3―2 広島へ その二
俺(健司)が提案した厨子ヶ浜海水浴場については、瑠偉嬢の了承を貰えたよ。
何かあっても、坂なら近いので、どうにでも広島へ帰ることができると考えていたらしい。
うん、万が一を考えてのプランは良いことだね。
でも、万が一は、坂であっても同じことが言えるんだ。
夏の海水浴場と云うのは、ある意味で盛り場に近いからね。
不届きなことを考えている奴がいくらでもいるんだ。
そんな奴らこそ、坂の海水浴場に集中するだろうね。
地の利や設備の点で、他の海水浴場とは一線を画しており、そもそも集客力が違うから。
坂町のベイサイドビーチの夏場の集客数は、凡そではあるんだが、4万人弱のようだ。
一方の厨子が浜海水浴場の場合は、精々1万人程度だから、坂と厨子が浜の場合、最盛期には混み具合で四倍ほどの違いになるんだろうと思う。
余り寂しいのもどうかとは思うが、お客さんの少ない方が便利な場合もある。
特に、シレーヌ号を適当な沖合に錨泊させせておけば、そこがベースになる。
海水浴の際に必要な脱衣場、トイレ、シャワールームも船内に完備しているし、室内で休息をとることも可能だ。
ランチ程度はしっかり用意して行くから、割高な海辺の臨時食堂で余り美味しくない料理を頼む必要も無い。
尤も、ファーストフードが必要ならば、原付ゴムボートで買い付けに行っても良い。
ランチは、若い人向けにイタリア料理のスパゲッティとピッザ、年寄り向けに牛丼定食を用意した。
後は、適度なオードブルとデザート的な甘味やジェラード類を用意しておけば大丈夫だろう。
アルコールは、ワイン程度は準備しておくが、車の運転が無いことを確認しないと希望が有っても出さないようにするつもりだよ。
事前の打ち合わせでは、瑠偉嬢のご両親も参加するようなんだ。
そのほかの参加メンバーは、瑠偉嬢の友人が3名、家族4名の内二人がご両親で、残り二人は彼女の弟が大学生、妹は高校生のようだね。
まぁ、船の上で自己紹介を兼ねて顔見世興行だな。
前にも言ったような気がするが、この船の定員は12名だし、かなり広いから十分に余裕が有るよ。
現物を見たことが無い人のためにあえて言うならば、長さが40フィートの海上コンテナを運ぶトレーラーが、台車を含めて16m余りある、
シレーヌ号の全長はほぼ18mだからそれより長いことになるし、幅も5mを超えているから上甲板の広さは40㎡以上もあるんだ。
まぁ、前部の甲板約10㎡ほどは、ソーラーパネルが貼って有って、通路以外は余り利用できないが、甲板の約30㎡ほどが居住可能スペースになる。
船自体は三層構造で、アッパーデッキには日覆いの付いた操縦席もあり、その後部には野ざらしのデッキに椅子もあるよ。
メインの操縦席は、甲板居住区の前部に位置している。
その操縦席の背後にリビングゾーンがあって結構な人が座れるが、更にその後部にも四人が座れるようなソファーもある。
日焼けを厭わないなら、アッパーデッキの後部デッキに居ると良いだろうな。
下層甲板には、船首方向にメインの寝室が有り、その後部側に二つのゲスト用寝室が有る。
トイレは、各部屋に隣接して三つあるんだ。
機関室は、更にその後部側だが、乗客に見せるようなものでもないな。
希望が有れば見学はさせるが、航海中は無理だし、錨泊している間も発電機を動かしているんで余り入れたくはない。
機関室は集約化されているためにかなり狭いんだ。
この船の推進は、ウオータージェット方式だから、船外にプロペラは存在しない。
そのために、海水浴場でも安全に侵入できる。
そうは言いながら、比較的大きな船が近くに来ると威圧感を感じさせるからね。
余り海岸には近づかないつもりだよ。
精々近づいても200mまで。
それ以上は、人が寄って来る可能性もあり得る。
ゲスト用の寝室各一つを、男性用と女性用の着替え室にして、機関室以外の全ての部屋を開放する予定だ。
操船するのは俺だが、状況によっては、俺が傍について誰かに低速で航走させてみる体験もありだろうね。
自動車の場合は、免許の無い者がハンドルを握っちゃいけないけれど、船の場合は、必要な資格のある者が乗り組んでいれば、舵輪は誰が握っていても良いことになっている。
もちろん素人が勝手に動かすと危ないから傍に俺がついていないとだめだよ。
予定では9時に広島観音マリーナのクラブハウスに集合で、参加者が集まり次第、出港する予定だ。
車二台に分乗して来るそうだから、多分8人が一緒に到着するだろうと思っているよ。
俺は、マリーナに予め予約しておいた浮桟橋のバースに8時半には着いたよ。
エンジンを止め、鍵をかけてからクラブハウスへ向かう。
クラブハウスに入ったのが、8時45分だったが、お客さんたちは既に全員が揃っていたな。
ネット予約は済ませているが、受付にゲストとして今日の二回の寄港予定の手続きを済ませ、瑠偉嬢とそのお連れ達に面会した。
皆さん、手にボストンバックを下げているところを見ると、きっと着替えなんだろうね。
お父さんは、クーラーと伸縮タイプの釣竿を持っているから釣りをするつもりかな。
うーん、錨を降ろすポイント選びが難しいカモね。
釣りができてなおかつ海岸の砂浜まで近い処、・・・。
そんな場所があればよいけどね。
それから彼らの半数はサングラスをかけていたな。
雨天でもクルージングはできるけれど、風雨が強いとクルージングも楽しめない。
瀬戸内海でも結構な波は立つからね。
慣れない人は船酔いにもなる。
幸いにして、今日は、快晴とまでは云わないけれど、全天の7割が青く広がっている。
風は、2mから3mなので絶好のクルージング日和、海水浴日和だね。
瑠偉嬢のお連れさん達は、男性はそれなりにイケメン、女性陣は年増の方もいらっしゃるけれど皆美人の範疇だとは思うぜ。
まぁ、そうは言いつつも瑠偉嬢の美人度一番は確定だな。
ひとしきり、クラブハウスで自己紹介をしたが、瑠偉嬢のお父さんは最上洋一さんで57歳、お母さんは彩音さんで55歳、弟さんは宗一君で20歳、妹さんは美耶嬢で17歳、瑠偉嬢のお友達は、以前福山で会ったことのある城野奈美嬢で22歳、それに修道大学の後輩である河内理沙嬢で20歳と、同じく須藤美恵嬢で20歳である。
このうち河内さんと須藤さんは、同じサークル活動で親しかった後輩のようだ。
余りクラブハウスに長居すると、時間も押し迫って来るから、すぐにゲスト桟橋に行き、シレーヌ号の紹介をしつつ乗船する。
本来ならば、船内を案内するのが良いのかもしれないが、それは洋上ですることにした。
取り敢えず、船内を一度見ている瑠偉嬢に見学の簡単な案内をお願いして、俺は船のエンジンを始動させた。
瑠偉嬢には、寝室を着替えの場所にすることは最初に話してあり、左舷側の寝室を男性用、右舷側の寝室を女性用とすることで調整は済んでいる。
寝室は三室あっていずれも自由に休憩して構わないことにしている。
エンジン関係については、既に、ここまで走って来ているし、エンジンを停止してから20分程度なんだが、それでも念のために10分ほどのアイドリング運転を行った。
全ての計器が正常に作動しており、レーダーについてもここに来るまでに作動確認を済ませている。
但し、マリーナに係留中は、レーダーも作動させない。
レーダーってのは、強電磁波を周囲に発射して、その反射波を捉える仕組みだから、この強力な電磁波を長時間浴びると人体に悪影響を及ぼすと言われているんだ。
どの程度の信憑性が有るかは不明だが、場合によって男性の不妊障害なども引き起こし得るということだ。
もちろん男が妊娠できるわけもないが、妊娠に必要な精子が異常をきたす恐れがあるということだ。
まぁ、都市伝説の一つかもしれないが、人が嫌がることをすべきじゃないよな。
航海中には、当然レーダーを作動させるんだが、マリーナに入ればその必要はないから、停止することにしているよ。
それに俺ならば、物陰に隠れている物体なんかも感知できるから、安全性確保の点では問題ない。
因みに、出力が5Kw以下のレーダーには、無線従事者資格は不要だ。
但し、この船には国際VHFが備え付けられていたので、それを運用するために第二級海上特殊無線技士の資格は得ているんだよ。
舫を放し、俺の操縦により、シレーヌ号はやがて、船首尾線に対して横向きに移動を始めた。
これは船首部と船尾部にスラスターがあって、これを作動させることにより、メインの推進力を使わずとも横移動やその場回頭ができるんだ。
観音マリーナの場合、ゲスト用桟橋は奥まったところに有るので、マリーナを出るまでは低速で進む必要がある。
この際に風が強かったりすると進路が逸れて岸壁等に接触したりすることもあるんだ。
俺の場合は、魔法も使えるから絶対にそんなことにはならないけれど、敢えて危険は冒さないよ。
広島観音マリーナの出口を出たのは、10時2分頃だった。
ここから厨子が浜海水浴場までは、ルートにもよるが、概ね50キロ弱である。
シレーヌ号の巡航速力26ノット(時速約48キロ)で航走すると一時間程なんだが、今日は海象模様は良いけれど、南寄りの逆風だから毎時28ノット(時速約52キロ)で走ることにした。
実は、シレーヌ号の巡航速力では毎時250ℓの燃料を消費するんだぜ。
タンクの方は2800ℓの容量だし、俺のインベントリにはその倍以上の燃料が有るからガス欠の心配は不要だ。
シレーヌ号を走らせながら、周囲にいる人達には、船から見える景色の案内をしてあげたよ。
船に乗ったことのある人は居るだろうけれど、見える島の名前とかは意外と知らないものだ。
由来なんかも教えてあげるとちょっとした雑学にはなるだろう。
マリーナを出るとすぐ目の前に、カキいかだが有るからね。
広島湾はカキの養殖で有名だからね。
養殖いかだがあちらこちらに有って、船の運航にも影響を与えている。
時折、夜中にカキいかだに突っこむような船も居るようだが、その大半は居眠り運転のようだね。
次いで前方に厳島と絵の島が前方に見えて来る。
厳島は広島の人ならだれでも知っている厳島神社が有るところで、「宮島さん」と云う名で親しまれている。
因みに宮島さんは、宗像三女神が祀られている。
神社と云うことで血の穢れが嫌われるとされており、そのためか生理中の女性が参拝しないとか、島での出産を避けるという風習が今でも残っているほか、カップルで行くと別れることになるというジンクスもあるようだ。
因みに、宮島さんは風光明媚なところを選んで居所を厳島にしたようだが、その前に実は呉の若葉町界隈の風景が良かったので試しに一晩滞在しようとしたとの逸話が有る。
では、何故に、宮島さんは呉の地に根付かなかったのか?
それは、たくさんの蚊に悩まされ、その夜のうちに逃げ出したと云うエピソードが有るようだ。
まぁ、単なる神様に関わる言い伝えの一つだよ、
そんな話をしながらも、視界に入る数々の島の案内をしながら、ついに厨子が浜海水浴場の前面海域に到達したよ。
水深と海底地形から錨泊地を選び、海岸から250m程度まで近づいて船首部のアンカーを降ろした。
因みにアンカーの揚降は、ボタン一つで自動的にやってくれるんだ。
アンカーを降ろした時点で時間は11時少し前だった。
うん、予定通りだね。




