第33話「彼女とは、どういう」
オフィス付近の定食屋にて。
「あの」
「んー?なぁに」
「やめてくれませんか。その顔」
「えぇ〜……?むりかも」
わざとじゃないのよ。——そう付け足して火照る自分の両頬を包んだ灰原さんは、微笑ましく固まっていた表情筋をほぐすように指先を回していた。
穏やかでにこやかな笑顔で見つめられすぎるのも考えもので、なんだか子供扱いされているようで悔しい。
「それで?どうしちゃったの、祥子さんは」
「……仕事中ですよ」
「休憩中は勤務時間外ってことで」
以前にも使用していた理屈でねじ伏せられ、ぐうの音も出ない。
私からすれば、昨日の件で勝手に拗ねて朝イチで冷たくあしらったくせに、見苦しくも他人とご飯に行くのは引き止めるなんて醜態を晒したというのに、なぜ灰原さんがここまで上機嫌なのか。理解できない。
気を悪くしてなくてよかったと安堵しつつ、底知れなくて少し怖い。
「もしかして、なんだけどー……」
「はい」
「私が岩村さんとふたりで食事するの、嫌だった?」
さらに図星を突かれるものだから、恥ずかしいどころか参りましたという気持ちで頭が下がった。
「そ、そういう、わけでは」
「じゃあ、なーに?」
言えるわけが、ない。
まさにその通りで、加えて“今日は誘ってくれないんだ”——そう、自分の行いを振り返れば当然のことなのに、ふてくされていただなんて。
頭のてっぺんまで熱くなったのを自覚して俯くも、あまり意味はなく。
「かわい〜」
テーブルの向こうから伸びた指が、くにくにと耳の外側を触った。
「赤くなって。照れてる?」
——そんなの。
そうに、決まってる。
分かりきっているのに聞いてくる意地悪さには目を細め、睨んでみたけどノーダメージ。相手の笑顔は、深まるばかり。
「はぁ。かわい。祥子さんって、意外と分かりやすいのね」
「な、なんなんですか。さっきから」
「だって、かわいいんだもの」
「やめてください」
「ほんとに嫌なら、やめる」
プライベートでも線引きはしっかりするタイプのようで、パッと手を離して配慮してくれた。
私が望めばからかうことも、からかわないこともしてくれる寛容な相手を前に、どうやって自分の思いを明け渡せばいいのか。臆病も相まって悩んだ。
——付き合ってください。
ここで懇願すれば、応じてくれるだろうか。
「祥子さんが、どんな気持ちで引き止めてくれたのか……分からないけど」
それとも、じっくり育んでから伝えるべき?焦りすぎ、かな。
「嬉しかった。私は、こうしてお話したかったから」
迷う間も、彼女の口からは謙虚な一面が溢れる。
言うべきか、否か。
締め付ける心臓は今にも「好き」と吐露しそうで、蕩けそうな思考回路も後押しをして、口走る未来がありありと浮かぶ。
「……南未さん」
「ん?」
「彼女とは、どういったご関係なんですか」
なのに踏み止まれたのは、大きな懸念が拭いきれず頭の真ん中に鎮座していたせいだ。
私からの質問に、灰原さんは「んー……」と天井を仰いで、
「長い付き合いの飲み友達、かな」
潔白そうな事実を、伝えた。
「いつくらい、から」
「えー……いつだろ。二十歳くらいの頃、飲み歩いてた時期があって」
大学生で、二十歳になって以降。お酒の味を覚えた灰原さんは、お酒自体というより飲みの場が楽しくて、いわゆる同性愛者が集まる夜の街へと頻繁に繰り出していたんだそう。
そしてある日、立ち飲み形式のバーでばったり。
気前よく「奢るよ」と全員に愛想を振り撒いていた南未さんから一杯ご馳走になり、律儀な灰原さんが「後日お返しさせて」とお礼して連絡先を交換。
だけど最初は、険悪なムードだったという。
「そこから、ずるずる……腐れ縁?みたいな」
「ず、ずるずる」
ということは、やっぱり。
「っや、やだ。違うよ。あいつとは、付き合ったりとかはないから。誤解しないでね」
一番の病みは、本人によってあっさり解消された。
「ほんと、飲み友達って感じだったの。だからバーでしか会わなかったし……」
当時付き合っていた恋人を連れて行くこともあり、三人で仲良く乾杯したりもしたそう。
南未さんははじめ灰原さんに対し「ワンチャンありなのかと思ってた」らしいが、灰原さんの方が断固拒否。ありえない、と苦虫を噛み潰したような表情で嫌悪していた。
「すごく仲が深まったのは……別れた後かな」
「へぇ。それは、どうして」
「落ち込んでた時に、めちゃくちゃ連れ回してくれたの」
「優しい」
「でしょ?南未はノリ良くて軽薄だけど、人の心に寄り添える人というか……」
だから好きなの、と。
過去を思い返して浮かべた微笑みが、慈愛に満ちていて。
——あぁ、結局。
私の憶測は、当たっていたんじゃないか。
「ま、女関係はだらしなくて最悪なんだけどね。バーでよく女の子慰めて、惚れられて、揉めて……大変そう。ママが」
「……そうなんですか」
「うん。やんなっちゃう、そこだけは」
灰原さんは、一途な人が好きですもんね。
もしかして、片思いの相手って。失恋した相手、って。
「そんな感じだから。南未とは何もないよ。心配しないで」
「……はい」
本当ですか?
猜疑心が、止まらない。
「もし」
「うん」
「南未さんから、告白されても……付き合ったり、しませんか」
決死の思いで絞り出した声には、困り眉が返ってくる。
「そもそも、南未が私を好きになることなんて……ないよ」
その発言に少しの落胆が混じっているのを、見逃せなかった。
見逃したかった。
そうじゃなかったと、しても。たとえ、勘違いだったとしても。
「……私より、南未さんの方が」
「え?」
「……なんでもないです」
あなたには、お似合いなんじゃないか。
打ち砕かれた果てに、捻くれた感情がひょっこり顔を覗かせた。情けなく、咽び泣きたい本心と共に。




