを乗せた右腕のナイフが、外骨格の装甲の隙間を完璧にすり抜け、部隊長の頸動脈から脳幹までを深々と貫いた。
「が、ぁ……あ…………」
部隊長の目が大きく見開き、ヘルメットの内側に大量の鮮血が噴き出す。
強化外骨格の人工筋肉が痙攣を起こし、ガシャリ、と重い音を立てて、その巨大な鉄の塊は、危機管理センターの床に崩れ落ちた。
静寂。
周囲のレンジャー隊員たちも、中国の残党兵たちも、目の前で起きた『生身の人間が外骨格を殺す』というあり得ない光景に、呼吸すら忘れて凍りついていた。
「……ふぅ」
力武は、敵の首からナイフを引き抜くと、プラプラになった左腕を押さえながら、血まみれの顔で若林の方を振り返った。
「……幹事長。ネズミの駆除、完了じゃ」
ニヤリと、血のついた歯を見せて嗤う若き獅子。
「……フッ。ハハハハッ」
若林は、咥えていたピースの灰を落とし、腹の底から笑った。
「まったく。……真一といい、お前といい、日本の自衛隊には、ヤクザしかおらんのか」
若林は、力武の流した血で赤く染まった危機管理センターの床を見つめ、静かに立ち上がった。
「お見事だ、力武1尉。お前のその『折れない骨』が、日本の中枢(首)を繋ぎ止めた。……これより、反撃に転じるぞ」
その頃。地上では。
力武が命を懸けて時間を稼いだことで、鷹人と蘭が構築した『アナログ・ネットワーク』が、ついに暗闇の東京を完全に覆い尽くそうとしていた。
血塗られた首都防衛戦は、反撃の狼煙を上げる。




