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EP 8

アナログ・ネットワークの逆襲

 東京都新宿区、市谷付近。

 坂上鷹人が『地域経済圏(要塞)』の防衛本部として使っている、元区民センターの広い会議室。

 電子の光が完全に消え失せたその部屋は今、数十本のロウソクの火と、ランタンの灯りに照らされ、異様な熱気と喧騒に包まれていた。

「……第十四ブロックの伝令(自転車部隊)、戻りました! 千代田区方面から、武装した男たち十数名が、西へ向けて移動中とのこと!」

「よーし。その情報を、有線の黒電話で新宿御苑の第七警戒所に回せ! 『パケット通信(伝令)』のタイムラグは現在七分。……計算通りだよ」

 巨大な東京の紙の地図が広げられた机の前に立ち、チェスのコマのような木片を次々と動かしているのは、早乙女蘭だった。

 専用コンソールも、モニターも、キーボードもない。

 だが、その頭脳(CPU)は、かつて出雲のCICで中国艦隊をハッキングしていた時と全く同じ、いや、それ以上のフル回転で稼働していた。

「……信じられないな。伝令の走る速度と、黒電話の交換機のタイムラグまで計算に入れて、敵の『現在位置』を完全に予測しているのか」

 傍らで地図を覗き込んでいた鷹人が、感嘆の息を漏らした。

 EMPによってデジタル機器が全滅した東京。

 鷹人は、物々交換のレートを維持するため、自前で自転車の伝令網と、旧式の有線電話(黒電話)網を町内に張り巡らせていた。

 蘭は、その『アナログなインフラ』を、自らの頭脳の中で一つの巨大な『情報処理システム』として最適化ハッキングしたのだ。

「システムってのはね、電子回路シリコンじゃなくても組めるの。……伝令の人間一人を一つの『データパケット』に見立てて、ルーティング(経路選択)のアルゴリズムを最適化すれば、情報の渋滞は起きない」

 蘭は、ポケットから取り出した『氷砂糖』を奥歯でガリッと噛み砕き、冷徹な目で地図を睨んだ。

「鷹人の作ったこのアナログ・ネットワーク……最高だよ。EMPが落ちて、中国の便衣兵ネズミどもは『自分たちも目隠しをされたが、日本側も目隠しをされている』って油断してる。……そこを、一方的に狩る」

     * * *

 同じ頃。千代田区と新宿区の境界付近。

 闇夜に紛れて破壊工作を進めていた、中国軍の工作員(便衣兵)の小隊は、完全なパニックに陥っていた。

「……くそッ! なぜだ! なぜ我々の行く先々に、日本の自衛隊が待ち伏せている!」

 工作員の一人が、物陰に隠れながら暗闇に向かって毒づいた。

 彼らは、EMP下での隠密行動を前提とし、徹底的な事前のルート工作を行っていた。通信が使えない以上、日本側が自分たちの動きをリアルタイムで捕捉し、組織的に迎撃してくるなど、物理的にあり得ないはずなのだ。

 だが、現実は違った。

 彼らが交差点を曲がろうとすれば、ビルの上から正確な狙撃が降り注ぐ。

 退却しようと路地裏へ逃げ込めば、そこにはすでに、鷹人の手配した民兵たちが有刺鉄線のバリケードを築いて待ち構えている。

「退路がありません! まるで、我々の頭上に『見えない監視カメラ』があるようですッ!」

「監視カメラだと? バカなことを言うな! 電子機器はすべて死んでいるんだぞ!」

 部隊長が叫んだ、その瞬間。

 ——リンリンリンリンッ!!

 彼らの隠れていた廃ビルのすぐ横の電柱に括り付けられていた、古びた黒電話が、けたたましいベルの音を鳴らした。

 ビクッとして工作員たちが銃口を向ける。

 ガチャリ、と、暗闇の中から歩み出てきた大柄な男が、その受話器を拾い上げた。

 坂上真一だった。

「……おう、蘭。こっちの猟場に、まるまる太ったネズミが五、六匹追い込まれてきたぜ」

 坂上は、受話器越しに蘭の報告を聞きながら、獰猛なヤクザの笑みを浮かべた。

「……情報通りだ。よくやった。……あとは、俺たち『掃除屋』の仕事だ」

 坂上が受話器を置くと同時に、彼を取り囲むように、暗闇から無数の銃口が一斉に工作員たちに向けられた。

 怒りに燃える自衛隊員たちと、鷹人の指揮下にある武装した民兵たち。

「な……貴様ら、どうやって我々の動きを……!」

「泥沼の喧嘩の仕方を教えてやるよ、中国の坊ちゃん方」

 坂上が、手にしたトカレフのスライドをガチャリと引く。

「電子の目ぇ潰したくらいで、俺たちの『意地』まで潰せると思うなよ。……テメエらは今、東京って名の、世界で一番デカい『蜘蛛の巣』のど真ん中に捕まってんだ」

 乾いた銃声が、暗闇の東京に木霊こだまする。

 最新の暗視ゴーグルと武器を持ったエリート工作員たちが、伝令と黒電話という究極のアナログ情報の前に、一切の抵抗もできずに次々と蜂の巣にされていった。

     * * *

 防衛本部。

 蘭の地図から、敵を示す赤いコマが、また一つ取り除かれた。

 これで、都内に潜伏していた便衣兵の部隊の八割が、完全に分断・孤立・殲滅されたことになる。

「……チェックメイト」

 蘭は、小さく息を吐き、地図の上に置かれた最後の氷砂糖を口に放り込んだ。

「……すげえな。電子機器チートがなくても、お前は本当に天才だ」

 鷹人が、心底からの感嘆を込めて蘭を見た。

「天才じゃないよ」

 蘭は、少しだけ寂しそうに微笑んだ。

「……ただ、このシステム(盤面)の裏には、命懸けで自転車を漕いで伝令を繋いでくれたおっちゃん達や、血を流して敵を足止めしてくれた自衛隊の人たちがいる。……私は、彼らのデータを、無駄にしないように並べ替えただけ」

 かつて、数字と効率だけを見ていた天才ハッカーの少女。

 だが、仲間(ゲリラトラックの運転手や、雪之丞)の死を背負った彼女は今、その情報の裏にある『人間の血の重さ』を誰よりも理解し、その上で冷徹に盤面を支配する、真の戦術家ストラテジストへと成長を遂げていた。

「さあ、残るは数箇所の大規模な占拠施設だけだ」

 鷹人が、地図の新宿エリアを指差す。

「そこには、官邸を守り抜いたあの『狂犬(力武1尉)』の部隊が向かっている。……父さんと俺たちで、奴に最高の獲物パスを回してやろう」

 デジタルのチートを失った絶望の都市は、鷹人と蘭の知略、そして坂上の統率力によって、完全に日本側の『狩り場』へと反転した。

 残る便衣兵の残党を狩り尽くすため、血に飢えた力武義正が、東京の泥沼の奥深くへと歩みを進めていく。

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