第27話「拗ねてる場合じゃない」
また職場で、と。
通話を切ってから、冷静になって。
「っい、言っちゃった……」
ずるり、と壁につけていた背中が落ちる。
明日から、どんな顔で会えばいいのかと、反省や羞恥に見舞われた。
私にしては大胆な言い回しをしてしまって、あんなのはもう口説いたも同然。灰原さんもお話したいと思ってくれていたからいいものの、下心丸出しで接してしまった。
——毎日、声が聞きたいだなんて。
友人や親兄弟との連絡は、なんなら無くてもいいくらいなのに。たまに、煩わしいとさえ。
私の“無頓着”は、灰原さんには適用しないようだ。どうにも、わがままな欲ばかりが溢れてくる。
つい昨日会ったばかりだというのに今日も会いたくなった上に、声を聞けただけで「次も。もっと」と満たそうとしてしまう。
「こんなんで、付き合ったら……」
灰原さんの負担が、重くなってしまいそうで。
たとえ受け止められる包容力が相手にあったとしても、甘えすぎはいかがなものか。
明日からは、仕事。より一層、気を引き締めて——
「おはよう、日暮さん」
「おはようございます、灰原さ」
朝。
私の視界に飛び込んできたのは、ふたつの山が織りなす、豊満な渓谷だった。
「っ……なんだか、寒いですね」
「え?そう?」
「はい!灰原さんも、これ使いますか?」
「いや、私は……」
「せっかくですから。ね?あったかいんですよ、この膝掛け」
空調のおかげで室内は快適な暖かさが保たれているが、そんなことはどうだっていい。
思考の余地もなく椅子に座らせ、美容師さながら流れるように首元へ膝掛けを巻く。それでも、太ももの露出は覆いきれなかった。
タイツの黒が、肌に透ける。
——どうして、この人は。
私が自制心を働かせようとしたタイミングで、こんな。
「んー……あつい、かも」
「気のせいです」
「えぇー?気のせいとかある?」
ハラリ、と。
膝掛けが落ちて再度現れた膨らみに、視線が。
「汗かいちゃうじゃない、これじゃ」
「それ、なら」
せめて。
お願いだから。
「見えないように、して」
閉められるボタンもなく、ほとほと参った私の口から出たのは、本人には秘密にしておきたかった本心だった。
鼓膜を通して、脳にまで届いてしまったんだろう。灰原さんの長いまつ毛が上がりきって、瞳が溢れんばかりに私を見上げる。
「え……今、なんて」
そう、聞き返したくもなる。
——なんで。
どうしてこうも、平静でいられないんだろう。
「他の人に見られたら……どうするんですか」
どうもしないって、分かってるはずでしょ。私のバカ。
耳打ちでコソコソと伝えれば、目の前の耳がじんわり熱を帯びた。
「そ、それって……」
やっぱり、失言だったのかもしれない。
「どういう、意味……?」
意図を確認されて、喉の奥で言葉は詰まる。そもそも、答えを提示できない。自分のことなのに、分からないから。
「……すみません」
謝ることだけが、唯一の逃げ道で。
「出過ぎた真似を、しました」
「や。違うの」
もしかして、日暮さん——
灰原さんの口から、何かひとつ大きな疑問が湧き出そうになった、間際。
「おはようございます!……って。何してるんですか。コソコソ話ですか」
カラッとした爽やかな挨拶が、割って入った。
「おはよう、岩村さん」
「はい!おはようございます。で、なに話してたんですか」
「内緒話よ」
切り替えの早い灰原さんはすでに笑顔で、まとっていた皮膚の赤さが嘘のように、上司の顔を取り戻していた。
私も私で、無理矢理に自分の心を諌めて、デスクへ向き直る。
「いいなー。僕も灰原さんと内緒話したいです」
「ふふ。やだ」
「あー、扱いの差あるの良くないですよ」
「私の気持ちはいつだって平等だから。安心して」
——つまりは。
自分は、特別でもなんでもない。
隣で、私以外の誰かにも気さくな笑顔を振りまく、頼れる上司でしかない灰原さんを横目で見つつ、不貞腐れた。自惚れるところだった。
でもまぁ、それでいい。今は。
「仕事中は……ね?」
意味深な言葉を吐いて、こちらにも微笑みを分けてもらえただけ、幸せ者ではあるし。
拗ねてる場合じゃない。
「じゃあ、プライベートでも関わってくださいよ。僕と」
「ん?むりよ?」
可能性は低いとはいえ、岩村さんという手強そうなライバルもいて、他にも灰原さんにとっての候補はたくさん。求めてなくても集まるくらいなんだから。
少しでも、意識してもらえるようにしなきゃ。




