第30話「お持ち帰りされたい」
今日こそは、お酒の力を借りて、日頃の鬱憤を解放できると期待してた。
けど。
時折、責任感が強く真面目な“大人ぶってる”自分が憎くなる。
せっかく好きな人からお誘いがあって、お酒も程よく入って、半個室だから人目もないふたりきりの空間で過ごしているのに。
「ぁ、あの……」
「はい」
隣に行きたい。
「この小鉢、すっごくおいしい」
たった一言が、口を滑ってはくれない。
お店に来るまでは、まだ言えた。もし酔っちゃったら——って言い訳紛いのことを、平然と。
だけど、いざ“お持ち帰りされちゃうのでは……?”という気配を感じ取ると、緊張しすぎて酔うに酔えない。
だって本当にベロンベロンになってヘマしたら、せっかくのベッドインも台無し。それに、面倒くさがられてもう誘ってもらえないかもしれないし。
この緊迫感は。
例えるなら、そう。
絶対に失敗できない、役員との会食。
「気に入ったなら、私の分もよかったら。遠慮なく食べてください」
「ありがとう」
「飲み物は……おかわりしますか?」
「うん、しようかな」
「何にします?」
「同じので」
上司としてのイメージを崩しすぎず、嫌われないように、だけど積極的に。いい感じの塩梅を見極めながら、グラスに口をつける。
幻滅されるのが怖いとはいえ、ちょっとでも意識してもらいたいもの。気合の入れどころよね。
「……お冷も、頼んでおきましょうか」
張り切りすぎている私の内心を知ってか知らずか、日暮さんは気を利かせてアルコールの進み具合に応じて注文を変えていた。
余裕がある対応をされると、ますます舞い上がっちゃう。相手は、そこまででもない?という悲しみも湧く。
私は、乾杯するだけでもいっぱいいっぱい。
ガラスが音を鳴らすたび、心にまで振動が響く。アルコールで誤魔化そうと苦い味を胃に落とせば、全身にふわふわとした波が広がった。
「……はぁ。お酒って感じ」
「はは。お酒ですから」
「祥子さんは、酔うとどんな風になるの?想像できない」
少しはリラックスしてくれているのか、珍しくテーブルに肘を置いて、手首の動きでグラスを回していた日暮さんは、「んー……」と過去に焦点を当てたみたいだった。
「分からないです。そこまで飲んだ経験がなくて」
「そっかぁー……」
飲みの場とか、あんまり好きじゃなさそうだものね。
いつか、酔っ払ったところも見てみたいな。きっとかわいいんだろうなー、なんて考えていたら、
「瑞月さんが、酔わせてくれます?」
あざとい仕草で首が傾いて、どこか挑戦的な流し目が突き刺さる。
え。なにそれ。メロい。
というか、そっか。自分の酔いばっかり気にしてたけど、そうよね。
日暮さんを先に酔わせればいいのね……!
希望とも呼べる新たな道を見つけてしまったら、突き進む他に選択肢はない。さっそくベルを鳴らして、メニューの中で一番度数の強いお酒を頼んだ。
「大丈夫ですか、そんな強いの」
「うん。ふたりで飲みましょ?」
「酔っちゃいますよ」
「平気よ。私が介抱してあげる」
「っふ……は。頼りにしてます」
多分、日暮さんは私のことを心配してくれていたのに、肝心の私がまるで自分は酔わない想定だったからか、吹き出して砕けた笑顔を浮かべていた。
初めて見る表情に、さらに気分は有頂天へ。
「じゃあ……私は、安心して酔えますね」
「う、うん」
そのせいか、ペースもどんどん早くなって、急激にアルコールが体内を巡って。
「——そろそろ……行きますか」
「?……どこに」
「瑞月さんの家」
どのくらい経ったんだろう。
世界がぼやけているようで、はっきりとしている気もする変な感覚の中で、日暮さんが私の鞄を持ってくれる何気ない動作を見ていた。
「わたしの、いえ?」
「はい。……言ったでしょ」
なんの話、してたっけ。
「責任持って、送りますよ」
「……おうち?」
「はい」
持っていたグラスは、日暮さんによってテーブルの上へ。
「帰りましょう」
「かえる……」
帰って、それで。
なに、するんだっけ。
思考が回らなくて、視界だけぐるりと回って倒れそうになった体を、そっと支えられた。肩を掴んだ手のひらが、布越しに体温を与える。
あったかい。
「お水飲んで」
“冷たい”が、喉を通過していく。
覚えている単語は“好きな人”と“お持ち帰り”で、ふたつを足したら当然のように導き出されたのは——
「んー……上下、揃ってないかも」
気がかりな乙女心からペラリと襟元を引っ張って確認したら、今日という日に限って白でも黒でもないベージュ。なんと色気のない。
こんなんじゃかわいいって思ってもらえない。
そう、気を落とす前に。
「……しませんよ」
手を持ち上げられて、胸元が見えないようにと襟元も整えられた。
なんだ。しないんだ。
唇の先が尖る。
そこへ、親指の腹が当たる。顎には、揃えた指が滑り込んだ。そのままゆっくりと顔を上げさせられて、目が合うと相手は眉を垂らして微笑む。
「今日はね」
その後、どうやって家まで辿り着いたのか。
まるで覚えていない。




