第29話「答えは、もう」
灰原さんについて。
毎夜の通話を通して知ったことが、いくつもある。
まずひとつは、
「お疲れさまです」
『ん……おつかれさま』
声色が、甘くなること。
眠いからなのか、単に仕事で張り詰めている反動でふにゃっとしちゃうだけなのか。どちらにせよ、かわいい。愛らしい。
『祥子さんは、ご飯食べた?』
「はい。瑞月さんは?」
『たべた』
八時から九時の間にかけると、大体が食事終わりやお風呂上がりだから、より素の状態に近いのかもしれない。
お互い公私の区別を明確にするため、勤務以外で会話する時には下の名前で呼び合おうということになったが、まだ慣れない。
呼ばれるたび、ぎゅっと胸の奥が縮む感覚がする。
「何を食べたんですか?」
『……なんだっけ』
「はは。忘れちゃったの」
『うぅー……うん。今さっき食べたばかりなのに』
最近は、つい敬語が外れても許されることも増えた。元々、寛容な人だけど。
相手からたくさん話してくれる日は少なくて、職場で会うより言葉数が少ないから、たまに「迷惑だったら……」と不安になる時もあるものの。
『また、明日ね』
「はい」
必ず相手から次を約束してくれるから、きっと大丈夫。
彼女との通話は日課になりつつあって、一日の終わりの楽しみでもあった。おかげで、良い夢を見れている。睡眠の質も上がった気がする。
たまに。
「——祥子〜、デザートは?」
「い、いらないよ。お母さん、ノックしないで開けないで」
「旬の果物なのに。悪くなっちゃう」
「ありがとう。冷蔵庫に入れておいて、後で食べるから」
「そう?」
実家暮らしのため、稀に家族が部屋へ来て邪魔が入ったりするのだけ、勘弁してほしい。
けど。
『ふふ……おうちだと、そんな感じなのね』
それさえ、包み込んでくれる灰原さんの声によって、幸せな出来事と脳が錯覚する。
あぁ……好きだぁ。
と、心から噛みしめる瞬間が、いくつも折り重なって。
「——付き合いたいけど、どうしたらいいか分かんない?」
「うん……そもそも、どの状態になったら“付き合う”になるの」
「前にも似たようなこと聞かれたなぁー」
本格的に灰原さんの隣に立つため、恋愛経験豊富な竹本を頼った。彼女は女性が好きなだけあって、女心をよく理解しているだろうから。
付き合うまでの過程も、聞きたい。
「えー。そんなん、ヤッたらいいじゃん」
「そういうのは、交際後って決めてる」
「じゃあ、もし体の相性が悪かったら?どーすんの。先に知ってた方がよくない?」
「一理あるけど、今はまだ健全でいたい」
「お堅いなぁ、祥子は」
そこが良さでもあるけど、と呟いた竹本は腕を組み、天井を仰いだ。自分とはあまりにタイプが違いすぎて、どうしたもんかと頭を悩ませたんだろう。
「とりま、相手に脈あるか確認したら?話は両想いになってからっしょ」
「……どうやって?」
「今から教えるから、メモしとけ〜」
翌日。
オフィスにて。
「おはよう、日暮さん」
「おはようございます」
私は竹本からの助言を受け、いくつかの“脈ナシチェック項目”を確認してみることに。
ひとつめ。
手が触れ合っても動じないか、否か。
竹本曰く、
『嫌いでも意識しすぎてても、遠ざけるもんなんよ。だから、反応がないのが一番脈なし!』
ということなので、さっそく。
朝から資料を渡すフリで、その際にさり気なく手を握って試そうとしたら、
「あぁ……ありがとね。おつかれさま。置いといてもらえる?」
そんな隙も与えられず、終了。
仮に触れていたとしても動揺する姿なんて想像もできないくらい業務中の灰原さんは淡白で、私情の欠片も挟まない。
淡々と出来ることを出来る限りこなしていく上司を見ていたら、仕事中に関係のないことを持ち込んでいる自分が、恥ずかしく思えてきた。
——そもそも、プライベートの時に確かめないと意味がないか。
初歩的なミスにも早いうちに気付き、方向転換。
退勤してから、改めて——
「わ。日暮さん……今日もミスなかったんじゃない?」
「そう、ですね。してないかもです」
「ふふ。すごい!」
終わり際。
「がんばったのね」
身体的な接触はしないまでも、自分ごとのように喜んで褒めてくれた灰原さんに、脈があるかないかなんて。
もう、どうだってよくなってしまった。
「灰原さん」
抱きしめたい衝動は、手首を浅く掴むだけに留まる。
「な……なーに」
冷えた体温が上がり、頬が赤らむまで。些細な変化を見逃さず、眼球の奥が“好ましい情報”として脳へ送り込んだ。
「この後……飲みに行きませんか?」
ふたりで。
言うまでもなく、伝わったらしい。
「いいけど……明日も、お仕事だよ?」
「はい」
「酔ったら、帰れなくなっちゃうよ」
それが、何を意味するのか。
「責任持って、家まで送ります」
鈍い私でもなんとなく、察してしまって。
もうすでに、答えは出ていたのかもしれない。




