EP 8
出雲大破。ヤクザ将軍の「最後の突撃」
太平洋は、沸騰していた。
アメリカ第七艦隊と中国主力艦隊が放つ、数千発のミサイルが空で交差し、撃ち落とされた残骸と炎が、叩きつけるような雨と共に海面へ降り注いでいる。
その阿鼻叫喚の血の海のど真ん中を、満身創痍の護衛艦『出雲』は、ただひたすらに前進し続けていた。
「左舷から対艦ミサイル(YJ-18)、三発来ますッ!!」
見張り員として双眼鏡を覗いていた早乙女蘭が、喉が裂けんばかりに叫んだ。
「面舵一杯! 手動CIWS、撃ち方ァッ!!」
坂上真一の怒号。しかし、電子制御を失った手動の機銃掃射では、海面スレスレを亜音速で這い寄る三発のミサイルを全て叩き落とすことは不可能だった。
——ズドガァァァァァァァァァンッ!!!!
二発のミサイルが、出雲の右舷中央部と、広大な飛行甲板に直撃した。
今までとは比較にならない、致命的な大爆発。
艦橋の分厚い防弾ガラスが粉々に吹き飛び、坂上や蘭の体を、ガラス片と爆風が容赦なく切り裂いた。
「がはッ……!」
坂上が血を吐きながら床に倒れ込む。
耳をつんざくような金属の断末魔。出雲の象徴であった平らな飛行甲板が、飴細工のようにひしゃげ、真っ二つにへし折れて崩落していく。
格納庫から吹き上がる数百メートルの火柱が、鉛色の空を焦がした。
「……ひ、被害報告ッ! 第三、第四機関室、完全に浸水! 飛行甲板崩壊! ……だ、駄目です! 本艦はこれ以上の航行を維持できません! 沈みますッ!!」
頭から血を流した副長が、泣き叫ぶように報告した。
「……総員、退艦命令を……! 司令、これ以上は無駄死にですッ!」
副長の言葉は正しい。現代の海戦において、足と目を奪われたフネは、ただの鉄の棺桶だ。
だが。
床に倒れ伏していた坂上真一は、ガラスの刺さった腕を震わせながら、ゆっくりと立ち上がった。
「……退艦だァ? ふざけるな。……俺たちはまだ、敵のド頭をカチ割ってねえぞ」
制服の上着は爆風で吹き飛び、上半身は半裸になっていた。
その背中に彫り込まれた『仁王像』の刺青が、全身から流れる血を浴びて、まるで地獄の業火をまとって生きているかのように、不気味に、そして猛々しく浮かび上がっていた。
「司令……正気ですか! ミサイルも撃てず、沈みかけているこの船で、どうやって戦うって言うんですか!」
「弾ならあるだろうが。……この『二万トンの鉄の塊』がな」
坂上は、血まみれの顔で、獰猛な牙を剥いた。
「……操舵手。残ったすべての動力を、スクリューに回せ。……目標、正面にデカデカと浮かんでる中国空母『福建』。……このまま全速力で、敵のドテッ腹に突っ込むぞ」
CICが凍りついた。
それは『特攻』——軍事用語で言えば『衝角攻撃(ラム戦法)』。
大砲が主流になる前の、古代のガレー船がやっていた「船ごとぶつけて敵を沈める」という、狂気と野蛮の極致だった。
「おっちゃん……」
蘭が、血まみれの顔で坂上を見上げた。震える彼女の手を、坂上の分厚く温かい手が、力強く握りしめた。
「怖えか、蘭。……退艦してもいいぞ。ボートならまだ……」
「……馬鹿にしないでよ」
蘭は、坂上の手を強く握り返し、血と煤で汚れた顔で、ニヤリと笑った。
「私、甘いものはもう食べないって決めたの。……おっちゃんの特攻、特等席で見届けてあげる」
「……ハハッ。いい女になったじゃねえか」
坂上は前を向いた。
「総員に告ぐ。……これより本艦は、中国空母『福建』に対し、ラム(特攻)を敢行する。……退艦したい奴は今すぐ海へ飛べ! 俺と地獄まで付き合うバカは、歯を食いしばってフネにしがみついてろォォッ!!」
出雲の残存クルーから、退艦する者は一人もいなかった。
彼らは無言で、手すりにしがみつき、持ち場を死守した。
グォォォォォォォォォンッ!!
半ば沈みかけ、炎に包まれた出雲の巨体が、最後の命を燃やすように悲鳴を上げながら、猛烈なスピードで中国空母『福建』へ向けて突進を開始した。
* * *
「な……なんだ、あのフネは……!?」
中国空母『福建』の戦略指揮所。
沈威提督は、防弾ガラス越しに迫り来る巨大な火ダルマ(出雲)を見て、初めてその冷徹な仮面に『戦慄』の色を浮かべた。
「ば、馬鹿な! ミサイルも撃てず、沈みかけているはずだ! なぜ真っ直ぐに本艦へ向かってくる!?」
「て、提督! 日本の護衛艦、本艦へ向けて激突コースに入りました! 止まりませんッ!」
「激突だと!? 現代の海戦で、自爆テロのような真似を……狂っている! 日本人は、狂人の集まりかッ!!」
天才・沈威の完璧な『合理性の計算式』の中に、二万トンの護衛艦そのものを砲弾としてぶち込んでくるというアルゴリズムは、存在していなかった。
巨大な質量がぶつかれば、いかに最新鋭の電磁カタパルトを誇る空母であろうと、真っ二つにへし折られる。
「沈めろ!! 本艦のありったけの火器で、あの狂犬を沈めろォォッ!!」
沈が、冷静さを失い、唾を飛ばして絶叫した。
空母『福建』の護衛についていた中国のイージス駆逐艦たちが、一斉に出雲へ向けて砲門を開いた。
出雲の周囲に、無数の水柱が上がり、甲板の上が文字通り火の海になる。
(……届くか。……あと、三千メートル……!)
坂上が、燃え盛る艦橋で血を吐きながら、仁王の背中を限界まで張って立ち続ける。
だが、その時。
『——提督! 我が空母航空団のステルス戦闘機(J-20)部隊が、上空に到着しました!』
「よし! 上から対艦ミサイルで、あの護衛艦の息の根を完全に止めろ!!」
出雲の頭上の雲を切り裂き、中国が誇る最新鋭ステルス戦闘機『殲20(J-20)』の編隊が、死神のように降下してきた。
ラム(激突)が届く前に、空からのミサイルで出雲は完全に海の底へ沈められる。
万事休す。
「……ここまでか」
坂上が、血走った目で天を仰いだ、その瞬間だった。
——キュイィィィィィィィンッ!!!!
中国のJ-20編隊の真横から、信じられない軌道(機動)を描いて、一機の戦闘機が突っ込んできた。
ボロボロになり、ミサイルも撃ち尽くした、航空自衛隊のF-35B。
パイロットは——平上雪之丞。
『……おっさん。……俺のサボり場所(出雲)を、勝手に沈めようとすんじゃねえよ』
通信機越しに響いた雪之丞の声は、すでに人間の限界を超え、喉から血が噴き出しているような凄絶な音だった。
出雲を守るため、空の天才が、自らの命を燃やし尽くす『最後の変態機動』に突入しようとしていた。




