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EP 5

燃え落ちる銀行ルールと、決死のZ旗

 2027年10月。

 深夜の東京都内。高層マンションの窓から南西の方角を見渡すと、夜空が不気味な赤色に染まっていた。

 夕焼けではない。それは数十キロ離れた神奈川や静岡で、日本の大動脈である高速道路網が、中国の弾道ミサイルによって火柱を上げている「血の光」だった。

「……終わったわ。完全に、詰みよ」

 ロウソクの火が揺れる暗いリビングで、坂上恵めぐみは、これまで地域を支配してきた分厚い『物々交換台帳ノート』をパタンと閉じた。

 元メガバンクの銀行員である彼女の顔には、かつてないほどの濃い絶望が張り付いていた。

「母さん、どういうことだ? まだ町内には、数日分のカロリーと水の備蓄があるはずだろ」

 血まみれの金属バットを磨いていた長男・鷹人たかとが、顔を上げる。

「ええ。でも『経済システム』は死んだのよ、鷹人。……物流ロジスティクスという血管が焼き切られた以上、物資はもう二度とこの町には入ってこない。私の作った局地経済圏も、ただの『沈みゆく泥舟の中での食料の奪い合い』に逆戻りするわ」

 恵は、震える手で千姫の寝顔を撫でた。

 どれほど優れた頭脳でルールを構築しようと、圧倒的な暴力(弾道ミサイル)で盤面ごと破壊されれば、どうしようもない。それが戦争だ。

「……明日から、暴徒の数は今までの比じゃなくなる。……理性が、完全に消滅するわ」

「……」

 鷹人は無言で立ち上がり、重い金属バットを肩に担いだ。

「上等だ。……母さんのルールが壊れたなら、俺が新しいルールになる。親父が海で決着をつけるまで、一歩もこの家には入れさせねえよ」

 18歳の青年の瞳には、すでに「人を殺める」ことへの躊躇ためらいは消え失せていた。

 狂った世界で家族を守るためには、自らが最も恐ろしい修羅になるしかないのだと、彼は完全に悟っていた。

     * * *

 同刻。千葉県・木更津港。

 出港の汽笛が、重く、そして悲痛に夜の海へ鳴り響いていた。

 応急修理を終えたばかりの護衛艦『出雲』。

 飛行甲板には、満身創痍のF-35Bが数機と、弾薬の代わりにありったけの『怒り』を詰め込んだ乗員たちが整列している。

「……真一。お前たちを見送るのは、これが最後になるかもしれんな」

 岸壁に立つ若林幹事長が、海風に吹かれながら、通信機越しに呟いた。

『ああ。……冥土の土産に、最後に一つだけ教えてくれ、ユキタカ。……燃えた高速道路(ゲリラトラック部隊)の被害は、どうなった』

「……死傷者、五千人超。トンネルに生き埋めになった徴用工の救出は、絶望的だ」

『……そうか。……連中の無念、俺たちがまとめて太平洋の底に叩き込んでやる』

 出雲のCIC。

 坂上真一の背中に彫られた仁王像が、ドクン、ドクンと、極限の闘争本能で脈打っていた。

 モニターには、ハワイ方面から全速力で日本の近海へ向かっている、ジャック・ジャスティス大将率いるAUKUS残存艦隊のデータリンクが表示されている。

『——サカガミ。オーストラリアの“アンザック”を沈められた借りを返す時が来た。……中国のシェン提督は、空母“福建”を中心とする主力艦隊を、太平洋の絶対封鎖線の中央に展開させた。文字通り、総力戦オールインで俺たちをすり潰す気だ』

「……ミッドウェー海戦の再来ってわけか。ジャック、お前たちのアメリカ艦隊がハンマー(鉄槌)だ。俺たちの出雲は、奴らを食い止めるアンビル(金床)になる」

 坂上が通信を切ると、コンソールの前で、早乙女蘭が静かに立ち上がった。

 彼女の口に、いつものチュッパチャプスはない。

 ポケットに入っていた配給のチョコレートも、すべてゴミ箱に捨てられていた。

「……蘭?」

「……おっちゃん。私、もう甘いものは食べない」

 天才ハッカーの少女は、赤く腫らした目で、しかし絶対零度の冷たさを宿して、メインスクリーンを見据えていた。

「私のくだらないゲーム(計算)で死んだ、トラックのおっちゃん達の顔が……焼き付いて離れないの。……だから、もうふざけない。糖分で脳をごまかさない。……私の脳細胞が焼き切れて死んでもいいから……中国の艦隊システムを、一つ残らず、血祭りに上げる」

「……」

 坂上は無言で頷いた。

 彼女はもう、守られるだけの子供ではない。仲間の死を背負い、地獄を歩く覚悟を決めた一人の戦士だった。

『——上等じゃねえか、蘭。俺も、キャバクラのことはもう考えねえよ』

 上空を旋回する平上雪之丞から、冷酷なまでに研ぎ澄まされた声が届く。

『……俺の残りの寿命(フライト時間)、全部お前らに預ける。……シェンの野郎の喉元を、俺のミサイルで掻き切ってやる』

 全員の覚悟が決まった。

 小細工チートは、もう通用しない。

 ここから先は、国家の存亡と、仲間の血の恨みを懸けた、真正面からの殺し合いだ。

「……総員、戦闘配置。これより本艦は、AUKUS連合艦隊と合流し、太平洋の絶対封鎖線(鳥籠)へ突入。……中国主力艦隊を撃滅する」

 坂上が、指揮座から立ち上がり、全艦へ向けて咆哮した。

「マストに『Z旗』を掲げろ。……皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ! 各員一層奮励努力セヨ!!」

 かつて日本海海戦で、東郷平八郎が掲げた決死の信号旗(Z旗)。

 それが、デジタル・モニターの最上部に、血のような赤と黄、青、白の鮮やかな色で表示された。

 満身創痍の出雲艦隊が、夜明け前の暗い東京湾を抜け、太平洋の荒波へとその巨体を乗り出していく。

 第三次世界大戦の命運を決する、史上最大の『大艦隊決戦』の幕が、ついに切って落とされた。

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