222話 自然に交わる源
※アルシア視点です。
見たことないほど巨大な白い炎が立ち昇った後、先ほどまでの激しさが嘘のように静まり返ります。
遠くに見える人影は二つ。
見慣れた闇夜を靡かせて、真っ白な少女を抱えて近づいて来ました。
絹糸を垂れ下げる少女はイエヴァちゃん。
遠くで見たときと変わらず、枯れ木のように痩せ細っていましたが、静かな吐息を立てる姿にほっと胸をなでおろします。
見たところ、目立った傷はありません。
穏やかな表情に仄かな朱が差しています。
目と鼻の先になってやっと、朧げだったゼイン様の姿が浮き彫りになりました。
「――っ!?」
目にした途端、そのお姿に思わず息を呑みます。
彼の体は無数の傷だらけ。
切り裂かれた服は穴だらけで、その下にある白い肌を覗かせます。
そこには切り傷に血の痕、変色した痣と激戦の爪痕をありありと残していました。
「ゼイン様、大丈夫ですか!?」
思わず駆け寄り、無事を尋ねます。
「なんとかな。想像以上に悪いのだけが気掛かりだ」
物憂げに視線を落とすゼイン様は、ご自身ではなくイエヴァちゃんの心配を口にしました。
……ゼイン様の容態を案じたのですが、伝わっていないようです。
胸の奥で詰まるものを感じつつ言葉にすると、「俺のほうはなんとも。傷自体は浅い」と、なんてことないよう告げられました。
マヤさんもゼイン様の様子に疑問があるようで、弱々しくも咎める色を滲ませました。
「あれは誤魔化すための演技だ。実際は見ての通り、穴は開いてないだろう」
そう言ってお腹を突き出すゼイン様。
僅かにめくられた服の下は刺し傷の跡は見当たらず、手足と違って傷一つない綺麗な白い肌をしていました。
体格は痩せ気味で、辛うじて腹筋が割れていましたが、骨と皮ばかりのひ弱な印象を抱きます。
正直、あまり強そうには思えないのですが、どこにあれだけの力があるのかと不思議でなりませんでした。
そんな益体もないことを考えていると、腰の近く、服で陰になった場所に微かな血の痕を発見しました。
ほかの怪我から飛び散ったようにも見えましたが、周囲に目立った傷はなく、服に穴が開いている訳でもありません。
「……あの、腰のところにある――」
不審に思って指摘しようとしたタイミングで、偶然なのか、ゼイン様の声が重なります。
「……これでよし、と。ひとまず応急処置だけはした。後はこの子の意思次第ってところだな」
「……? どういうこと?」
聞き捨てならないとばかりに張り詰めた声を上げたマヤさん。
私も口を噤んでゼイン様を見つめます。
「見た目は痩せ細って寝ているだけに見えるだろうが、実際は危篤状態だ。……一命は取り留めたが、生きれて後数日かもしれん」
「え……!?」
その言葉を聞いた誰もが絶句しました。
視線は自然とイエヴァちゃんへ向き、静かに上下する胸を確かめました。
魔力視でも見直しますが、どこか変わった様子は見受けられません。
内心、首を傾げ、体を起こすゼイン様に詰め寄りました。
「どういうことですか!? どこが悪いんですか!? 私にできることは――」
口早に尋ねるもゼイン様は私のことなんて歯牙にもかけず、おざなりに手を払い除けてそっぽを向きます。
「とりあえず、お前たちはそこで待ってろ。後始末がまだ済んでない」
見上げる横顔は未だ険しく、強い警戒の色が現れていました。
困惑する私たちを置き去りに、ゼイン様が数歩進んだところで腰を落とします。
その姿はいつになく見た戦闘準備の姿勢。
まだ終わっていないと告げているようでした。
疲れた様子のマヤさん含め、私たちはお互いに顔を見合わせて気を引き締め直します。
私も、先ほどのことは頭の隅に追いやって武器を手に取ります。
念のため用意していたものですが、どこまで通用するのかわかりません。
先ほどまでは無用の長物でしたが、全員神妙な面持ちで握りしめていました。
「――さっさと出てこい。さっきからずっと視ているんだろ?」
ゼイン様の鋭い声が響きます。
私たちは固唾を呑んで静観します。
一分か、十分か……。
無言の時間が続きました。
どこに相手がいるのかもわからない状況で、私たちはゼイン様の見据える先を当てずっぽうに見つめ続けます。
誰かが喉を鳴らす音が聞こえました。
感覚が麻痺してきたのか、じりじりと指先の感覚が消失していく気がするほどです。
風の匂いも湿っぽく、それがさらに感覚を鈍くします。
ゆらゆらと視界がぼやけていきます。
立っているのか、座っているのか、自分でもわからなくなった頃、ゼイン様の声が聞こえてきました。
「そっちが来ないなら、俺のほうから――」
「――ストップ! ストーップ!! 出るから! ちゃんと姿を見せるから!!」
お二人の声にはっとして周囲を見渡しますが、特に変化はありません。
どこか親しみを感じる流麗な声は、次第に一つの像を結びました。
そこに現れたのは空色の髪に碧眼をした女性。
すらりとした体型で手足が長く、ゼイン様を見下ろす形となっていました。
友好の証として、両手を開いて頭より高く掲げています。
そのままの姿勢で、女性は自己紹介を始めました。
「初めましてかな? 私の名前はユタ・セイボル。麗しき謎のお姉さんだよ!」
告げられた名前に、私たちは目を見張りました。
◆◆◆
ユタと名乗った女性は、肩口で切り揃えた髪を揺らしながら、小首を傾げて片目を瞑ります。
「まさかこうもあっさり見つかっちゃうとは、流石ゼイン君ってところかな?」
「韜晦はよせ。途中から、こっちに気付かれるのを承知で覗いてただろうに」
「そんなつもりはなかったんだけどなぁ」
冷え冷えとする声を出すゼイン様に、女性は肩を竦めるだけでした。
「一番は君がやりすぎないかの監視だったんだけど、半分無意味になっちゃったからさ。ついでに見届けてたってだけだよ」
「何が目的だ?」
一段と空気が重くなったように錯覚します。
実際、ゼイン様から漏れ出る暗い紫がそう感じさせるのかもしれません。
そんな彼に臆することなく、女性は軽快に首を反対に倒します。
「んー、これといってなかったんだけど、見てらんなくなっちゃったから、一つだけ警告をしようかなって。ついでにあの子のお詫びも兼ねてさ」
警告……。
その言葉を聞いた途端、私の心臓が跳ね上がります。
どうしてかはわかりません。
ですが、自然とゼイン様へ視線が吸い寄せられました。
「警告? 謝罪の間違いじゃないのか? あの化け物共を差し向けたのはお前たちだろ。 ――なぁ仙人?」
ゼイン様の暴露に言葉を失いました。
誰もが女性を凝視し、彼女の弁明を望みます。
視線を集めた妙齢の女性は、ただただ笑みを深めるだけ。何も語ろうとはしません。
「仙人って、人間の上位存在みたいなものじゃないの? それがどうして仇なすような真似を?」
「さあな。それは口を割らせてみないことにはなんとも。俺の知る限り、仙人連中は頭のネジが外れたイカレ野郎ばかりって話だから、これもまともな理由じゃないんだろうよ」
唾棄するよう声を荒げるゼイン様は、いっそう威圧感を強めます。
「んー、言い得て妙なのが否定しにくいところかな? 少なくとも、まともな神経の持ち主じゃ至れないからね」
肯定とも取れる発言をする女性。
彼女は翳のある苦笑を漏らします。
「とにかく、今は戦う気がないかな」
相も変わらず手を上げたままの女性は、非戦の構えを貫きます。
「それはお前次第だ。満足させられれば見逃してやってもいいが、そうじゃなければここで締め上げるだけだ」
「んー、今のゼイン君とは戦いたくないかな?」
困り顔で女性は脱力しました。
どこからどう見ても、今のゼイン様は満身創痍です。それなのに戦いたくないとは、仙人という方は強くないのでしょうか……?
「そんなことないよ? 沽券に関わるから言い訳させてもらうけど、ゼイン君が例外なだけで、全人類を相手取ってもお釣りが出るぐらいの実力はあると自負しているから」
勿論、今いる異世界人含めてね、と私の心の声が聞こえたかのように答えます。
「随分と高く評価してくれるじゃないか」
「だってゼイン君、対人戦のほうが得意でしょ? それと敵視に反応して能力を強める分、まともに戦うと分が悪いじゃない」
まるでゼイン様のお力すべてを把握していると言わんばかり。
ゼイン様も身を固くします。
「……お前、どこまで知ってる?」
「君の数歩先まで。流石に私じゃ全容までは把握できないかな」
舌打ちにも似た細い吐息が前から聞こえてきました。
腕がやや下がり、どこか迷うような雰囲気にも感じます。
そんな彼を余所に、女性がこちらへ顔を向けました。
「とりあえず、ちょっと移動しようか。何人か診といたほうがいい子もいるしね」
にこやかに話し掛けられたと思った矢先、目の前の景色が変わりました。
驚いたのは私だけじゃありません。
近くのマヤさんを始め、離れた場所にいたゼイン様さえも隣に移動していました。
「うそ、何も感じなかった……」
「――っ!」
息を呑む声が両方から聞こえます。
私も思わず自分の体に触れ、周囲を確認します。
そこは見知らぬ森の中。
先ほどまでの更地と打って変わり、青々とした木々が広がっていました。
鼻をくすぐる香りは新緑に萌え、清々しい気持ちにさせてくれます。
「みんな楽に座ってちょうだい。話はその後で」
「待て! お前はどうやって――!」
ゼイン様が慌てた様子で声を荒げます。
いつの間にか、女性の手元には、キエラさんとイエヴァちゃんが浮かんでいました。
「その話も後で。今は二人の回復に専念しなきゃ」
どういう心変わりかわかりませんが、優しく諭すよう告げる彼女に、ゼイン様も渋々ながら食い下がりました。
「……っ」
用意されてあった切り株のような椅子に乱暴に座るゼイン様。
その表情は酷く刺々しかったです。
「ほら、他のみんなも」
そんな態度を歯牙にもかけず、女性は席を促します。
「……お言葉に甘えます」
「素直でよろしい!」
マヤさんやリタたちと顔を見合わせ、おずおずと席に着きます。
それを見届けると、彼女は二人に手をかざして何かをしました。
「はい、終わりっと。しばらくすれば起き上がれると思うよ。小さな子のほうは、流石に長くは生きられないけれど」
軽い口調で告げられた事実は、再び私たちの心に影を落とします。
それを知ってか知らずか、女性はその場に椅子を生み出して座ると、変わらない明るい声で話し掛けてきました。
「――それで、何から話そっか?」
彼女の双眸が、いつの間にか黄金に輝いていました。




