第四章 コンクリートのガリア戦記〜防大卒の料理人(レンジャー)と、EMP暗黒都市の市街戦〜
防大卒の料理番と、親父の呪い
第三次世界大戦の開戦から約一ヶ月間。
海と空が華々しく、そして凄惨に血を流し合っているその裏側で。陸上自衛隊は、ひたすらに『泥』にまみれていた。
東京都・練馬駐屯地。
第一師団の拠点であるこの場所は、連日降り注ぐミサイル攻撃の余波と、ハイパーインフレによって暴徒化した市民の対応によって、野戦病院のような凄惨な空気に包まれていた。
彼らの任務は、撃ち合うことではない。瓦礫をどかし、陣地(塹壕)を掘り、押し寄せる暴徒から重要インフラを『盾』となって守り抜くこと。発砲許可など下りるはずもなく、ただひたすらに投石と罵声を浴びながら、泥水すするような消耗戦を強いられていたのだ。
「……あー、クソ。またレーション(戦闘糧食)の白飯と、味気ねえ缶詰か。俺たち、いつまでこんな穴掘りとサンドバッグの生活続けるんすかね」
薄暗い天幕の下。
泥だらけの迷彩服を着た若い陸士長が、配給されたレトルトパックを放り投げ、深くため息をついた。周囲の隊員たちも、死んだ魚のような目をしている。
「愚痴をこぼすな、佐藤。カエサルも『ガリア戦記』の中で言っている。『人は自ら望むものを信じたがる』とな。楽な展開を望めば、心が隙だらけになるぞ」
天幕の入り口をくぐり、一人の青年幹部が現れた。
力武義正、25歳。1等陸尉。
防衛大学校を優秀な成績で卒業し、若くして幹部となり、さらには陸自最難関の『レンジャー訓練』をも突破した、第一師団が誇る超エリートである。
泥にまみれながらも背筋は真っ直ぐに伸び、その理知的な双眸は、過酷な疲労の中でも決して光を失っていなかった。
「力武1尉……。でも、海自や空自の連中は、太平洋でミサイル撃ち合ってド派手に国を守ってるじゃないですか。それに比べて、俺たち陸のレンジャー部隊が、ただの穴掘り土方ですか」
「前線が派手に見えるのは錯覚だ。……貸せ」
力武は標準語で淡々と諭しながら、腕まくりをして、佐藤の放り投げたレーションと、備蓄の乾燥野菜、そして配給の粗末な豚肉の缶詰を手に取った。
彼はエリート幹部でありながら、部隊内で最も『包丁さばき』に長けている男だった。
「いいか。『呉子』にもある通り、兵の士気は食事からだ。限られた物資でも、工夫一つで『極上の野戦食』に変わる」
力武は携帯用のバーナーに火をつけ、飯盒に油を引き、手際よく豚肉の脂を溶かし出した。そこへ乾燥野菜と少量の水を加え、絶妙な火加減で炒め煮にしていく。
ただの冷たい缶詰が、力武の手にかかると、途端に食欲をそそる香ばしい匂いを放ち始めた。さらに彼は、隠し味として自身の私物である『特製スパイス』を振りかける。
「……うおっ、すげえ匂い……!」
死んだような目をしていた隊員たちが、ゴクリと唾を飲み込み、力武の周りに集まってきた。
「食え。腹を空かせたままでは、いざという時に『宮本武蔵』のように動けんぞ」
力武が飯盒を差し出すと、隊員たちは無言でがっつき始めた。粗末な配給品とは信じられないほどの、濃厚で深い味わいが、彼らの疲弊した心と胃袋に染み渡っていく。
「う、うめえ……! 1尉、なんでこんなに料理上手いんすか?」
「……親父の仕込みだ。俺の親父は、そういう男だった」
力武は、短くそれだけ答え、天幕の外へ出た。
冷たい秋の風が吹く駐屯地の片隅。彼は一人、暗い空を見上げながら、軍服のポケットに忍ばせていた文庫本——ヘミングウェイの『老人と海』の表紙を無意識に撫でた。
(海や空が、ド派手に国を守っている、か……)
力武の脳裏に、自身の『偉大な父親』の顔が浮かんだ。
防大に入り、レンジャー徽章を取り、エリートコースを歩む自分に対し、親父は決して手放しで褒めることはなかった。
実家に帰省した際、酒を飲みながら親父が吐き捨てた言葉。それは、今でも力武の胸に、呪いのように深く突き刺さっている。
『——義正。オドレはまだ、地獄に浸かっとらん。ただの“お利口な半人前”じゃ』
親父の目は、本物の修羅場をくぐり抜けた者だけが持つ、底知れぬ凄みを帯びていた。
『ええか。マニュアル通りの訓練で満足しとるようじゃ、本当に国が燃えた時に何もできん。国民に地獄を見せる気か? ……兵士が真っ先に地獄に浸かって泥水すすって進まんと、後ろにおる国民は守れんのじゃ!』
岡山弁で怒鳴り散らした親父の顔。
そして今、東京の空は真っ黒に澱み、何万もの国民が飢えと恐怖の地獄に泣き叫んでいる。
「……親父。あんたの言う通りだ」
力武は、一人暗闇の中で、ギリッと奥歯を噛み締めた。
理知的な『標準語』の仮面の下で、彼の腹の底に眠る野性(闘争本能)が、マグマのようにグツグツと煮え滾り始めていた。
「……出雲の坂上だか何だか知らんが、海の上でドンパチやって満足しとる場合じゃねえぞ。……戦争の最後を決めるのは、いつの時代も陸の上じゃ」
力武の瞳に、ギラリとした凶暴な光が宿る。
「……オドレら、早う陸まで来い、中国軍。……東京の泥の味がどんだけ苦いか、俺が骨の髄まで教えたるわ……ボケェッ」
防大卒のエリートにして、理知の皮を被った陸の狂犬。
彼がその『岡山弁』の牙を剥き出しにした時、陸上自衛隊の真の反撃が始まるのだ。
その数日後。
太平洋で『出雲』が中国空母へ激突した裏側で、日本の空で非核EMP(電磁パルス)弾頭が炸裂した。
電子の光が完全に消滅し、漆黒の闇に包まれた東京。
その暗闇の底で、力武義正が待ち望んでいた『地獄』が、ついにその重い蓋を開けようとしていた。




