第7話「なんだ、気のせいか」
最近になって入手した灰原さんの情報。
学生時代は吹奏楽部。フルートとトランペット、ピアノができる。
大学時代はアウトドア系のサークルで、キャンプや登山にハマっていた。
趣味やストレス発散は、友達とたくさん話すこと。毎週のように会っている、仲のいい女性がいるらしい。
付き合った人数は、
「三人……かな」
高校、大学、社会人になって、それぞれひとりずつ。
全員、少なくとも二年以上は続いたとか。
人並みに経験があるだろうとは思っていたから、驚きもしない。普段の忍耐や誠実さから、長続きしそうなことも予想はできていた。
「……そうなんですね」
なのに、どうしてか気分が沈んだ。
正確には、胸の辺りがモヤモヤした程度で、“落ち込んだ”と表現するほどではないが。それでも、私の心に何かしらの影響を与えたのは、確かだった。
「どんな方だったんですか?」
傷口を抉るようなものだというのに、詳細を把握したい愚かさが止まらない。
「んー……みんな、系統が違って」
共通するのは、“真面目そうな人”らしい。
浮かぶのは眼鏡だったり、しっかりしていそうな男性の姿だ。社会人なら、スーツをビッシリ着こなしているタイプだろうか。
もしかしたら、結婚も視野に入れていたのかもしれない。
「そ、の。日暮さんは……?」
上司から部下に聞くのは、セクハラを配慮してか、遠慮がちに顔色を窺われた。
「……いません。ひとりも」
「そ、そうなのね」
それ以上、深堀りはされなかった。されたとして、話せることもないからありがたい。
振り返れば、恋愛に関しては面白みのない人生だったと思う。逆を言うなら、恋愛がなくとも充実した日々であった。
だから必要がなかったし、考えることもなかったけど。
「——恋愛に興味が出てきた?」
「あのひとり時間大好きな祥子が?」
「なんか怪しいもんでも食ったんじゃないでしょうね」
休日のとある日。
友達ふたり——美笠と竹本——の推し活に付き添った後の喫茶店で、何気なく最近の変化を吐露したら、ふたりは驚愕して食いついてきた。
「好きな人ができたってこと?」
「いや……」
「じゃあ、なに」
と、聞かれると、返事に困る。
恋愛がしたいとか、誰かと付き合いたいわけではなく、単に“恋愛ってどんな感じなんだろう?”という好奇心が湧いただけで、具体的にどうとか考えてなかった。
——好きな人。
恋かどうかは置いといて、好意的な相手はいる。
「そもそも、どういう気持ちになったら、恋なの」
美笠と竹本は恋愛経験があるから、参考までに確認したら、
「ヤリたい」
「分かんない。好きーってなったら、恋」
ひとりは直球すぎて、もうひとりは抽象的すぎて参考にならなかった。
竹本は「脱がせたい、脱がされたい」と肉欲全開で、それに対して美笠は「情緒がない」と相容れない様子。共通するのは、心と体。どちらかの繋がりを求めていることだ。
「祥子は、相手の裸見たいとか思うの?」
と、聞かれれば、
「ちゃんと、服を着てほしい……」
むしろ、肌を見せないでほしい。
豊満な灰原さんが視界の端に入るたび、脳の一部が機能しなくなったみたいに停止する。気が気でなくて、仕事の手も止まる。
作業効率的にも、風紀の乱れ的にも、とにかく彼女には健全な格好でいてほしいのが本音だ。
「ふは!それ、恋ってか親心じゃね?」
「思った。手繋ぎたい〜とかもないんでしょ?」
「……うん」
灰原さんから、手を握られることは稀にあるけど。
あれも、やめてほしい。
「好きになると、手を触りたくなるもの……?」
「まぁ、大体の人はそうなんじゃん」
なら、灰原さんのあの行動は、もしかして。
いや。
『——灰原さん、こちらの資料なんですけど』
職場で見かけた場面が、脳裏を過ぎる。
私と同期の男性社員が灰原さんの元へ駆け寄ってきて、書類片手に真剣なやり取りをしていて。
『どう、ですかね』
『ふふ。完璧。大丈夫よ』
不安げな部下相手に、彼女は柔らかな姿勢で声を掛けていた。
『ありがとう。このまま貰っちゃうわね』
そして、受け取った手が男性社員の手に重なる。彼女にとっては他愛もない、意識の外側で行われた仕草だったんだろう。触れた体温にも、穏やかな笑顔のまま。
男性の頬が赤らんだのを、私は見逃せなかった。
わりと誰相手でも距離が近く、親しみやすい性格だから、私にだけしてるとは考えにくい。つまり、他意はない。
意識するだけ、無駄。
「……気のせいだったかもしれない」
胸がズクズク変な動きをするのも、少し肌が見えただけで気にかけてしまうのも。
灰原さんの性的魅力が強いから、一時的にペースを乱されて、放っておけなかっただけで。
これを恋と呼ぶには、何かが足りない気がする。




