第3話「おうちで、なにを……?」
気に入った、と発言していたわりに。
「ふぅー……あつい」
薄着で、変わらず無防備な灰原さんに、ふと。
「私のジャケット、使ってくれてますか?」
「うん。もちろんよ」
「え、でも……」
「おうちで、ありがたく使わせてもらってる」
——おうちで?
普通は外で羽織るものですよ、と野暮なツッコミを入れようとして——それよりも“おうちでの用途”が気になりすぎて結果的に口を閉じた。
え。
どういうこと?
家で、いったい何をしているんですか?灰原さん。
『っ。はぁ……』
真っ先に思い浮かんだのは、肺いっぱいに息を吸い込んでにおいを嗅ぐ姿で。
『ん、ぅ……』
白いシーツにいくつものシワを作り、マットレスが軋みながら沈む。何をしているのかは、一目瞭然な腰のうねりが、脳裏を埋め尽くした。
「っ……ち、がう!」
バチン、と。
頬を叩くことで、危うく上司の服まで脱がせるところだった妄想に終止符を打ち、そのまま頭を抱えた。
幸い、私が悶々としている間に灰原さんは会議のため退出。同じ空間にいた先輩方は心配そうにはするものの触れることなく、遠巻きに見守ってくれていた。
「な、ないない」
いくら灰原さんが色気ムンムンの女性だからって、部下の服を拝借して己を慰めるような、そんな偏見を抱くのは良くない。
普通に、部屋着とかにしてるのかもしれない。そうだ、きっとそう。そうに違いない。
ジャケットにしては伸びる生地だし、着心地もいい。プライベートで出かける時のおしゃれ着にしても、なんらおかしくはない。
おかしいのは、私。
一番に変な光景を考えちゃうなんて、私らしくもない。彼女の纏う雰囲気につられて、思考回路までピンク色に染まりかけてたんだ。危ない。
戻ってきたら謝ろう、と。
「——聞いたわよ、日暮さん」
「あ。灰原さ」
「私がいない間、荒れてたんだって……?」
反省した矢先、揺れる。
デスクに置かれた三つ指。そして、迫る整った顔立ちに、はらりと落ちた絹の髪。
色香が全身を包み込んで、自然と呼吸を止めた。
「大丈夫?……いつでも、頼っていいのよ」
大丈夫じゃ、ないです。
「なんでも聞いて?」
おうちで、人のジャケットで……何をしてるんですか?
聞いたら、教えてくれますか。灰原さん。
「……少し面倒な入力ミスをしてしまって」
バカ。聞いてどうする、私。
「今はもう修正済みですので、大丈夫です。お心遣い感謝します」
万が一にも「やらしいことに使ってる」なんて返ってきてしまった日には、崩壊してしまいそうだというのに。
「……そう」
どうしてか、僅かに残念な眉の形をして、灰原さんは椅子へ深く腰を下ろした。
嘘でも頼った方がよかったかな?後悔するも、フォローの言葉も見つからず、デスクに向き直る。
画面上には、乱れ打ちしたような意味不明な文字列が並んでいた。無意識のうちに、キーボードを触っていたらしい。
嘘から出た実というにはしょぼいミスを修正しつつ、心は平静を取り戻していく。
むしろ、あれだけ揺れ動く方が珍しい。私の心は、それだけ動じることの少ないはずで、これまでこんなこともなかったというのに。
「貰った服、ね」
数分して口を開いた灰原さんによって、簡単に心音は高鳴りだした。
パソコンを見つめながら、マウスを触る手はカチカチと落ち着きなくクリックを繰り返す。灰原さんは背もたれに体重を預け、もじもじとスマホを弄っていた。
次に出る言葉を、今か今かと。
期待して、待つ。
「テディベア」
「え?」
「……ぬいぐるみに、着せてる」
そうして開示されたスマホの画面には、ジャケット姿のくま。大きさは、100センチは優に超えてそう。
くまに似合いそうだから、着せたんだとか。
——な、なんだ。
想定の何倍もピュアだった使い方に、罪悪感が後から脳を殴ってきた。一瞬でもあんな妄想をして、ごめんなさい。いや、申し訳ありませんでした。
地面にめり込むほどの土下座をしたくなったところで、恥ずかしくなったのか灰原さんは「仕事、仕事」とスマホを隠す。
私も改めて、今度こそはミスなく仕事に取り組もうとして、
「でも……そんな大きなぬいぐるみ、どこに飾ってるんですか?」
冷静になってふと浮かんだ疑問を口にして、
「……ベッド」
失敗した。そして、後悔した。
「毎晩、一緒に寝てる」
——どうして?
疑問は尽きることなく、脳髄を蝕んでいった。
鼓膜を叩く、うるさい心音と共に。




