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エロがり上司の灰原さん  作者: 小坂あと


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第23話「なんか、おかしい」



「触らないで」


 と、怒鳴りたくなる熱情を抑え込むには、理性が足りなかった。あるいは、冷静さが。


 のたうち回る恋心に“自制”なんてあってないようなもので、人目も気にせず抱きしめようとした体を落ち着けるため店の外に出たはいいものの。


「……連絡先、忘れた」


 会えたら交換しようと思ってた、メッセージアプリを開く。最低限しかいない友人や知人の名前が並び、その中に灰原さんも加えられたら、どれだけ幸せだろうと思ってたのに。


 短絡的な自分に、呆れ果てる。


 あそこで我慢していれば。悔やまれるが、過ぎてしまったことは仕方がない。


 無礼を詫びて、今度また職場で——


「日暮さん……!」


 スマホを閉じて歩き出そうとしたところへ、少しばかり裏返った声が届く。


 驚いて振り向くと同時に、ドンとぶつかってきたのは、他ならぬ灰原さんだった。


 おそらくは、引き止めるためなんだろう。腕は脇の下を通って背中へ回り、胸元にギュッとうずめた顔は、なかなか表情を見せてくれない。


「は、灰原さん……?」

「私の友達が、ごめん」


 あぁ……なんだ。


 代わりに、謝りに来ただけか。


 あの女の、ために。


 まだ二回しか会っていないというのに、“憎い”認定してしまった女性の顔を思い浮かべ、深く吐息を漏らす。こんなことで誰かを嫌うなんて、今日の私は本当におかしい。


 それもこれも恋のせいなら、早いとこ手放してしまいたい。

 

「嫌いにならないで、ほしい……」


 のに。


「……なりませんよ」


 涙目で見上げてくる健気な相手を見つめていると、止まるどころか加速していく。戻れないところまで。


 頬をくすぐって、そのまま耳へ指をかける。寒さの影響か、走ってきたからか、熱を持っていて赤みも強い。肌の薄い感じが赤ちゃんみたいで、愛らしい。


「ほんとに……?」


 疑われるのは心外だが、それよりも安心させようと体が動いた。


「私が、灰原さんに対して嘘を言うと思いますか」

「……言わない」


 信頼を勝ち取ってきただけのことは、ある。


 真っ直ぐに“信じる”という意思を持って否定してくれた行動ひとつ嬉しくて、単純な心臓がトクンと跳ねた。


 この苦しさに襲われた時、脳裏を過ぎるのはいつも。


「寒く、ないですか」


 唇に触れようとして、親指の先が迷子になった。


 誤魔化すため前髪をつまんでみたり、額を触ってみたりすれば、まるで懐いた猫のように瞼が閉じて表情が和らいだ。


「さむい」


 もうすぐ、冬ですもんね。


 雑談さえする余裕もない心は、首で相槌を打つしかできなかった。


 灰原さんは何を考えているのか、密着した距離感に意識もしていない様子で、さらにコテンと鎖骨の辺りに頭を乗せてくる。


「だから、あたためて」


 ——それ、は。


 恋人に、するみたいに。


 上目遣いで甘えてくれる好きな人に、なんて返せばいいんだろう。どこまで、許されるんだろう?


 キスをしても、いい?


 抱きしめるのは、だめ?


 このまま家まで連れ帰って、


『ぁ、ん……日暮さ』


 艶かしくうねる腰のくびれが、情景として視界をジャックした。実際に目の当たりにしたことはないというのに、嫌に鮮明に映る。


 ぶわりと広がった羞恥は、明らかな欲情を四肢の末端まで送り出した。


「っ……さ、サウナ」


 ケダモノじみた本能に突き動かされ、食べてしまう前に。


「サウナに、行きましょう」

「へ……?」


 相手の肩を掴んで提案すると、突拍子もなかったせいか、ぽかんとしたかわいい口の形が返ってきた。


 幸い、近くに行きつけの銭湯がある。そこのサウナは高温、水風呂はキンキンに冷えていて、温度差で私の頭も冷えるはず。


 そうと決まれば。


「え?え、今から?」

「はい」


 手を引いて歩き出した私の後ろからは、「なんでサウナ……?」という当然の疑問が聞こえる。が、ごめんなさい、聞こえなかったフリで無視。


 肉欲に支配され、交際を経ずにやらかしてしまうよりも、挙動の変な部下と心配された方が遥かにマシ。


 ましてや、灰原さんは誠実な人が好き。ここで欲望を剥き出しにしてホテルへ招いた日には、未来は完全に潰えるも同然。


 裸の付き合いは裸の付き合いでも、健全な道を選びたい。


「あ……あ、の」


 同意も得ず進んだ私の足を止めたのは、勇気を振り絞った声色だった。


「サウナ、好きだし……嬉しいんだけど」

「?……はい」

「裸になるの、はずかしい」


 振り向けばモジモジとした手元と、赤く染まりきった血色の良さが飛び込んできて——自分の浅ましさに、ようやく気が付いた。


「あ……す、すみません」


 たかが部下の分際で、勢いだけで裸にさせようとして。


 私は、なんて思慮が浅いんだ。


「や。はずかしい、だけ。嫌とかじゃ……」


 心の準備も必要だという彼女の主張は正しく、謝る以外にできなかった。


 急ぎすぎた。テンパりすぎた、とも言う。


 サウナはまた後日。と穏便に済ませてくれた灰原さんに感謝しつつ、解散の気配を感じて寂しくもなる。まったく、なんなんだ。今日の私は。


 情緒が、一向に安定してくれない。


「よかったら……少し、飲み直す?」

「いや……」


 この状態のままそばにいて、いいのかな。また暴走しないか、怖い。


「今日は、帰ります」

「……そっか」

「だけど……またこうしてお会いしたいので」


 繋がりだけは保っておきたくて、足掻いた結果。


「よければ、私用の携帯で連絡させてくれませんか」


 パッ、と目の前の灰原さんが華やいだ。


「うん!もちろん」 

 


 



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