2ー14 復帰した健司の世界 その十
5月15日午前10時30分から、俺(健司)は福山駅の中央出口で待っている。
新幹線の場合、滅多なことで遅延は無いから、福山到着時間に合わせて待っていても大丈夫のはずなんだが、何となく気が急いて、今日は早めに出てきてしまったというのが本音の話だ。
それから十数分経ってから、上り新幹線は無事についたようで、階段を降りて来る人たちが見える。
その中にやがて最上瑠偉嬢の姿を見て、ほっとした俺がいた。
少なくともすっぽかされたわけじゃない。
俺は、最上嬢に向けて軽く手を振った。
すると彼女も笑顔で小さく手を振っていた。
彼女が改札口を出たところで、傍にすり寄って互いに挨拶を交わす。
「最上さん、ようこそ福山へ。」
「はい、3週間ぶりでございますね。
この度は、急なお誘いにもかかわらずお願いを聞き届けて頂きましてありがとうございました。
そうして、また、駅までお出迎えありがとうございます。
昨日までは、もし急な勤務交替が入ったならどうしようかと思っていたんですけれど、幸いにも私が福山に来ることについて天使がほほ笑んでくれていたようです。」
彼女も日帰り旅行と言うことで手荷物は小ぶりのリュックサック一つと至って少なかったから、俺が荷物を持ってあげる必要も無く、そのまま二人連れ立って、福山駅の北口へ向かう。
これから向かう福山城は、その石垣が福山駅北口と道路を隔ててほぼ接しており、福山城公園の南側或いは東側入り口までは徒歩2分ほどの距離だ。
昔は内堀と外堀の間に三の丸があって、重臣たちの屋敷があったらしいが、現在は内堀も外堀もほとんどなく、福山城公園の東側に内堀の名残が認められるだけになっている。
内堀はほぼ福山駅北側の道路に変わっており、外堀は福山駅南側の地域だね。
福山駅のほとんどが旧三の丸跡地にあるということだ。
現在の福山城公園に入るには、東西南北からの道があるけれど、今日は東側の道から入って南から出ようと思っている。
かつては、三の丸西側に西門が、三の丸南側に御成門が、さらに東側に東門と北門(?)が有ったようだけれど、いずれの門も今はその跡が残っているだけなんだ。
二人で福山駅一階の広い通路を北へ向かって歩きながら会話をする。
「そう言えば、『天使』と言う言葉が出て来るということは、最上さんの御宅は、もしやキリスト教ですか?」
「いいえ、我が家は先祖代々曹洞宗なんですよ。」
「そうですか・・・。
確か、広島浅野藩の歴代当主の菩提寺が国泰寺で、曹洞宗でしたものね。
でも、なぜか良く知りませんが、広島県内で数が多い仏教宗派は、浄土真宗なんですよね?
因みに私の実家も、浄土真宗なんですよ。」
「あら、では矢田さんも門徒でいらっしゃるのですか?」
「いやぁ、確かに門徒と言われてもおかしくは無いのでしょうけれど、僕は余り神仏を信仰していません。
我が家では、お正月になったら神社に参拝し、葬儀は仏式で、でもクリスマスにはプレゼントをやり取りしていますよ。
ですから、熱心な門徒とはとても言えないと思いますよ。
実家には仏壇はありますけれど、今僕の住んでいるマンションには、神棚や仏壇さえもありません。」
「うふふ、では、私と同じですね。
宗教は生きるための道を示す拠り所のようなものであって、必ずしも神仏を信じるものでなくても良いと思います。
私が学んだ修道大学では『報恩感謝・実践』を教訓として、人が生きる道を修めることを目的としています。
特に旧浅野藩の藩校が元になっていますので、地域貢献に役立つ人材の育成を第一としていますね。」
「なるほど、地域につながる人材ですか。
それは良いことですね。
今はどちらかと言うと中央一極化になってしまっているので、地元に残る若い人が少なくなっていますからね。
地方都市はまだしも、周辺の町村は老化と過疎化が進んでいます。
かく言う僕も、東京の大学を卒業して、二年程は東京で会社員として務めていました。
でも先日お話ししたように、仕事で外出中に交通事故に遭い、福山に出戻って新たに起業をしたんです。」
「確か大変な大怪我でしたのでしょう?
一年半も入院なんて・・・。」
「ええ、医者はほぼ匙を投げていたようです。
でも、それから奇跡の復活ですから、もしかすると神仏に近い存在の介入があったのかもしれませんね。」
「今は、お身体の方は健康なんですか?」
「はい、年に一度の定期健診でもどこにも異常はありません。
体力も怪我をする以前にも増してついてきています。
健康面ではあと50年は頑張れそうですよ。」
そんなことを話している間にも、福山駅の北口(福山城口)を出て、石垣の南東端を北北西に延びる道路を北上すると、福山城公園の表玄関ともいえる東側の入り口に達した。
この近辺からは天守閣の一部も見えるんだ。
駅の北口から左方向へ向かうと、石垣を上る階段を使い、伏見櫓の下に出ることもできるんだけれど、福山城を見学するならまずはやはり天守閣だろう。
特に、比較的有名な伏見櫓や筋鉄御門などは、特別な時にしか見学できないから、今回は周囲から見るだけになる。
それならば、そこは後回しでも構わない。
現在の福山城は、ほぼ全域が福山城公園となっており、天守閣は内部が博物館となっていて、有料なんだ。
前述したように公園内部には一部中に入れない施設もあるけれど、公園内の9割以上が公開されている。
天守閣にある博物館を見学して福山城の由来を確認し、また、天主閣からの眺望を確認することが今回の主目的みたいなものだ。
瑠偉嬢曰く、お城は広島にもあるんだけれど、広島城は老朽化のために現在は再建中とのことで内部には入れないそうだ。
彼女が中学の折には、広島城にも上ったことが有るらしいけれど、城の天守閣に登るのは7~8年ぶりの事らしい。
福山城は、備後福山藩の藩主であった水野勝成が元和8年(1622年)に竣工させた城であり、大規模な新規築城としては江戸時代最後のお城らしい。
駅を出てから五分ほどで福山城の天守閣前に至り、管理事務所で福山城博物館の入場券を購入して、天守閣内部に入る。
20人以上の団体さんは予め予約が居るようだけれど、俺たちは二人だけだから予約なしでも構わないんだ。
但し、入館の時間は9時から16時半であり、閉館は17時になっている。
最初は天守閣の地階。
ここではU字型の大スクリーンで福山城築城の歴史・背景、城郭の特徴などを紹介している。
天守閣の一階は、城の構造と歴史、福山城を造った藩侯である水野勝成に関する資料等が展示してあるけれど、城の外見上は歴史の重みを感じても、内装が現代的なのでちょっと違和感があるんだよなぁ。
二階は、江戸時代の遺物が色々と展示され説明が加えられているほか、巨大スクリーンによる映像体験ができる。
三階は、備後福山藩の歴史と文化に関する資料や、歴代藩主(水野、松平、阿部)ゆかりの書画・甲冑などが展示されていた。
四階は、初代藩主に関する資料や、江戸時代の福山藩の様子、城下町の発展に関するパネルや古文書等が展示されている。
そうして五階は、最上階となっていて福山市内を全方位で見渡せる展望エリアなんだ。
因みに車いす等を利用する方などのためにエレベーター1基が備えられているけれど、若い俺達は階段を利用して順次上って行ったよ。
一気に登るときついかもしれないけれど、各階の展示物などを眺めながらなので、左程疲れたりはしない。
俺は、体力的に人並み以上だし、何なら魔法で身体強化もできるから、全く問題なし。
但し瑠偉嬢については体力がどの程度あるのか不明だからちょっと心配はしていたんだが、彼女も全く問題が無いようだったな。
まぁ若い者が5階程度でへばっていては困るけれどね。
福山城天守閣には、俺も家族で十数年程前に訪れたことが有るんだが、その頃とは多少展示方法が変わっていたようだし、内装自体が随分と違っていたね。
多分、築城400周年で天守閣がリフォームされたからじゃないかと思う。
瑠偉嬢は広島城の天守閣と比べて随分と違いを感じていたようだ。
瑠偉嬢が見た際の広島城天守閣は、内部が鉄筋コンクリートになっていて外装のみが木造になっていたようだ。
福山城と同様に、広島城でも浅野藩の歴史や、江戸時代当時の生活を窺わせるような資料が展示されているところは同じらしい。
天守閣から見える城郭全体の様子や、福山市内の展望は、住んでいる俺でも結構見どころがあると思える。
一応、瑠偉嬢には、市内の名所等についても覚えている限りで紹介しておいた。
天守閣博物館が見終えると、天守閣の南側に広がる空き地(広場)の隅に、文書庫である鏡櫓文書館、月見櫓、湯殿、筋鉄御門、鐘櫓の順で外部から見学のみ。
鏡櫓文書館については内部に入ることも可能なんだが、瑠偉嬢は古文は苦手だったとかで、入館を遠慮したので内部に入るのは取りやめた。
俺の場合は、おそらく言語理解の能力で、古文書でも容易に解読は可能だと思われるけれど、自分の能力をひけらかすのは俺の趣味じゃない。
鐘櫓からぐるっと壁伝いに北上し、「黄金水」と呼ばれる井戸、棗木御門跡から石垣の下の道を使って伏見櫓の下に出る道を辿った。
そこから福山城公園の南側の出入り口に出て、福山駅のタクシー乗り場へ。
お昼は、無難なところでイタリア料理の「O」を予約している。
和食の「T」も同じぐらいの距離なんだが、少し高目の料理なので、瑠偉嬢が気遣わないように親しみやすいイタリア料理店にしたんだ。
歩くと15分は間違いなくかかるから、タクシーを利用する。
「O」店内はさほど大きいと言うわけでは無いけれどおそらく四、五十人は入れるし、別室もあるようだ。
世に崖の手ぶるに四つの椅子がセットになっているんだけれど、赤いテーブルクロスが凄く目立つよね。
席に案内されて、注文は俺のお任せになったので、前菜でマダイのカルパッチョ、ピッツアは無し、ミネストローネとパスタ料理を一つ、デザートも今日のデザートをお願いし、ドリンクについてはワインをどうするか聞いたけれど、瑠偉嬢はお昼からアルコールは避けたいとのことなので、コーヒーを頼むことにした。




