EP 6
沈提督のチェックメイト(絶対封鎖の完成)
中国海軍・空母『福建』の戦略指揮所。
成層圏から降り注いだ『自爆気球』の雨によって、封鎖艦隊の一部は無惨な姿を晒していた。甲板が焼け焦げ、レーダーがひしゃげた駆逐艦たちが、黒煙を上げながら海面を漂っている。
しかし、沈威提督の顔には、微塵の焦りもなかった。
「……気象データ、解析完了。気球の飛行ルート(偏西風の軌道)を完全に割り出しました」
情報将校の報告に、沈は冷たく頷いた。
「所詮は『風任せ』のオモチャだ。風の通り道さえ読めば、ただの空飛ぶゴミに過ぎない。全艦隊、偏西風のルートから五十海里南へ退避し、陣形を再編しろ。……これで気球はすべて海の藻屑だ」
沈の冷徹な判断により、中国主力艦隊は被害を最小限に抑え、再び強固な『絶対封鎖線(鳥籠)』を構築し直していた。
彼は、タブレットの画面に映る日本列島の形を、まるで不快な害虫でも見るかのように見下ろした。
「日本の抵抗は、極めて論理的で厄介だった。町工場でドローンを作り、民間ネットワークで統制し、民間のトラックから撃ち出す。……国家全体が一つの『非中央集権型の軍事システム』と化している」
沈は、傍らの参謀へ冷酷な視線を向けた。
「だが、いかに分散化されていようと、その全てを繋ぐ『神経(通信)』を焼き切ってしまえば、システムは死ぬ。……第二砲兵部隊へ伝達。日本本土上空、および出雲艦隊の直上へ向けて、『非核EMP(電磁パルス)弾頭』を搭載した中距離弾道ミサイルを発射しろ」
「E、EMPですか!? しかし、非核とはいえ、日本列島の広範囲に照射すれば、民間のインフラまで完全に……」
「今更何をためらう? 高速道路を物理的に破壊した時点で、民間も軍事も境界線は消え去っている。息の根を止めろ」
沈の宣告は、絶対であった。
数分後。中国大陸の奥地から、特殊な弾頭を搭載した数発の弾道ミサイルが、宇宙空間へ向けて打ち上げられた。
* * *
太平洋上、夜明けの海を突き進む護衛艦『出雲』。
Z旗を翻し、AUKUS連合艦隊との合流地点へ向かう坂上真一の艦隊に、凄まじい絶望が音もなく降り注いだ。
——ピカァァァァァァァァァッ!!
上空数十キロの成層圏で、強烈な閃光が走った。爆音はない。
しかし、その直後。
出雲のCIC(戦闘指揮所)を、目に見えない強烈な『衝撃波(高出力マイクロ波)』が襲った。
「キャァァァァッ!?」
早乙女蘭が悲鳴を上げた。
彼女の命より大切にしていた漆黒の専用コンソールから、バチバチッと激しい火花が散り、白煙が吹き上がったのだ。
それだけではない。
出雲のメインスクリーン、レーダー画面、ソナー、そして照明に至るまで。電子基板を搭載したすべての機器が一瞬にしてブラックアウト(完全停止)した。
CICは、完全な暗闇と沈黙に包まれた。
「な……何が起きた! 電源喪失か!?」
坂上が暗闇の中で怒号を飛ばす。
「……駄目、おっちゃん……。再起動しない……基板が、中身ごと完全に焼き切られてる……っ!」
蘭が、煙を上げるキーボードを必死に叩きながら、絶望的な声を絞り出した。
「EMP(電磁パルス)攻撃だよ! 敵のミサイルが上空で炸裂して、強烈な電磁波でこの海域の電子機器を全部壊したんだ! ……通信も、レーダーも、GPSも……全部死んだ!」
それは、天才ハッカー早乙女蘭の『死』を意味していた。
ドローンを操ることも、敵をハッキングすることも、彼女の武器である『計算式』のすべてが、この一撃で完全に無力化されたのだ。
「……市ヶ谷(若林)との通信は!」
「繋がらない! というか、日本本土にもEMPが落ちてたら……日本中の町工場も、ドローン工場も、全部機能停止してるはずだよ……!」
日本という『軍需工場システム』を支えていた電子の神経が、中国の冷徹な一撃によって完全に切断された。
沈提督の『チェックメイト』。
ゲリラ戦術を封じられ、目隠しをされた状態で、太平洋の真ん中に放り出されたのだ。
* * *
同じ頃、東京都内・坂上邸。
復旧したばかりの冷蔵庫の駆動音が、再びプツリと途絶えた。
電池式のラジオすら、ノイズ一つ発しなくなった。
「……EMP攻撃ね」
恵は、暗闇の中で静かに呟いた。元銀行員の彼女は、これが単なる停電ではなく、情報インフラの完全な死滅であることを即座に理解した。
「母さんのルールも、政府の配給も、もう完全に機能しなくなるってことか」
鷹人が、金属バットを強く握りしめる。
窓の外では、完全に光を失った東京の街から、かつてない規模の暴徒たちの怒号と悲鳴が、獣の咆哮のように響き始めていた。
* * *
出雲CIC。
非常用バッテリーによる薄暗い赤色灯だけが、絶望に暮れるクルーたちの顔を照らしていた。
「……レーダーも通信も使えない。これじゃ、敵がどこにいるかも分からないし、ミサイルを撃つこともできません……! 我々は、ただの巨大な鉄の的です……っ!」
副長が、血の気の引いた顔で叫んだ。
最新鋭のイージス艦も、護衛艦も、電子の目が潰れれば、第二次世界大戦の戦艦以下の鈍重な船になり下がる。
蘭はコンソールの残骸の前に崩れ落ち、震える両手で顔を覆った。
「……ごめん、おっちゃん……。私の、負けだ……。もう、何もできない……」
だが。
坂上真一は、暗闇の中で、獰猛な牙を剥き出しにして笑っていた。
「……ハハッ。……面白えじゃねえか」
「お、おっちゃん……?」
「電子のオモチャが壊れたくらいで、喧嘩に負けたツラすんじゃねえよ」
坂上は、副長の胸ぐらを掴み、その耳元で吠えた。
「レーダーが死んだなら、甲板に『見張り員』を立たせろ! 肉眼と双眼鏡で敵の艦影を探せ! 通信が死んだなら、発光信号と手旗信号で艦隊の意思を統一しろ!」
それは、ハイテク装備に依存しきっていた現代の海自幹部たちにとって、あまりにも野蛮で、狂気じみた命令だった。
「……ミサイルの誘導ができないなら、どうする気ですか!?」
「決まってんだろ」
坂上は、薄暗い赤色灯に照らされながら、胸元の制服を引きちぎるように開いた。
そこに彫られた『仁王像』が、まるで血を浴びたように赤く浮かび上がっている。
「ミサイルが外れねえ距離……敵の喉笛に噛みつける『至近距離』まで、この鉄の塊を直接突っ込ませる。……野性の喧嘩だ。沈の坊ちゃんに、昭和のヤクザの死に様を教えてやる」
太平洋ミッドウェー。
チート(電子戦)の衣を完全に剥ぎ取られた日米の連合艦隊は、己の血と肉、そして鉄の質量だけを武器に、圧倒的な中国主力艦隊との『血塗られた殴り合い』へと突き進んでいく。




