第32話「嫌われ……た?」
「いっ……た〜」
目が覚めてすぐ襲ってきたのは、ズキンズキンとひび割れるような頭痛だった。
時刻は午前六時。遅刻にならず済みそうな時間帯に起きたことは不幸中の幸いだけど、具合が悪すぎる。
ひとまず水を飲んで、ひと休みしてからシャワーを浴びた。お化粧も落とさず寝ちゃった……最悪。服もシワになっちゃう。
脱衣後は真っ先に洗濯機を回して、あれやこれや。ほとんど脳死で、日頃の習慣のみで支度を済ませていた。
「ん?あれ……鍵どこ」
最後の最後、家を出る前の鞄の中身確認の時につまづいて、どこかで無くしたのかもという焦りを抱きつつ合鍵で代用することに。
たかだか頭痛、それも飲みすぎによる自業自得極まりない体調不良で休むつもりは毛頭なく、せっかく早起きしたからと普段より早く家を出て駅前のカフェに立ち寄った。
「ん……」
社用携帯の未読を全て消化してから私用の携帯を開いたら、日暮さんから「昨日はお世話になりました」と一言お礼の連絡が。あと、鍵は郵便受けにあるらしい。入れておいてくれたんだ。
——お世話になったのは、私なのに。
へべれけになって、家まで送ってもらって……おまけに。
「う、うぅ〜」
は、恥ずかしい。あんな失態。
できることなら、忘れたい。後半は何も覚えてないけど。むしろ、脳が記憶を飛ばしてくれてちょうどよかった。
なんとか、今日は上司としてしっかりしたところも見せて、挽回しないと。
『灰原さんって……プライベートだと、ダメ人間なんですね』
とか蔑まれた暁には、お先真っ暗で詰む。
冷ややかな眼差しもそれはそれで、日暮さんなら大歓迎。でも、そういうのって愛ありきよね。ただ冷たいだけなのは泣いちゃう。
兎にも角にも、名誉挽回。頑張らなきゃ。
「おはよう、日暮さん」
「……おはようございます」
挨拶は、完璧。いつも通り。
すでにデスクへ座る彼女を見下ろしてニコリと笑ったら、相手もニッコリ笑顔を返してくれた。へへ、照れる。
「昨日、ごめんね。家まで……」
「いえいえ」
心からの謝罪もして。
大事なのは、ここから。
「いつもいつも、ありがとう」
「こちらこそ」
感謝しつつ、次に繋げたい。ごめんなさい、こんな下心がある状態で。
「それで、その。お礼をしたいんだけど……」
「お構いなく」
「や。ほんとに……お詫びもしたくて」
必死さが表面化して、デスク上の手を握ろうとしたら、
「……そういうの」
先に手首を捕まえられ、どこか愛想笑いだった表情から、好意的な感情の一切が消え去る。
見上げてきた瞳は、過去最高に光がなく、呆れを通り越して無感情なのが分かるほど凍りついていた。
「よくないですよ」
「え……」
「やめてください。思わせぶりなことをするのは」
——思わせ、ぶり。
え?
それ、って。
「ひ、日暮さん……?」
「話があるなら、業務後にしていただけますか。もうすぐ始業時間なので」
視線すら交わらなくなって、そうなってやっと、自分がとんだ過ちを犯したんだと理解した。
失望されただけで、嫌ってはないかもしれない。だけど、そんなの終わったも同然。おそらく人としての好感度は、地に落ちてしまった。
「……分かった」
それでも、一旦は押し込めて口の端を持ち上げた。
「じゃあ、夜にまた電話するね。ごめんなさい、仕事前に」
「いえ……」
日暮さんは僅かに気まずい顔をして、画面へ向き直る。私の方を見ようともしないことには胸を痛めるも、気にしないフリで椅子に腰かけた。
岩村さんや、他の子もわざわざ挨拶に来てくれたから適度な距離感で返して、朝礼までには荒ぶる気持ちの整理をつけた。表向きは。
忙しいと悩む暇もないから、今はありがたい。
「——今日も絶好調ですね!灰原さん」
「ふふ。そう?」
「さすが、僕の上司!ってことで、ランチ行きませんか?」
「それ、前後で文脈繋がってないよ」
うわ。どうしよう。
断ろうかなー……でも、この間「対応に差が出てる」って指摘されちゃったばかりだものね。
気乗りはしないものの、これもまた上司としての勤め。
「なに食べたい?」
「えっ。いいんすか」
「ええ。たまには——」
重い腰を上げようと、肘掛けに手を置いた時。
「灰原さん」
隣から呼ばれたから顔を向ければ、どうしてか焦ったような、情けないくらいに眉尻が下がりきった日暮さんが、上目遣いで。
潤んだ、瞳で。
——え。やだ。かわいい。なにその顔。
キスしてもいいかな……ってまじまじ見つめ返そうとして、岩村さんの存在を思い出しハッとする。
「ど……どうしたの?」
あたかも“部下を気にかけてるだけですよ”って素振りで声をかければ、「なんでもないです」と嘘に決まってる返事をされた。
いつもなら不審がられたりしないように、スマートな装いで「ご相談が」とか言いそうなのに。
そういうのもできないくらい、余裕がないってこと……?
都合のいい解釈すぎるかもしれない。でも、もしそうなんだとしたら。
——かわい、すぎる……!
もう職場とか関係なしに抱きしめちゃいたいくらいの昂ぶりを抱えて、叫び出したい尊さはグッと堪えて、幸せだけは表情に出した。
「ごめんなさい、岩村さん」
私、日暮さんしか見えてないの。
「ランチは、また今度ね」
たとえ、「贔屓だ」と批難されても。




