221話 その目が捉えるもの
すみません、最後を悩みに悩んで遅れました。
「――ゼイン様!?」
アルシアの息を呑む声が響き渡る。
釣られて顔を上げたマヤが、思わぬ光景に絶句する。
「うそ……でしょ……?」
彼女たちから少し離れた場所で立ち尽くす少年。
水色の刃が背中から飛び出し、空を仰ぎ見る切っ先からは真っ赤なものが滴り落ちていた。
微かな鉄の匂いが風に乗って運ばれる。
それが彼女たちへ届くことはなく、彼の近くで滞留し、霧散してしまった。
けれど、鮮烈な赤は誤魔化すことはできない。
暗雲の下でなお、彼女たちはありありと見せつけられていた。
無意識に体が動き出すアルシア。
踏み出した足は強く地を踏みしめ――突然、彼女の視界が揺れて低くなる。
「大丈夫ですか!?」
慌てたリタたちの声が降り注ぐ。
混乱するアルシアに、じんわりと鈍い痛みが伝わる。
前面に響く衝撃の余韻が、遅れて転んだ事実を突きつける。
瞳に涙が滲む。
痛みによるものか、はたまた届かぬ想いか――。
悔しさ渦巻く少女の胸中は、酷く吹き荒んでいた。
「……っ!」
ぼやける視界の先では、力なく腕を投げ出す少年から、刃が引き抜かれるところだった。
◆◆◆
術理は目の前の光景にほくそ笑む。
“目”に映るものは、幻影や身代わりではなく実体そのもの。
確かにその身を貫いていた。
手応えはない。
けれど、感じる鼓動が致命傷だと告げる。
既にお互い満身創痍。
戦いの趨勢がどちらに傾いてもおかしくない状況だった。
この諍いが不毛だったにしても、向こうが喧嘩腰で来るなら対抗しない訳にはいかない。
同族同士の潰し合いになろうとも、譲れないものは譲れない。
彼女も聖人君子ではないのだから。
風で形作った刃をゆっくりと引き抜く。
それに引きずられるように、赤と紫が噴出した。
どちらも息づく鼓動が感じられる。
それがさらなる確信となる。
一息に振り抜かないのは、最後の悪足掻きを警戒して。
何かしようものなら、刃に埋め込まれた無数の渦を解き放とうと考えていたからだった。
ふと、妙な引っ掛かりを感じて引き抜く手を止めた。
目の前の人影に動きはない。
呆然と四肢を投げ出し、魔力も気配も弱々しく、風前の灯火だった。
「キィ……?」
首を傾げる。
変化はない。
しかし、胸騒ぎは治まらない。
不気味に感じ、思い切って引き抜こうとしたその時。
自身の腕に置かれた掌が冷たく響く。
「――捕まえたぁ!」
全身粟立ち、急いで飛び退く。
合わせて、仕込んだ嵐を解放して。
けれど、想像していた光景は訪れなかった。
「キキィイ?」
「あぁ、そんなに不思議か? ――なんてことはない。お前の魔法は異空間で吹き荒れている」
その言葉だけで何が起きたのか理解した。
念のため探し出すと、言葉に違わず、さっきまで勢力争いを続けていたのとは別の異空間で、水色の嵐が虚しく喚き散らしていた。
「隣接異空間じゃすぐ気付かれるからな。そこを経由して、無数の彼方へ追いやっただけだ」
「キキキ……」
言うは易く行うは難し。
数多ある異空間をいくつもくぐり抜けて、次元の狭間に捨て置いていた。
異空間は隣り合っていないと移動できないとはいえ、一つの空間と接しているのは十や二十じゃ利かない数がある。
そのうちの一つ、塗り替えた自陣からであれば、早々気づかれることはない。
言われなければ、発見すら困難だった。
確認している間に血を拭うゼイン。
半ばまで突き刺さったままの風を紫炎で焼き、何事もなかったかのように血を洗い流す。
刺された証拠は僅かに残る血痕と破れた服のみ。
その下にある肌は、傷跡一つ見つからなかった。
最後に、口に残る血を吐き捨てると、ゆらりと炎を立ち昇らせ、敵を睥睨する。
「そろそろ終わりにしよう。後も詰まっているからな」
「ギギッ!!」
獣のように牙を剥き出しにして水色を溢れ出す。
ゼインも再び紫紺を漲らせて応戦した。
立ち昇る二つの色。
どちらもこれまで以上の昂りを見せていた。
緊迫は一瞬。
両者が同時に地を蹴ると、激しい衝突が巻き起こった。
◆◆◆
炎と嵐。
二つの猛威が暴れ狂う。
とても、満身創痍から繰り出されるとは思えないほどだった。
「ハッ! さっきより精細さに欠けているぞ!」
「ギギギ!!」
飛び交う魔法は大小様々。
形も、球や槍から波や流れ、果ては動植物までと千差万別だった。
一つ一つが必殺級。
普通の相手なら、当たれば決着がつくレベルだ。
二人は動き回りながら攻撃を放つ。
どちらも攻めに重きを置き、防御は片手間だった。
これまでのダメージの蓄積が大きいせいか、回避はおざなり。何度も体を魔法が掠める。
生傷がどんどん刻まれていく。
痛みも衝撃もあるはずなのに、双方共に攻撃の手を緩めない。
「さっさと、潰れろ!!」
裂傷をものともせず、流れる血を振り撒きながらも懸命に腕を振るゼイン。
「ギギギギギ!!」
焼け焦げた痕を残しながら、必死に鎖を振り回して皿を傾ける独楽の魔物。
互いに一歩も引かず、次々と魔法を放っていた。
主な傷の原因は、それぞれを代表する属性だった。
しかし、他の魔法を使っていない訳ではない。
ゼインなら氷や雷、空間魔法を駆使して。
魔物なら影や水、重力魔法を用いて首を狙う。
けれど、それらは二つの強大な魔法を前に、呑まれてしまって届くことが叶わなかったにすぎない。
牽制や陽動には十分な働きを見せていた。
「鬱陶しい!」
紫炎の幕が広がる。
ジュッと焼け付く音と共に魔法が掻き消される。
続いて現れた突風は、飛び退いて躱していた。
「……ちっ、あと少しだって言うのにな」
震える手足に喝を入れながら、ゼインは涙を流す。
消耗具合は彼のほうが大きく、顔色は青を通り越して真っ白になっていた。
息も浅く、ほぼ無呼吸に近かった。
それでもなお、魔法の勢いは衰えない。
むしろ徐々に隆盛しているようにも思えた。
反対に、魔物の手数は減っていき、若干の弱々しさを醸し出す。
「ギギギ……!」
苦しげに吐かれた呻き声。
限界近いのは、火を見るよりも明らかだった。
◆◆◆
先に仕掛けたのは魔物のほう。
距離を詰めて疾風を放つ。
「近づけば当たると思ったか! そんな浅知恵、通じな――!!」
迎え撃つべく伸ばしたゼインの手が止まる。
それもそのはず。
肉薄した魔物が、再び仕舞っていた少女を曝け出したのだから。
「――っ!!」
「キキッ!」
苦虫を噛み潰したように歪むゼインの顔と嗤う魔物。
彼の動きが止まるのを見越していたかのように、振り上げられた皿がゼインへと迫る。
僅かに傾いた彼の体から、魔物は今度こそ勝ちを確信する。
避けるには遅すぎた軌道。
僅かな修正の必要もなく、彼の頭を捉えるのは間違いなかった。
刹那の時間がゆっくりと流れる。
引き伸ばされたように感じるこの一瞬で、ゼインの口元が歪んだ。
「――待っていたぞ、この時をっ!!」
咆哮する声に合わせて、純白の炎が魔物から溢れ出した。
「キギッ――!?」
体が大きく揺れ、吐血するかのように白炎を撒き散らす。
瞠目する魔物。
理解が追いつく暇なく、揺らめく壁の奥で、あり得ない光景を目撃した。
「この子は返してもらうぞ」
そこには真っ白にやせ細った子供を抱きかかえるゼインの姿があった。
己の体内にいるはずの、無垢な少女を。
「キ……ギギギギギギギ――!!!」
ここへきて、魔物は自らの失態に気付く。
本来あるはずの少女との繋がりが断たれ、いつの間にかゼインと挿げ替えられていたと知る。
驚愕に、怒りに嘆きに妄執に――。
癇癪を起したように当たり散らす。
辺りに水色の嵐が吹き荒れ、大地を穢す。
淀んだ色は何も傷つけることはできず、儚く溶け去るだけ。
さっきまでの荒々しさはなく、おどろおどろしく粘度を持った風がのたうち回るだけだった。
「――もうお前は用済みだ。さっさと消えろ」
低く突き放した声が降りかかる。
最後に魔物が目にしたのは、地面から押し寄せる純白の濁流。
仄かに緑で縁取られた、異界の力の紛い物だった。
「ギ―――――」
僅かな断末魔は燃え盛る奔流に呑まれて消える。
一面に広がる絨毯と化して、誰の耳にも届かなかった。
「……ふん」
目を細め、鼻を鳴らすゼイン。
最後に一度、虚空を振り返ると、腕に抱く少女を紫紺で包みながら、重い足取りで静かにその場を後にした。
◆◆◆
「――ゼイン様、大丈夫ですか!?」
近づくなり切羽詰まった声が飛びついてくる。
俺は改理で状態を直しながら声に応えた。
「なんとかな。想像以上に悪いのだけが気掛かりだ」
静かな寝息を立てているが、見た目ほどの余裕はない。
最初から無理をさせずに事を運ぶつもりだったが、確認した時からこんな状態だった。
いくら歪めても、余命は幾ばくも無い……。
「イエヴァちゃんの容態もですが、今はゼイン様のお体が先です! かなりの怪我を負われてましたよね!?」
口早に告げられるも、肩を竦めて返す。
「俺のほうはなんとも。傷自体は浅い」
「お腹をざっくり刺されてたと思うけど?」
疲れた声に振り返ると、げっそりとしたマヤが力なく座っていた。
「あれは、独楽を誤魔化すための演技だ。実際は然して問題ない」
「血も吹き出していたように見えたけど」
「それも偽装だ。見ての通り、腹に穴は開いてないだろ」
分かりやすいよう体を捻って傷跡を晒す。
視線が集まるのを感じながらも、魔法の手は止めない。
くぐもった吐息と共に聞き慣れた声がした。
首を巡らせると、どうやらキエラもダウンしていたようで、微かな意識だけが感じ取れた。
「……これでよし、と。ひとまず応急処置だけはした。後はこの子の意思次第ってところだな」
「……? どういうこと?」
ゆっくりと地面に横たえていると、マヤが疑問を零す。
「見た目は痩せ細って寝ているだけに見えるだろうが、実際は危篤状態だ。……一命は取り留めたが、生きて後数日かもしれん」
「え……!?」
絶句する彼女たちを放って、俺はゆっくりと立ち上がる。
「どういうことですか!? 何が悪いんです!? 私ができる――」
「とりあえず、お前たちはそこで待ってろ。後始末がまだ済んでない」
詰め寄られる前に彼女たちから少し離れて構えを取る。
もうほとんど魔力を使い果たしたが、また汲み直す必要があるからな。
「ふぅ……」
大きく深呼吸をし、警戒を強める。
沸々と湧き上がる感情を呑み込んで、俺は空に向かって叫ぶ。
「――さっさと出てこい。さっきからずっと視てるんだろ?」
声に合わせて紫紺を滾らせる。
頬を伝う生暖かいものを意識から外して、相手の出方を窺う。
しばしの静寂が訪れる。
後ろの呼吸も聞こえてくる。
困惑の色が広がる中、おずおずとした声が上がっていた。
それらを無視して一点を凝視する。
僅かに戻った力を指先に籠め、もう少しだけ腰を落とす。
浅く息を吐く。
それでもなお、音沙汰はなかった。
「そっちが来ないなら、俺のほうから――」
「――ストップ! ストーップ!! 出るから! ちゃんと姿を見せるから!!」
知らない女の声が虚空から響く。
ここは隔絶した空間のはずなのに、大した違和感もなくぬるりと霞のような人影を露わにした。
女は敵意がないとアピールするためか、両手を上げておどけた様子を見せた。
「……」
どことなく感じたことのある気配に、思わず眉をひそめる。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、女は底抜けに明るい声で名乗る。
「――初めましてかな? 私の名前はユタ・セイボル。麗しき謎のお姉さんだよ!」
胸の奥の紫紺が微かに揺れた。




