第40話「浮き沈み」
気まずそうにされると、かなしい。
雑談ひとつ言葉を詰まらせる気配を感じて、“ごめんね、話したくないよね”と内心卑屈になって、会話を切り上げた。
悶々とする気持ちは、仕事中は忙しさのおかげで考え込まずに済んだけど、休憩中なんかはどうにもつらくて。
「灰原さん。今日、お昼は……」
「ごめんなさい。やることがあって。先に行ってて?」
「……はい」
日暮さんから誘ってくれたのに、断っちゃった。
一階にあるコンビニで箸を使わず食べられるものを買って、フロアの簡易休憩所で咀嚼もせずどろりとした液体を飲み込む。
——今朝の日暮さん、冷たかった。
目も合わせてくれないし、話しかけたら止まっちゃうし。いつも通りにしすぎて、逆に困らせちゃったかな。
ちょっとは、意識してるってアピールしてもよかった?
「お疲れさまです!珍しくないっすか、こんなとこで」
「岩村さん……おつかれさま。食事終わり?」
「や!今からです」
「そう。いってらっしゃい」
「体調とか、悪いですか?ここいることないから、心配で」
「わざわざ来てくれたの?」
「はい!」
あらまぁ。
傷心中の心に、真っ直ぐな優しさが染みる染みる。
「ありがとう。嬉しい」
さすがの岩村さんも「ま、まぁ。そんな、あれですけど」と照れ笑って頭の後ろを触っていて、他人思いの部下に囲まれて幸せ者だなぁ、って。
呑気に、ほんわかしていたところへ。
「——ここにいたんですね」
目を細くしてニッコリ微笑んだ日暮さんが、静かな足取りで近付いた。
「探しましたよ、灰原さん」
「え……何か、あった?」
「いえ。休憩入るの、待ってたんです」
「どうしたの?」
業務で、困りごとがあったのかな。休憩にまで持ち越すの、珍しい。
急ぎの用かと腰を上げたら、「そのままで大丈夫です」と手で指し示されて、すぐ隣の椅子へ彼女も座る。手には、ビニール袋。
悟ったのは、わたしだけではなく。
「え!ふたりとも、ここで食べるんですか?」
「はい」
「じゃあ、僕もいいですか!」
「いや……」
「平気よ。でも、外で食べるんじゃなかったの?」
「気が変わりました」
そうと決まれば——勇み足でエレベーターへ向かった岩村さんの背中を見送って、しばしのふたり時間。
これは……お話して本心を探る、チャンス!
ほんの数分だとしても、無駄にはできない。相手からの接触にも歓喜しつつ、表には出さないようにテンションは抑えた。
「何か用事、かな?話があるなら……」
「なかったら、だめなんですか?」
え。
「そういう、わけじゃ」
「理由が欲しいなら、いくらでも絞り出しますよ」
「え、えー……?」
なんか、怒って……る?
膝の上に肘を乗せ、指は組んだ状態で私を見つめてきた日暮さんの目つきが、鋭くて。
「先日は、すみませんでした」
謝られているのに、責められている錯覚に、視界が回る。
「今後は、あんな間違いが起きないよう全力を尽くします」
「そ、んな……」
間違っても、いいのに。
日暮さんは、やなの?そこまで頑なになるほど、嫌だった?それとも本当はしたくないから、私のしたい気持ちは無視して、自分の思いを最優先にしてる?
それ、なら。我慢しなきゃ。
だけど、どうしよう……私。
「——……」
一度知ってしまった感触を、そう簡単に忘れられない。手放せない。
やだ、って言いたい。
私は何度だってしたいよ。そりゃ、確かに付き合ってはないんだけど、でも……そうだとしても半分くらいは恋人みたいなものでしょ?
違うの、かな。
——こわい。
こういう時、過去の記憶が巡る。
『何か言ってよ!瑞月』
そうお願いするくせに、反論すると怒るじゃない——理不尽に私の意見を抑圧するのに、むりだよ。って、不満を抱いたことが何度も。
それに、自分の本心を伝えたらどうなるか。
引かれちゃったり、嫌われちゃったり。嫌な想像ばかり働くから、怯え竦んで何もできない。日暮さんと仲違いして離れ離れになるなんて、考えただけで恐ろしい。
話し合いたい思いとは裏腹に、声帯が震えない。震えるのは、軽食を握る手だけ。
「だから、なかったことにしてくれませんか」
無かった、こと。
初めてのキスなのに。
「……うん」
日暮さんにとっては、やり直しがきくような軽いものだったんだ。ただの“過ち”にしか、過ぎないんだ。
あの時、あの瞬間の、結ばれた感覚ごと簡単に消しちゃえるんだ。
ズキ、ズキ。
深部が脈を打つたび、末端から熱は引いていく。
「詳しいことは、また夜に」
「……詳しいこと?」
「デートが、したいんです」
落ちては、浮いて。
「瑞月さんと、もっと——」
「お待たせしましたー!」
行き場をなくした感情は、ふわふわ飛んだまま。
岩村さんという邪魔が入っても表情ひとつ変えず受け入れて、適応する日暮さんは誰が見ても大人な女性だと思う。
私の目を見て、真剣に伝えてくれる姿勢も、成熟した人間って感じがする。
一方で、自分は。
「それだけじゃ、足りないと思って。僕、ふたりにも買ってきたっす!」
「私は遠慮しておきます。少食なので食べきれなくて」
「えぇ!じゃ、灰原さん。どうぞ、お好きなものを……」
「ごめんなさい」
部下が気遣って分けてくれようとしたおにぎりさえ、喉を通りそうもなくて。
「やり残してた仕事、思い出しちゃった」
そそくさ、退散した。
「あの灰原さんが漏れなんて……まじで今日は珍しいこと続きですね」
「……そうですね」
背後では、日頃の頑張りがマイナスになるのを、かろうじて防いでくれていた。
それがなければ、私は今頃——




