EP 3
コンクリートの死角と、修羅の刃
東京都新宿区、地下鉄大江戸線の大深度地下空間。
EMPによってすべての動力が停止し、絶対の暗闇に沈んだコンクリートの迷宮を、緑色の視界が不気味に蠢いていた。
沈提督が放った中国人民解放軍・特殊作戦部隊。
彼らはすでに、この地下空間に繋がる重要な通信ケーブルのハブ施設と、大規模な地下調整池を制圧していた。最新鋭の四眼式暗視ゴーグルとサプレッサー付きの短機関銃を装備し、出入り口という出入り口にセンサーと機関銃座を配置したその陣形は、まさに難攻不落の要塞だった。
「……日本軍の残党が接近しているという情報がある。暗視装置の優位はこちらにある。通路に入り込んだ瞬間、十字砲火でハチの巣にしろ」
部隊長が、ハンドサインと微弱な近距離無線で部下たちに命じる。
彼らは完璧な『待ち伏せ(アンブッシュ)』を敷いていた。……はずだった。
「……配置、完了しました」
部隊長の頭上、数十メートルの暗闇。
換気用の巨大なダクト網の中に潜んでいた陸上自衛隊・第一小隊の隊員が、有線ケーブルを通した旧式の野戦電話で、静かに報告を入れた。
「よし。各班、そのまま待機」
暗闇の通路の角に身を潜めた力武義正は、冷たく、そして極めて理知的な声で命じた。
敵は、通路(平面)からの接近しか想定していない。
ならば、こちらは三次元の地形を使い、敵をさらに外側から『包囲』する。
地下鉄の通風孔、排水管、そして保守用のキャットウォーク。力武は、東京の複雑怪奇なコンクリートの構造を完璧に把握し、部隊を細かく分割して敵の『待ち伏せ陣地』そのものを、さらに外側から完全に包み込むように配置していた。
(敵は自らの陣地を堅固だと信じている。だが、囲い込まれていることに気づかない陣地ほど、脆いものはない)
力武は、手にした発煙筒のピンを抜いた。
「——作戦開始。……狩れ」
その冷徹な標準語の命令を合図に、暗闇の地下空間が突如として爆音と閃光に包まれた。
ドガァァァァンッ!!
力武たちが投げ込んだのは、旧式の閃光手榴弾と発煙筒。
EMPで電子機器が死んでいる中、暗視ゴーグル(微弱な光を増幅する装置)に頼り切っていた中国特殊部隊にとって、至近距離での強烈な閃光は、文字通り『視神経を焼かれるほどの目潰し』となった。
「ぐぁッ!? 目が……!」
「上だ! 上から撃ってきているぞッ!」
暗視ゴーグルを外して悶絶する敵へ向け、頭上のダクトや背後の通路から、レンジャー小隊の容赦ない一斉射撃が降り注ぐ。
完璧な包囲殲滅戦。力武の描いた戦術は、圧倒的なエリート特殊部隊を、いとも容易くパニックへと陥れた。
だが、相手も腐ってもトップエリートだ。
即座に態勢を立て直し、暗闇の中をマズルフラッシュ(発砲炎)だけを頼りに、凄まじい精度で反撃を開始した。
パパパンッ!!
「がはッ……!」
通路を前進しようとした佐藤陸士長の右肩を、敵の銃弾が貫いた。
防弾チョッキの隙間を縫うような、精密な射撃。佐藤が血を吹き出しながらコンクリートの床に倒れ込む。
「佐藤ッ!! くそ、敵の制圧射撃が激しい! 前に出られません!」
他の隊員たちが、壁に張り付きながら叫ぶ。
敵の部隊長が機関銃を構え、力武たちのいる通路へ向けて弾幕を張っていた。
「……」
倒れた佐藤から流れる血の匂いが、地下の冷たい空気に混ざった、その瞬間。
力武義正の中で、何かが『ブチッ』と音を立てて千切れた。
理知的な防大エリートの仮面が砕け散る。
小銃(89式)を背中に回し、太もものホルスターから漆黒のコンバットナイフを引き抜く。その刃を逆手に構えた力武の瞳は、完全に『人間のそれ』ではなくなっていた。
「……オドレら」
低く、地を這うような岡山弁が、銃声の合間に響いた。
隊員たちが息を呑む。彼らの知る冷静な指揮官の姿は、そこにはない。
「ええ度胸じゃ。……うちの若いモンに、何さらしとんじゃボケェッ!!」
弾幕が降り注ぐ通路へ、力武が飛び出した。
自殺行為に見えた。だが、彼の動きは異常だった。
姿勢を極限まで低く落とし、コンクリートの壁を蹴り、敵の銃口が向く『わずか一瞬前』の死角へ、死角へと滑り込むように移動していく。
それは、飛んでくる矢を躱すのではなく、射手が矢を放つ前の『起こり(気配)』を読んで間合いを詰める、古流剣術の達人のような神速の歩法。
「な、なんだアイツは!? 撃て、撃ち殺せッ!」
中国兵が悲鳴のように叫び、銃口を向ける。
だが、その時にはすでに、力武は敵の懐(ゼロ距離)に潜り込んでいた。
「ハジキのタマなんぞ、当たらんかったらただの豆鉄砲じゃァ!」
ザシュッ!!
力武の逆手に持ったナイフが、中国兵の頸動脈を正確に掻き切った。
血飛沫が舞う中、力武は倒れゆく敵の体を『盾』にしながら、もう一人の敵の顎下へ小銃のストックをフルスイングで叩き込む。
ゴキィッという嫌な音が響き、二人目が吹き飛ぶ。
「ヒッ……! ば、化物……ッ!」
残った敵部隊長が、恐怖で顔を引き攣らせながらサブマシンガンを乱射する。
「遅ぇんじゃ」
力武は、飛んでくる銃弾の軌道を完全に見切ったかのように、首をわずかに傾けて躱した。
そして、一歩で五メートルの間合いをゼロに潰し、敵の銃身を左手で強引に弾き飛ばす。空いた右手のナイフが、下から上へ、敵部隊長の分厚い防弾チョッキの隙間——脇の下の急所へ深々と突き刺さった。
「が、はッ……あ……」
「……東京の泥の味、しっかり噛み締めとけや」
力武が冷酷にナイフを引き抜くと、エリート特殊部隊の隊長は、白目を剥いてコンクリートの床に崩れ落ちた。
静寂。
わずか数十秒の間に、陣地に残っていた敵兵五人が、力武たった一人の近接格闘(CQB)によって血の海に沈んでいた。
「……」
壁の陰で震えていたレンジャー隊員たちは、その圧倒的な、あまりにも凄惨な暴力(野性)を前に、言葉を失っていた。
頭脳で敵を包み込み、最後は己の肉体と狂気で敵の息の根を止める。
これこそが、力武義正の真の姿。親父の呪いを乗り越え、自ら進んで『地獄』へと足を踏み入れた男の戦い方だった。
「……1尉」
肩を押さえた佐藤が、痛みに顔を歪めながら立ち上がった。
「……佐藤。傷は深いか」
力武は、ナイフの血を敵の軍服で拭いながら、ゆっくりと振り返った。その声は、いつもの冷静な『標準語』に戻っていた。
「い、いえ、貫通しています。動けます」
「そうか。すぐに応急処置をしろ。……他の班も、残党を掃討しつつ、次の区画へ前進するぞ」
力武は、暗闇の地下空間のさらに奥——地上への階段の方角を見据えた。
「敵の別働隊が、地上で暴れているはずだ。……俺たちの『掃除』は、まだ始まったばかりだぞ」
EMPでブラックアウトした東京。
警察が消え、ルールが崩壊したコンクリートのジャングルで、最強の『理知と狂気』を宿したレンジャー部隊の狩りが、いよいよ本格的に幕を開けた。




